第26話 青年、ひとり向き合う
警護隊の詰め所に呼ばれ、私は烏の聞き取り調査に協力した。
一途くんをなぜ泊めていたのか、いつからか、彼がなにをしていたか、どのていど把握していたか。
私が財布役になったり友達連中を泊めたりというのは、一途くんに対してだけではなかった。
友人たちにも確認してくれないか、と訴えると、すでにそちらには聞き取り済みだった。
私にしたいのは、事実確認だけらしい。
そうとわかってからは、私はおとなしく尋ねられることにこたえた。お茶も出されるし、休憩も取れる。高圧的な態度を取られることはない。
だがとても疲れる時間だった。
帰されるとき、朝吠さんが廊下で声をかけてくれた。
ねぎらってくれる彼に、私は頼み事をしてみる。
「一途くん……大海くんのことがなにかわかったら、ぜひ教えてください」
朝吠さんはわずかに目を逸らした。
彼がなにかを教えてくれることはないだろう、と理解していた。それでも私は頭を下げていた。
「よろしくお願いいたします」
「……できるかぎりのことをします。お宅の戸も、元通りに直してありますから」
送ります、とべつの役人から声がかかり、私は朝吠さんの前から――詰め所から出ていく。
用意されていたのは龍車で、やはりはやさは爽快なほどだ。座席に私の手荷物があり、職場から回収してくれたそうだ。
寒さから厚着になっている仕事帰りのひとびとの横を、それこそ一瞬で駆け抜ける。それでいて揺れがなく、静かな車内で烏との会話はひとつもないまま、私は家に着いていた。
●
なにもない部屋だ。
きれいになにもない。
烏たちが引き上げた家に帰宅してみると、ひどく家のなかが静かに感じられた。
烏たちに荒らされていた部屋は、あるていど整えられている。
完全に元通り、とはいかなかったようだ。
月子さんから預かったままのお重が卓袱台に置き去りで、持ち上げると頼りないほど軽かった。
絵手紙も、筆も、墨も、化けものが眠っていた来客用の布団も敷かれていない。
化けものはいつだってよく眠っていた。
熟睡し、ときに起き、私がこしらえておいた食事を取っていた。そして絵手紙を残す。私は化けものがそうやって過ごしていたのだ、と信じ切っていた。
――そうではなかったのだ。
家宅捜索が入ったとき、私の家はひとりで暮らしていたときそのままの状態に片づけられていたようだ。
化けものを拾う前の、私だけが暮らしていたときの状態である。
誰が、と考えれば、それは一途くんしかいない。
離れとおなじく、母屋の鍵もべつの場所に隠してある。
以前彼に場所を教えたことがあり、それを使っていたのだろう。
一途くんは烏たちに見つかる前に痕跡を消し、化けものを連れてどこかに逃げた。
それどころか、ふだんから母屋にきて化けものの様子を見ていてくれたのではないか。
私が留守の間ずっと、一途くんは化けものを守ってくれていたのだろう。
そう私は確信していた。
一途くんは気のいい奴なのだ。
間違っても誰かを傷つけるような男でなくてよかった。
相手が化けものであっても、一途くんはいい奴だろう。
そんな男が、私の友達で嬉しい。
私はひさしぶりに母屋の雨戸を開けてみた。
りりり、という金魚の声を待ってみたが、そういえば風呂場に移動させていた。あとで様子を見にいこう。化けものがいる間に一度でも雨戸を開けて、あの軽やかな声を聞かせてあげたらよかった。
静かだ。
一途くんはどこにいったのだろう。
寒くなってしまい、私はまた雨戸を閉めはじめた。
がたがたと手を動かすなか、吹いた風が落ち葉を巻き上げる。
自分が風を研ごうとしたきっかけはなんだったか――そんな思い出を求めはじめて、やけに強い疲労を自覚する。
思い出せない。
では風に目を向けるようになったきっかけは、なんだったろう。
巻き上げられた落ち葉が地面に落ちる。
