第7話 青年、呑まれる

 蔦子さんは話し好きで物怖じしない性分らしく、しゃなりしゃなりとした女中たちにもどんどん声をかけていく。

 料理が並べられていくと蔦子さんは歓声を上げた。

 素材の切り方がきれい、盛りつけがきれい、器がきれい、ついでにお姉さんたち肌きれいねぇ、と。

 確かにそうだ、蛇の女中たちの肌はつるつるだ。

 華族に連なる蛇の旧家が運営している老舗である。高官の会談に頻繁に使われるという話も聞くし、一方平民の祝いごとにも席を開放してくれるのだ。私にすれば敷居は高いものの、どことなく身近にも感じられた――緊張してしまうが。

「こんな一見さんなんて、お店にご迷惑じゃありませんか」

「とんでもないです」

 女中が配膳していくが、物音が一切しない。器を置くときでも、ことりともいわなかった。

「お嬢さまの成人のお祝いだとうかがっております。お祝いの席に選んでいただけるなんて、光栄なことでございます……おめでとうございます」

「あ……ありがとうございます」

 月子さんが照れたような顔をした。

 その横、私はこくこくと頭を上下させる。

 それにしても、親類での成人のお祝いにお邪魔するなどいいのだろうか。すでに席に着いておいて、私はひどく恐縮していた。

 料理が並び座敷に私たちだけになると、硫黄さんの音頭で乾杯となった。ここからは砕けた席、という合図のようであり、私はそっと長いため息をついていた。

「成人したんだ、月子もお酒飲んでみるか?」

「果実酒も出してくれてるから、月ちゃん飲んでみて。口に合わなかったら無理しないでね、おじさんが飲めばいいんだから」

 赤い色の果実酒が、月子さんの前にあるガラスの器に注がれている。

 口元に運び月子さんは鼻先をそよがせる。対面する席にいる私のところにまで、甘酸っぱい芳香が漂ってきていた。

 おずおずと一舐めして、月子さんは明るい顔をした。

「……おいしい」

「おお、こりゃ月子もいける口かな」

「そりゃそうよ、うちの家系みんなうわばみじゃないの」

 そうなのか、とこくこくうなずきながら、私は手にした猪口に口をつけた。するりとのどに流れこむ酒の感触に、嬉しくなってくる。

 大小色取り取りの皿に、美しく盛りつけられた料理が並んでいた。

 それぞれの説明が先ほど女中によってされていたが、どれも私の知る煮魚や炒めものとかけ離れていた。よく飲みにいくときの肴と違い、たたずまいが静かだ。

 場を華やかにさせる料理を前にし、女性陣の顔がほころんでいる。

 大皿に盛りつけられた料理を私が取り分けはじめると、女性陣が慌てたように腰を浮かせた。

「そんなこと、うちの亭主にさせればいいのよぉ」

「ご、ごめんなさい、私なにもしないでいて……」

 同時に上がった声に、私は笑った。

「月子さんのお祝いなんですから、どうぞ楽に気をつかわないでください」

 青菜と白身を取り分けた皿を渡すと、月子さんは消え入りそうな声で「ありがとうございます」という。

 おとなしい娘さんだ――次いで硫黄さんに皿を渡そうとすると、にんまりとなんだかいやな笑みを浮かべていた。

「……若い子相手だと、ずいぶん気が利くじゃないか」

「え? いえ、そんな」

 お祝いだし自分はどうにもここにいるには浮いているし、で正直居心地が悪かった。せめてなにかしていないと、肩身が狭くなって息苦しいのだ。

「やぁねぇ、気の利かないおじさんがなにか言ってるわぁ」

 蔦子さんも大皿の料理を取り分けていき、あとは各自に配膳されている小皿をつついていくことになった。

 そっと私の真横にすり寄るようにした硫黄さんが、耳元で囁いてくる。

「……で、どう?」

「あ、おいしいです。今日はありがとうございます」

「そうじゃなくてさ……ほら」

 おいしいねぇ、と料理に舌鼓を打つ女性ふたりを、硫黄さんはちらりと一瞥した。

「と、いいますと」

