第27話 青年、向き合わなければならないこと

「いやですね、皮剥さん。そんな、なにをしにきた、といわんばかりの顔をなさらないでください」

 その手にはやはり銀魚の綱がにぎられている。

「……なんというか、はい……どういったご用件で」

 私に用があるとも思えず、どうにもそっけない声が出てしまった。

「散歩のついでです。その後いかがです?」

 あっさりした平服なので、そうか散歩か、と納得しておく。

「大海くんですか? 連絡はないですが」

 こたえながら、ああ一途くんと連絡を取っていないか監視でもされているのかもしれない。そんなひねくれたことを考えてしまう

「昼間にご在宅とは思いませんでした」

 その日、いっそもう離れを作業場にしようと思い立った。朝から私は準備に取りかかっていたところだ。

「まとまった休みをもらったんです」

「おや、どこかにお出かけですか。旅行でも?」

「来年に風研ぎの品評会があるんです。働きながらだと、なかなか準備が進まないんです。考えもまとまりにくいですし」

「なるほど。それはそうと、お友達が離れに滞在されている間、たくさん紙を買っていらっしゃいましたね。家を調べさせていただいたときに、そこまでたくさんの紙はなかったとか」

「こまかいところまで見ているんですねぇ」

 感心した声がこぼれた。

「書いたものは残っていないのですか?」

「残っていません、そこまで考えをまとめられていませんし」

 いかにも品評会に向けての思案を重ねていた、という取り方のできることをいってみる。方便も大事だ。

「どんなものを考えて?」

 一二三さんの意図が見えず、ただただいやな気分になっていく。

「それはいえません、まだ試作品もつくっていませんが、案がどこかに流れたら困ります」

「私を信用できないと?」

 銀魚がふわふわと飛んでいく。どこかにいきたいようで、一二三さんは綱を放した。

「信用というより、ひとは価値があると思わないといろんなものを軽んじます。私の案に価値を見出せますか? 知ったら大切に扱ってくれますか?」

「……信用できない、ってことじゃないですか」

 ふてくされたような声に、私は笑ってしまった。くどくどしくいったが、たんに私は一二三さんに案を話したくないのだ。

 紙だって、化けものと一途くんと一緒に消えてしまった。

 いや、消える前から、紙は減り続けていたのだ。化けものが処分できるはずもないのに、減ったままになっている紙の数に私は頓着していなかった。

「一二三さんだって、私のことを信用できないでしょう?」

「それが私の仕事ですから」

 しれっという一二三さんが連れてきた銀魚は、睡蓮鉢をのぞきこんでいた。

「これ、いけないよ」

 睡蓮鉢の水に顔をつけていた銀魚が、濡れた顔面をこちらに向ける。

 なにやら懸命に咀嚼していた。口元には藻がついていて、ちゅるり、と口腔に吸いこまれる。

「これはすみません、こらおまえ――」

 さすがに慌てた様子で一二三さんが睡蓮鉢に駆け寄る。

 私はなるほど、と胸のうちでつぶやく。

 ちょくちょく一二三さんはこのあたりにきていたのだ。それでおそらく睡蓮鉢の藻の減りがはやかった――勝手にあの銀魚が食べていたのだろう。

 一二三さんに綱を引かれて、藻をつまみ食いした銀魚はほけきょけきょ、と楽しげに鳴いた。彼のしつけは、どうやらそんなに厳しいものではないようだ。

「あそこにいた金魚はどうしましたか」

「べつのところに移動してます。冬場はおもてに出せないらしいので」

 ふうん、と一二三さんの白くかたそうな髭がそよいだ。どこに移したか、離れの家宅捜索もしているのだからわかっているだろうに。

「銀魚は寒さは平気なんですか」

「ふだんから室内飼いです。けっこう手間がかかってしまって」

「仕事もお忙しいでしょうに、大変ですね」

 他意はなかったが、一二三さんはいやそうな顔をした。

「……今回空振りでしたので、私もいまは休暇中です」

 ふてくされた声だ。

「硫黄さんに話してもかまいませんよ」

 つい噴き出した私をじろりと睨み、主がそうするからか、銀魚が私に向かっていやな声でぼへっと鳴いた。

「それにしても、わざわざ休暇を取って風の研究ですか」

 一二三さんの問いにこたえるか迷った。

 仕事相手でもないのにこたえるのか、と思い、また仕事相手ではない一二三さんとの世間話ならこたえてもいいのでは、とも思う。

「……前に、品評会で銀賞を……いただいて」

 私は話すことにした。やましいことはないし、休暇中同士ではないか。

「おかげで……給金がちょっと上がったんです。友達と飲みにいく小遣いが増えたようで、楽しかった」

「大海氏にも振る舞っておいででしたね」

「ええ、まあ。それで、今回欲が出て……」

「欲?」

 照れてしまい,私は一二三さんから目を逸らした。

「もし――もしも金賞が取れたら、小遣いよりは多目の金額が増えるんじゃないかと」

 品評会の結果は、確実に給与の査定に影響する。

「ああ……そうですね、もしかしたらそうかもしれないですね」

「飲み代よりも多いなら……所帯を持って、かみさんとやっていける額なんじゃないかと」

 安定した仕事だが、先がどうなるかわからない。

