第16話 私は星が恋人ですから
「富永さーん、お願いしといたプレゼンの資料なんだけど変更することになったからよろしくな」
金曜の午後四時。あと一時間で退社時刻となるタイミングでドアを開けて入ってきた課長の声が聞こえた。
「また変更ですか?あの内容で社内のコンセンサスは取れてたはずですよね?」
「あぁ。でも競合してる他社が新技術を出してくるって噂なんだと。ウチが勝つには現行のシステムの信頼性を高めて少しばかりの目新しさも組み込まなきゃダメだってのが本部長の考え。というわけで大変だけど頼むな」
上には逆らえないとばかりに課長は話を続けた。
「今日中に仕上げるぞ。晩飯は俺が出してやる。あとで牛丼特盛買ってきてやる。だからみんなも頼むぞ」
とは言うものの、内容からして電車があるうちに終わらないのは明らかだ。
佐和は机の引き出しから手帳を取り出すと、小さなため息をついて今日の日付に書かれた「オリオン座流星群」という文字を大きくバツで消した。
大学に進学した佐和は宇宙工学を学び、卒業後は一部上場の大手企業であるこの会社に就職し七年目。
天文関係の仕事に就くという彼女の夢は実現したわけだが、現実はそんなに甘いものではなかった。
星などほとんど見えない東京の本社で毎日パソコンと向かい合う日々。
たまに地方の研究施設に出向いては実験を繰り返し、データを収集しては本社に戻って入力と解析を繰り返していた。
そんなある日の昼休みのこと。
自分のデスクでスマホをいじりながら手弁当を食べていた時、とある記事が目に留まった。
「へぇー、新しいプラネタリウムがオープンしたんだ……」
それは都心のターミナル駅近くにある商業施設の中に新しくプラネタリウムがオープンしたという記事だった。そのプラネタリウムは立地を活かして映画のレイトショーのように夜遅くまで投影をしており、会社帰りのサラリーマンや都会の恋人たちで賑わっているという。
「行ってみよっかな」
佐和は小さく呟いた。
☆
「それじゃあお先に失礼しまーす」
「お、佐和ちゃん今日は早いね。もしかして彼氏とデート?」
主任の石堂が興味津々な顔で声を掛けてきた。
「違います。残念ながらデートする相手もいませんから」
「お、そうだったな。こりゃ失礼」
「いいんです。私は星が恋人ですから」
「そりゃあもったいない話だ。佐和ちゃんなら何とでもなりそうなのになぁ」
石堂は腕を組んで考え込む。
「おっと、ヤバいヤバい。こんなのもセクハラになっちゃうんだろう?懲罰対象になるとこだった。ゴメンゴメン」
「うふふ。そうですね。気をつけてくださいね」
石堂は佐和と同じ大学出身ということで就職活動の頃から親身に相談に乗ってくれていた。
そんなこともあり佐和が入社し同じ部署に配属されてからもあれやこれやと心配してくれて、頼れる兄貴分といった存在なのだ。
「インディゴタウンに新しくできたプラネタリウムに行ってこようと思ってるんです」
「おー、あそこな。うん、なかなか良く出来てるぞ」
「石堂さんはもう行ったんですか?」
「うん。こないだの休みにカミさんと行ってきた。星の色とかまでよく再現されてたなぁ。カミさんも『綺麗ね』って言ってたよ」
「へぇー、そうなんですね。楽しみだなぁ」
「で、ところで佐和ちゃん、彼氏とじゃないってことは友達と行くのかい?」
「いいえ。ひとりですけど。何か?」
「ん?あ、いや、うん、ほら、とてもキレイだからそういうのって誰かと共有したくなるじゃん?」
「まぁ、そうですけど。でも星が見れるならひとりの方が気ままに見れるかな、私の場合は」
「そっか。ならいいんだけどな」
そう言うと石堂はスッと佐和に近づいて耳元で囁いた。
「佐和ちゃんさ、あんまり『ひとりひとり』って言わないほうがいいぞ。若い子たちの間で『富永さんは男嫌いだ』とか『GLが好きで若い女子社員を狙ってる』とか『いやいやアレは鋼鉄の処女だ』とかあることないこと言われてるんだからさ」
「はぁ?!」
あまりの言われように思わず大きな声を出してしまう。
「でもさそれは嫉妬でもあるんだぜ。佐和ちゃん可愛いからさ。それなのに彼氏がいないのはおかしい、絶対なにかあるってわけ」
「はぁ……」
大きなお世話だ。人の恋愛なんてほっといてくれ。それよりも早く仕事を覚えて一人前になってくれ。そう思う。
確かにこれまでの人生、恋とか愛とかとは無縁の人生を送ってきた。
夜空の星を見ていれば幸せだったし、天文関係の仕事に就きたいとただひたすらに勉強をして志望する大学に入学し、今のこの会社に入社することができた。
でも仕事仕事に追われ、遅くまでパソコンと向き合う日々。都会の夜空では一等星がかろうじて見える程度。
そして気がつきゃ三十歳目前。
このまま何事もなく歳を重ねて定年まで勤め上げていくのだろうか。
「ありがとうございます。気をつけます。ではお先に失礼します」
心配そうな顔をした石堂に笑顔で一礼すると、佐和は事務所を出ていった。
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