「月子だよ、月子」

 囁き声に、私は首をかしげた。

「どう? 月子、かわいいと思う?」

 私は月子さんを見る。

 みっしりとさわり心地のよさそうな毛に覆われている。暗い茶の体毛に、赤や黄の花が散らされた振り袖がよく似合っていた。はにかむ姿など確かに愛らしい。

「まあ、その……はい。おいしそうに食べるし……」

 硫黄さんは笑った。悪い笑顔だ、というのが私の感想だ。

「そうだよなぁ、誰が見てもそうだよなぁ」

 私の返事は間違ってはいなかったらしいが、言い方を間違えたかもしれない。

 なんともなしに前を向く。

 そこにはゆっくり果実酒を飲み、にこにこと楽しそうな月子さんの顔があった。

 そういえば、私を誘うとき硫黄さんは「品評会できみを見てから、ちょっと気にしてるんだ」と話していた。

 風研ぎに興味があるわけではなさそうだ。そういった話は、庭を眺める間一切なかった。

 目が合うと月子さんはすかさず逸らす。

 なんだかおかしな間合いになっている気がする。

「品評会にいらしていたと、硫黄さんからお聞きしました」

 私は思いついた質問を彼女に投げた。しかし品評会など二年も前のことで、いまさら持ち出されて月子さんも迷惑かもしれない。こちらから振ることのできる話題に乏しく、なんだか申しわけなくなる。

「もしかしたら、会場で顔を合わせていたかもしれませんね」

 月子さんが肩をふるわせ、それ以上にふるえた声で返事をしてくれる。

「あ、あの、入賞……おめでとうございます。あ、あのとき皮剥さんが……風を扱っていらして、その……とても……」

 月子さんがうつむいてしまう。質問を間違えた、とあせる私を、硫黄夫妻がいやな笑みで眺めている。

 たぶん、おそらく、もしかすると、これは浮いた席で――浮いた話のなかに私はいるのかもしれない。

 もう飲んでいる酒の味を感じなくなっていた。

 彼女が私になにがしかの興味を持ったのは、間違いないかもしれない。

 途切れ途切れになって月子さんが語るに、品評会で風研ぎに打ちこむ私がとても素敵だったそうだ。

 そんなそんな、はあ、そうですか、とんでもない――適当な相づちを打っていたが、だらだらとへんな汗をかいている。

 どうにも居心地が悪くてしかたない。

 だが月子さんに邪険な態度を取るのは違っている。

 この席で聞いた限りでも、彼女の印象では、私はひたむきに職務に打ちこむ品性高潔な青年となっているらしかった。

 わざわざ否定するのもどうかと思う間にも、うまいが味を感じなくなった酒を注がれるままに流しこみ、硫黄夫妻のにやにや顔をやり過ごす。

 そのうち、はにかみながら話をしてくる月子さんを、かわいらしいと思うようになってしまった。

 思ったらそこで最後だ。

 頭に血がのぼってしまった私は、それこそ酒の味どころか肴の味もわからなくなって、なにを話しているかもわからなくなった。

 正直なところ、女性と親密になったことは、学生時代以降とんとないのだ。

 ましてやその学生のころ、私はこっぴどい振られ方をしている。

 恋愛沙汰など、こちらから遠ざかっているといってよかった。同僚や友達に花街などに誘われても、断ってしまうありさまになっている。

 料理の大半が片づいたころから、私の記憶は曖昧だ。

 月子さんにみっともないところは見せたくなかったので、酔っていると気取られないよう必死になっていたことだけやたら鮮明に覚えている。

 翌日が休みでよかった。

 朝遅くに起きた私は、廊下に万年床を引っ張り出し、半分だけ着物を脱いで眠る自分に向き合う羽目になった――ひどい頭痛と共に。

 やはり化けものはこんこんと眠っていて、酒臭い酔漢の無様さをさらさなくて済んだらしい。

 そこだけは安堵できた。

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