 私はきっかけがほしかった。

 収入が増えたので、と切り出すきっかけだ。

 相づちは聞こえない。

 一二三さんを見ると、私のほうを見ていない。そんなに退屈な話だったかと後悔すると、彼は私を一瞥した。

「そういう大切な話は、私ではなく直接彼女にしたほうがいい」

 私の家につながる道を、大きな風呂敷包みを下げた月子さんが歩いてきていた。

 できると確証のあることではない。ぬか喜びになりかねない――きっと月子さんは、そう心配するくらい喜んでくれる。急にそう思った。

「水を差してよろしいか」

 いやだな、と思うが、こたえる前に一二三さんは口を開いている。

「雑種をおつくりになるのか」

 ああ、確かに水を差す言葉だ。

「私は純血主義の家に生まれております。いずれ同族と結婚するでしょう。いろいろありましたが……私はあなたの腕を評価しています。きっと純血を守り続ければ、風研ぎの優れた血族になるでしょう」

 異種婚ともなれば、どちらの血も持った、どちらかに姿の似た子が産まれることになる。もしくは両親の姿が混じり合ったものが。混じったものは忌避される風潮の根強い土地もあるそうだ。

 どうなるかまだわからないが、身をかためるならかならず直面する事態だった。

 道の先、月子さんがこちらを気にしつつ歩いている。私と一緒にいる一二三さんをうかがっているようだ。

「もしそうなら」

 私は両親の顔を思い浮かべた。

 父は貸本を担いで諸所を渡っている。母は漬けものをこさえては、朝市の露天で売って小銭を稼いでいる。異種婚ではない。どちらも栗毛と黒毛の差があるだけの、のんびりした馬の夫婦だ。

「風を研ぐのが好きな、優しい母親に似たいい子になるでしょう」

 突然、一二三さんが呵々と笑い出した。発作のような笑いに驚いたのか、道の先で月子さんが足を止め、銀魚も動きを止めている。

 一二三さんの笑いの波はすみやかに退いていた。

「……前途のおしあわせを祈らせていただきます。私はこんな仕事です、お会いしないほうが、きっといいでしょう。なにより、私は硫黄さんに嫌われていますからね」

 銀魚の綱を引き、一二三さんは微笑んだ。

「これは邪臭を嗅ぎ取ります。もうあなたから邪臭はしていないようです」

「それは……」

 硫黄さんから以前聞いた単語だ。

「化けものには独特のにおいがあります。だから邪臭。においを覚えた銀魚は少ないんです。覚えさせる対象を、なかなか手に入れられないので」

 今日はこの銀魚、確かにほぎゃあと鳴いていない。

「なるほどぉ」

 すごい魚だ。

 月子さんと入れ替わりに一二三さんは帰っていった。

 それからはもう、あのほぎゃあという声を聞かないし、聞こえた気にもならなかった。



 風研ぎの邪魔はしない、と月子さんは料理でいっぱいのお重を置いてすぐ帰ろうとしたが、私は母屋に誘った。

 一緒に食事をするなか、月子さんは牛攻を飼いはじめた、と楽しそうに話した。

 突っ返された牛攻は、硫黄さんのお宅の庭にある池に放しているそうだ。

 そこには元々亀が飼われていて、いまのところは喧嘩もせずに共存しているのだとか。

 月子さんの家と硫黄さんの家はおなじ敷地に建っているといってもいい。牛攻を引き取って以来、月子さんが面倒をみているという。

「一度、牛攻の子が亀に針を出したんです。でもうちの亀、団子なので」

 亀にも幾種類かあり、団子と呼ばれる亀は身をまるめて防御ができる。害意のあるものが寄っただけで、察知して勝手に身をまるめ出すのだ。

 温厚な気質ということもあり、防犯の一助として団子を飼うお宅は多い――庭のあるようなお宅で、という制限がつくが。

「団子の甲羅には、針は通じないってわかったみたいで。それっきり、針を出さないんです。ほんと、牛攻ってかしこいですね」

「そうですか。仲良くできるといいですね」

「今度、皮剥さんも見にきてやってください」

「ぜひ。ここの庭も、もしできるなら池をつくろうと思っていて」

「それじゃあ、敷石もいろんな色を使いましょうよ、にぎやかで楽しいですよ。おじさんのとこの池、地味なんですよ」

 楽しそうにしている月子さんを前にしたら、俄然池をつくろう、という気になっていた。権利がべつの誰かのものなら、そのひとに許可をもらえるようお願いすればいいのだ。

「池をつくるとき、月子さんにご意見たまわりましょう」

 かしこまっていうと、月子さんはころころと笑う。それはただの笑い声なのに、楽しくなれるものだ。

 せっかくだし、と私は月子さんに話をする。

 一二三さんにもした話だ。

 ところどころつっかえる。

 言い直したくてしょうがなくなる。

 顔が熱くなっていき、やっぱりいわなきゃよかったかな、と後悔する。

 ひとり先走ってはいないか、もし月子さんがいやな顔をしたらどうしようか。私は話しながら、じっと自分の足元を見つめていた。

 ――金賞を取れたら、と雲をつかむような。

 話す間不安でしょうがなかったが、言葉が終わって私はおそるおそるとなりにいる月子さんを見る。

 私の話を聞いてくれた月子さんは、見取れるような笑顔を浮かべていた。

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