皮剥青年、化けものを拾う
日野
第1話 青年、化けものを拾う
化けものを拾った。
つい先ほどまで、雨が降っていた。
道端のちいさなそれは、ぐっしょりと濡れている。
その上ふるえていて、こちらを警戒しているのがわかる――警戒しているから、動かないでいるのか。
警戒しているようだが、とくに危険のなさそうな相手に思われた。
こちらになにか危害を加えるように思えないのは、それの身体の大きさが私の腰くらいまでしかないからかもしれない。
警邏を呼ぶか迷った挙げ句、私はそうしなかった。
化けものを手招いてみる。
「……怖く、ないよ」
ただ相手がこちらをどう感じているのか、そこは私にはわからない。危害は加えない、とそこは保証できるのだが。
「おいで」
それはふたつの目らしきものであちらこちらをうかがい、やがて私のほうによたよたと近づいてきた。
私は化けものを横目にし、数歩進む。
足を止めていた化けものを、また手招いてみる。
やや間を開け、化けものは着いてきた。
そこからはもう手招かなくとも、化けものは私のあとに続いてくれた。
「この先だからね」
あとに続く弱い足音に耳をかたむけ、私はことさらゆっくりと夜道を進んだ。
ただでさえ少ない近隣の人家が消え、減る一方の街灯が途切れるところがあり、その少し先に私の家はある。雨上がりとあってか、通行人はなかった。
道が真っ暗になると、化けものは進むのに躊躇を見せた。私はかまわず進んだ。静かな道に、私ひとりの足音が響く。
振り返ると、化けものとの間に距離が開きはじめている。
化けものは足を止め、首を巡らせていた。なにか迷っているかのようだ。私に着いていくか、そこを考えているのだろうか。
しばらくそうしていた化けものは、意を決したのか、止めていた足を動かしはじめた。
ぬかるみを踏み水音を立て、私を追ってくる。
そこから私の家まですぐだ。軒にヒカリゴケを植えてあるため、遠目にも目印のようになっている。視界に認めると、なんだかほっとする光景である。
「ここだよ」
建てつけの悪い玄関の引き戸を開け、私は化けものになかをしめした。
化けものはおずおずと玄関に入り、私もそうする。
私は玄関からおもてに顔を出し、やってきた道を一瞥した。
私が化けものと歩くところから見ていただろう、夜道にいくつかの白い顔――龍虫が浮かび上がっている。
雨のときに現れるものだ。
すでに雨は上がり、あれらは消える頃合いだった。まるで化けものと私を見送るようだ。あれらは警邏を呼ばないし、告げ口もしない。
私は離れに明かりがついていないことも確認した。ずっとにぎっていた傘を置き、三和土で手を二度鳴らして家の明かりをつける。
化けものは声を上げた。
そのか弱い鳴き声は、驚きをはらんでいるように私には聞こえた。
化けものは自分の両手を見、次いで天井の明かりを見る。
その様子になんだか得意な気分になって、私はまた手を二度鳴らす。明かりは消え、家は暗くなった。ふたたび手を鳴らして明るくなると、化けものはきょろきょろと廊下を見回していた。
「どうぞ、上がって」
爪先にはめていた蹄鉄を玄関に落とし、私は廊下を進んだ。
もう当たり前のように化けものは着いてきている。私との距離が開くのをきらうような歩調だ。
茶の間へのふすまを開け、なかを指差すと化けものはそこに入った。
私は流しに向かう。
飯びつに残っていた白米を茶碗に盛り、干物や漬けものを適当に皿に並べ、茶の間に取って返す。
私が食べるものを化けものも食べるのか、確信はない。
茶の間では座布団を抱えるようにし、化けものは横たわっていた。
「大丈夫?」
眠っているのか――化けものも眠るのか。
私たちが立てるような寝息を立てている。
化けものは色々と私たちと違うようにも見えるが、かたちは違えど衣類を身に着けているし、態度からして生活様式もほとんど変わらないのではないだろうか。目の前でそうやって眠る姿を見て、急に私は安心していた。
私は急須をかたむけ、すっかり冷たくなった茶を湯飲みに注いだ。朝に支度して、そのままにしていたものである。
化けものの衣類は変わったかたちをしているが、見ているうちに私たちの身に着けるものと大差ない気がしてきた。
印象からしてそれは女児と思しきものだが、私は化けものの顔の判別に自信が持てなかった。
これは雄なのか雌なのか。
おとななのか、子供なのか。
いまはちいさいが、大きくなったりするのか。
出先で食事は済ませており、とくに腹は減っていないものの、私は手持ち無沙汰に漬けものをかじる。
同僚が分けてくれた漬けものだ。うまい。なにか食べたら、化けものもうまいと感じるのか。
「年齢も性別も、もしかしたらないかもしれないなぁ」
つぶやきに、化けものが目を覚ますことはなかった。
自分たちの尺度で測ろうとするのは、危険かもしれない。私たちの持つ枠組みにはめれば、きっと安心できる。理解の及ぶものだと、そう思えるだろう。
だが勝手に安心しているうちに、途方もないなにかに変化してしまうかもしれない――おなじ部屋にいることが耐えられないほどの、異様なものに。
化けものは正体の知れないものなのだ、警戒していたほうがいい。
そう考えていると、化けものがこちらに対しておなじく警戒する様子を見せていたことを思い出した。
「おたがいさまかな」
一度家に上げてしまった以上、このちいさな化けものを追い出すのはなんだか気が進まない。
私の声に目を覚ます気配はなく、こんこんと化けものは眠っている。
起こさずに済みますように、と願いながら、私は思い切って手をのばす。
化けものの頭部に生えている、さらさらとした黒い毛にふれてみた。
とても心地よい感触がした。
化けものは頭部以外には毛が生えておらず、指先で押してみると、そちらはやんわりとへこんでいった。へこみはすぐ元通りになる。
短い毛に覆われた私の皮膚とだいぶ違う。
私の手のひらは毛が生えていないが、つるつるした化けものの肌はだいぶ違う質感だった。私の黒々とした手のひらはかたく、艶やかにてかっている。化けものの肌は対照的だが、似た質感の友人を私は思い出していた。いろんな
化けもののひたいに手のひらを押しつけてみた。じわりと手のひらが温められていく。
予想しなかったくらいに温かい。
化けものというのは、眠ると熱を発するのだろうか。ついさっき家に上がったときより、顔のあたりも赤くなっているようだ。
「これは冬場にいいなぁ」
冬までこの化けものが私のもとにいるのか不明だが、湯たんぽのように抱えて眠るところを想像した。
重宝しそうだ。
声を出さずに笑ってから、私は立ち上がって隣室へのふすまに手をかけた。
となりは寝室を兼ねた私室であり、書棚と万年床が延べてあるだけのものだ。
万年床の横に来客用の布団を敷く。
丁重にもてなす来客はこれといってなく、郷里の両親が訪れたときくらいにしか使っていない。日干しはするが、しまったきりになっていたものだ。
いくら化けもの相手とはいえ、そのへんに転がしておくのはどうにもすっきりしない。
抱え上げても起きない化けものを運んで寝かせ、私もとなりの万年床に潜りこんだ。
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