「あ、そうだ」
私は紙を求めて、閉じかけた網戸をそのままに部屋に走っていった。
●
家宅捜索の後に登庁すると、職場の誰もが気遣いを見せてくれた。
好意から泊めていた友人が化けもの絡みだった、という話はどこから漏れ出たのか、いまでは同僚たちに広まっていた。
私の不運を悼むような声が出る。
そしてその友人――一途くんへの軽蔑がこもっていた。化けもの絡みというだけで、どうにも悪し様にいわれてしまうようだ。
友人に裏切られた私への気遣いというのは、あまり聞いていたい種類の話ではなかった。耳にするたびに、私も同類なのだと自覚させられる。
彼とおなじだというのに、ひとり糾弾されないでいる立場にうつむきそうになった。
それを救ってくれたのは、硫黄さんの一二三さんに対する激怒と嫌悪の感情だ。
家宅捜索や化けもの絡みの友人の話、それらすべてが一二三さんに直結するらしく、今回のことが如月の硫黄さんの耳にちょっとでも入ると、すこぶる機嫌が悪くなるのだ。
周囲が気を遣うため、その空気もひりひりと機嫌が悪くなっていく。
当然職場の雰囲気が最悪なものになった。
同僚たちに八つ当たりしないだけましだが、硫黄さんの顔や言葉の端々に険悪なものが出て、周囲が萎縮してしまった。
硫黄さん自身にもそんな態度を取っている自覚があるようだ。自制せねば、と一膳飯屋「満腹」でぼやいていたのだが、それはじわじわと悪化していった。
決定的に悪化させてしまったのは、家宅捜索の三日後に硫黄さんのもとに返された牛攻たちが原因だ。
いわく、牛攻にしつけがされておらず、訓練でさえ目標を見誤る。用途にたえられない、とのこと。
納品したものを突っ返される。
しかも仕様書通りのもので、硫黄さんに対して困ったもんだ、と苦い顔をしていた年嵩の職人までもが表情を強張らせていた。
もう誰も硫黄さんをなだめる気にならなかった。
それでもせめて、硫黄さんにいやな思い出を連想させる話題は避けよう、という申し合わせが起こった。そのおかげで、私に対する家宅捜索関連の言葉がけも、自然と避けられるようになっていったのだ。
おかげで私はひとりで過ごすことが増え、自然と来年の品評会のことを考えられるようになっていた。
――欲する結果が見えている。
ではそうするために、なにをすればいいのか。どう風を研ぐか。どんな準備をするか。
私は品評会に向け、打ちこみはじめていた。
ふっと気がゆるむと、色々な事柄が脳裏をよぎっていく。
その大半が月子さんのことであり、一途くんのことであり、眠っていた化けもののことだ。
それを雑念だ、と断じるほど、私の意識は品評会に向いていた。
私だけでなく、職場の全員が品評会に参加を義務づけられている。
出なきゃならないから、というものと、結果に結びつけたいものとがいる。
仕事は暇で、ついつい机で考え事をしてしまう。
悩んだ末、私は品評会に向けて動きたい、と同僚たちに話を通した。
昼食で月子さんと顔を合わせるものの、それ以外では彼女を誘わなくなってしまった。「満腹」で簡単に品評会のことを話しておいた。
くわしくは硫黄さんから話がいっているらしく、さみしそうな顔をしていたが、月子さんは文句をいわなかった。
どこかで埋め合わせを、と思うが、風研ぎの案を練りはじめると、品評会が終わるまでそうもいっていられないのでは、と焦ってくる。
これまでぼんやりしすぎていて、品評会を目指すには私は着手が遅かった。
考えた私は、職場にまとめての休暇を申請した。たやすく受理され、めでたく私は年明けまで登庁しないことになった。
さあこれで一気に遅れなどなかったことにしてやる、と思っていたところに、一二三さんが自宅を訪ねてきたのだった。
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