第28話 青年、ともだちのはなしをきく
年が暮れていくある日の深夜、一途くんが舞い戻った。
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夜の竹林を吹く風は冷たく、私はもう一枚下着を重ねてくればよかった、とひどく後悔していた。
両手に黒い布包みを抱え、私は社に向かっている。
そこは以前犬の子供を追いかけていた、荒ぶる蔓が住まいにしている社だ。
竹林の合間にある敷地に足を踏み入れると、それらしきものが身をふるわせるように顔をのぞかせる。
「失礼します」
小声で挨拶し敵意も邪臭もない私を、蔓は警戒しなかった。
私はこれから、あちらへの道を潰そうとしている。迷いはなく、そうするのがせめてもの手向けだ。
一途くんはあちらとこちらの行き来の方法を確立していた。
離れの風呂場、その風呂桶に金魚を移しつつ、彼はその水場に通路をつくっていたのだ。これまでに一途くんは、いくつかそんな通り道を確保していたようだ。
はじめて私が化けものを拾った日、飲み屋街で一途くんと酒を飲んでいた。そこで硫黄さんと顔を合わせ――一途くんは私と別行動を取った。
硫黄さん共々、彼は驚いて逃げていったのだと思っていたが、あれはそうではなかった。
隠していた化けものを移動させようと、一途くんは野暮用だといって消えたのだ――一途くんはあのとき、べつの場所に眠る化けものを隠して私と会っていた。硫黄さんに会って驚いたのは確かで、それで逃げたように見えたが、実際は最初から別行動を取るつもりでいたそうだ。
自分の求める化けものに会うための算段のひとつとして、一途くんは私が拾ったあの化けものを、あちらからさらってきていたのだという。
――あちらにいくと、姿が歪むといっていた。
つい昨日のことだ。
離れの風呂場に現れた一途くんの姿は、ひどく歪んでいた。
溶解しつつあり、終わってしまうのだと言外に私に伝えてくれていた。
「僕は目当ての場所にいく方法を見つけた……え、縁を持てばいいんだ」
冬だというのに、ちょっと暑いね、と彼は笑う。苦しそうな笑顔で、私の返答は無言の笑みでしかない。
もう彼は――あちらとこちら、どちらがわの生きものでもない。くり返しくり返しあちらとこちらに滞在し、一途くんはもうどちらにも属さなくなったのかもしれない。
一番最初は偶然あちらにいっていた。
それからは気ままに往復し、化けものに焦がれることになった一途くんは、あちらから戻るときにたまたま落としものをしてしまった。
それはちょっとした手拭いだ。次にあちらに向かった一途くんは、忘れ物のある場所へと出ていたのだという。
そこに残された一途くんの品は、そのままそこに残されていた。
それが縁だ。
縁をたどり、おなじ場所にたどり着ける。
「だから、僕は」
一途くんはすっかりほそくなった指で、渡した湯飲みをさすった。
なにを渡していいかわからず、私は彼の好きな酒を注いでいた。においをかぎ、一途くんは少し口にふくむ。困ったような顔をしていた。自分の変化を理解しているのかもしれない。
「ごめんね、皮剥くん」
彼は最初から私を使うつもりでいたのだ。
「どうしても、あのひとに会いたい」
もしかしたら、あちらというのは猛毒なのかもしれない。
だから往復しただけで、こんなにも歪んでしまっている。
そして猛毒の国からきた化けものは、周囲をおかしくする。毒でも歪みでも、いくらでも呼び名はある。
その残り香が、銀魚の嗅ぎつける邪臭なのかもしれない。
「きみが拾ってくれたちいさい化けものは……会いたいひとの、身内なんだ。ちいさいのを確保できれば、か、確実な……縁を、持てると」
間違っているとも、正しいともなんともいえなかった。
ただ一途くんが歪んで、私は悲しかった。さみしかった。
「だから……あの子の品を持って、あちらにいってみた。品が導いてくれて、あの子の家に……いけた」
一途くんは嬉しそうに笑う。
「あのひとがいた」
その口角が、ぐずりと溶けて落ちそうになる。
「でもね、あのひとは……あの子がいなくなって、悲しんでた」
そのひとが悲しんでいるから、やっと一途くんは自分のしたことに罪の意識を覚えたのだという。
それまではなんとも思わなかった。
