第30話 青年、緊張しながら前に出る

「ほら、これ。預かったんだよ」

 ずっしりと重い封筒を受け取って、私は冷や汗をかいていた。

 封筒包みには、汚い字で「ご祝儀じゃないぞ」とある。

 よく飲みに出かけていた友達たちから届けられたものだ。

 一途くんの件は友人たちの間で懸念を抱き続ける事件となり、当の本人を欠いたまま、さとに帰る直前の火立くんを中心に何人かで集まったのだ。

 みんなのところにも警邏は訪ねていた。

 化けものがらみとあって、一途くんが目をつけられたことは意外ではない。本人が姿を消し、その後警邏が音沙汰ないことに不安をかき立てられていたようだ。

 私は口をぬぐってみんなの猪口に酒を注いでいき、そうすると同席する火立くんへの祝福へ話題は移ろっていった。

 祝いの言葉が並ぶと、場の空気がぐっとなごやかなものになる。

 そこで現在私が月子さんと懇意にしている、という話もしていた。

 解散した後、ほかの仲間内にも私の祝い事も近いぞ、と情報が流れていったらしい。

 封筒を預かってくれたのは硫黄さんで、しみじみとのたまう。

「いい友達だなぁ」

 私は封筒を拝むようにかかげ、ひたいに押し戴いた。

「泣けてこない? こういうお友達の好意って」

「そ……そんなつもりじゃなかったんですが……」

 いままで私が払っていた飲み代を、みんな貯めて取っておいてくれていた。

 給金が上がったからといつもおごる私に、みんな不安があったそうだ。それでみんなでしめし合わせ、自分の払うはずだった飲み代を取っておいたという。

「この先は月子がやってくれるから、まあおまえさんは僕と一生懸命身を粉にして働こうね」

「よ……よろしくお願いします……」

 品評会で金賞の上である特賞をもらい、おかげで私は給金が上がった。

 が、残業の増える役職に席が移ってしまったのだ。

 私は硫黄さん直属の部下になってしまった。硫黄さんは遠慮なくこちらに仕事をまわしてくるので、私はとても忙しい。一年中繁忙期になるようなもので、すでにうんざりしてしまっている。

 休日の私事も月子さん経由で話がいくので、つねに硫黄さんに予定を把握されてしまっている。

 空いた時間に硫黄さん宅で飲もうと誘われることが多くなっていた。隣家から月子さんもやってくるし、断るのがむずかしい。ひとりでぼうっとしたくても、飲もうよ飲もうよ、で硫黄さんに押し切られてしまっているのだ。

「そんなしょぼくれた顔、いい男がだいなしだ」

 硫黄さんは笑う。

 私も硫黄さんも、今日は正装をしていた。

 めでたく月子さんと結納を交わすことになり、以前成人のお祝いをした料亭にこれから向かうのだ。

 呼んだ牛車の到着が遅れていて、まだ出発できていない。女性陣は牛車がくるまで化粧直しをする、と奥の部屋に消えている。

 硫黄さんの家の庭で、男ふたりむさ苦しく立っている真っ最中である。

 開けた窓の向こうで、雲がゆったり流れていた。

 ずっと疑問に思っていたことを硫黄さんに尋ねるか、私は迷っていた。

 目が合うと、つぶらな瞳で硫黄さんが首をかしげる。このひとにもちいさいころには、かわいいとほめそやされた時期があっただろう。

「……家宅捜索、あったじゃないですか」

「あったねぇ、あれは迷惑だった」

 庭の池では、すいすいと牛攻が泳ぎ、突き出た大石で亀が甲羅干しをしている。

 私がいま暮らしている家の土地は、くにの両親が権利を所持していた。

 池をつくる許可ももらえ、ついでに庭も整えよう、と手紙などでやり取りが進んでいた――月子さんと私の両親の顔合わせはすんでいる。

 母は月子さんを気に入ったようだ。

 庭は全部、月ちゃんのやりたいようにつくらせてあげなさい、と母にいわれていた。それなら資金を出すそうで、ずいぶんと太っ腹なことだ。

 今日も結納の席のために、こちらに出てきている。合流するのは料亭で、もしかするともう先方に到着しているかもしれなかった。

「家宅捜索、急でしたよね」

「うん。素直に事務所に入れなきゃよかったよ」

 どう尋ねようか。

 家宅捜索は抜き打ちで、突然の烏の襲来のはずだった。

 なのに一途くんと化けものはどこかに消えていた。その痕跡のすべてとともに。

 あの日、先に家宅捜索の件を知ることができるとしたら、それは――私は池をのぞく。

 横たわった硫黄さんくらいの広さのある池だ、暗い色の敷石が使われている。

「硫黄さん」

「なに?」

「池の底に、透明の……ガラスみたいな石を置いたことってありますか?」

 直接やり取りをしなくてもいいのだ。

 ――なにか合図を決めていれば。

 石の置き方や並べた色など、少しの合図で充分なのだ。

 目をやった硫黄さんは笑っていた。

 これまでに見たことのない笑顔だ。

 すべてを取って食ってやろうとでもいうのか、と背が凍りそうな壮絶な笑顔である。

 ――それで充分だった。

「硫黄さん」

「うん?」

 私は池に目を戻す。

 これから自宅の庭にも池をつくる、ここにあるのどかな眺めが広がり、金魚の鳴き声を楽しむことができるだろう。

「うちに池を新しくつくったら、牛攻を連れていっていいですか? 月子さんが気に入ってるみたいなので」

「そうだね、連れてってやって。ついでに団子も月子になついてるから、一緒に」

「あんたぁ」

 蔦子さんの声がする。

「牛車きたわよぉ」

「いまいくよ!」

 返事をする硫黄さんのかたわらで、私は胸に手を当てる。

「……なんか、緊張してきた」

「しとけしとけ、月子を嫁にもらおうってんだ、緊張くらいしといてくれ」

 二台の牛車に男女でわかれて乗りこみ、ごとごとと進む。

 窓から往来を眺める。

 晴れていてよかった。

 いっそ料亭ではなく河原にいって、月子さんとのんびりおしゃべりに興じたくなるような快晴だ。

 雲を押し、梢を揺らす風が吹く。

 疾く風はいき、それもすぐ消えた。


(了)

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皮剥青年、化けものを拾う 日野 @hino_modoki

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