ちいさな化けものが身内だと突き止めるまで、求める相手の近くに寄る道筋を得るため、幾度も幾度も通い続けたのだ。
もとからあちらにいき、戻らないつもりだった。
求める相手への確実な縁としての、あのちいさな化けものだ。
自分があれこれ動く間、一途くんは居場所を確保せねばならなかった――それで私を選んだらしい。
「きみは……おひとよしだから、頼めば、きっとって」
声が上擦っていた。
罪悪感など持たないでいい、と彼の肩を揺すりたくなる。
一途くんは冷たい風呂場の風呂桶の淵に腰を下ろし、ちらちらと水のなかを気にしている。そこはあちらにいくための通り道がある。
いくつか確保したものの、もうほとんどの場所が使えなくなり、残っている場所は風呂場をふくめて二箇所のみだと教えてくれた。
一緒にのぞきこむと、風呂場の底に透明の板があった。ガラスに似ているものだ。
「でも、すぐきみも……化けものにあてられたみたいで、世話をはじめて……ほんとに、すまない」
あれは化けものの毒のせいなのだろうか。ろくにものを考えず、ただぼんやりと世話をしていた。
「で、で、でも、たすか……ちゃった」
はああ、とため息をついた一途くんからは、もう水の青いにおいはなかった。
一途くんはふところから油紙の包みを取り出した。
受け取ってなかを開くと、ちいさな化けものの絵手紙がいくつか入っている。私の目には、なつかしく映るものだった。
「これね、これが……縁になる。これ、あのひととあの化けものの住所だよ、名前と住所……もう、あの子は家に帰したよ。あの子がいなくても、もう平気だから……」
何度も化けものが残していた、絵手紙に添えられていた紋様だ。
これが化けものたちが使う住所か。ならば、あちらでも手紙のやり取りなどがあるのかもしれない。
そういった余計な話をする余裕はなさそうだった。
一途くんから湯飲みを受け取り、私は風呂場の床に置いた。
「これで、会いに……会えるんだ」
油紙の包みをふたたびふところにしまった一途くんが浮かべたものは、とてもしあわせそうな笑顔だった。
ぐずりぐずりと一途くんののどが鳴っている。前には、げこりといっていたはずなのに。
「ぼ……ぼく、僕は……方法を、見つけたんだ、皮剥くん」
「……うん」
「縁を、持つんだ。縁を持てば……」
これで何度目か。
おなじ話を、一途くんは戻って以来くり返していた。
歪みは徐々にだが、確実に一途くんを変えている。溶かしている。壊している。
あちらの猛毒は、それでも彼を苦しめずに幸福そうに笑わせている。
朝まで私は風呂場で凍えながら、その話に耳をかたむけた。
腕が落ち、足が落ち、首が落ちるまで、ずっと嬉しそうに話していた。
一途くんはきっと、化けものに取り憑かれて、そのときから焦がれ壊れてしまっていたのだろう。
最後に一途くんは水になって消えた。
ほんとうの水なのか、毒水なのかわからない。
一部は排水溝から流れていき、一部は風呂桶の水に混ざった。そこにいた金魚たちに変わりはなく、一途くんが消えるとややあって鳴きはじめた。
一途くんはただ消えていなくなった。
残された衣類や油紙の包みは、私が持っていた化けものの最後の絵手紙や地図と一緒に燃やして灰にし、やはり水に流して処分した。
火にくべるとき、これがあれば私もあの化けものと縁が持てるのか、とわずかな時間逡巡した。
逡巡はまばたきをするごとに薄れた。
その代わり、月子さんのことを思い出していた。
風呂場の底にあった透明の板も、処理に迷った後、火にくべた。
こんなもので、どうしたらあちらにいけるのかわからない。私が水のものでないからかもしれない。
燃えなかったらどうしようかと不安だったが、その板も火に弱かったようで、あっという間に真っ黒な燃えかすになった。
手元に残った灰は、もう縁でもなんでもない。
おひとよしだから、と一途くんは話していたが、彼が私を選んだのは――近しく感じてくれていたからじゃないか、と思うことにした。
自惚れかもしれないが、私はもう一途くんには会えない。
正解をもらうことはない。
だから、自分が嬉しいものを選ぶことにした。
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