第27話 情熱
「藤村選手、お待ちしておりました。代表の守屋です。本当によく来てくださいました。どうぞよろしくお願い致します」
改札口を出たところで初老の男性に呼び止められた。彼が宙にオファーした本人だ。
「藤村です。お世話になります」
固く握手を交わす。
「それではまずは事務所へご案内します。車で来てるのでこちらへどうぞ」
ふたりは左方向へと歩き出した。
「あ!」
数歩歩いたところで宙の足が止まる。
「どうかされましたか?」
不思議そうに守屋が尋ねる。
「この曲……」
宙が振り向き耳を澄ます。
「あぁ、駅ピアノですよ。コンコースにピアノか置いてあるんです。誰でも弾けるようになってるんで、誰かが弾いてるのでしょう。僕の教え子たちもたまに弾いてるみたいなんですよ」
元教師だという守屋は優しい表情を浮かべた。
「さぁ、行きましょうか」
「あ、はい……」
守屋の言葉に宙は少し名残惜しそうな顔で再び歩き出した。
☆
「東京や大阪と違ってこんな地方の小さな都市には何も無いんです。駅前はそこそこ栄えていても車で五分も走れば、ほら、こんなふうに山や畑しか無いんです。子どもたちは大きくなると皆大都市へ行ってしまう。だったら若者たちがこの街を愛してくれるようにするにはどうしたらいいんだろうってあれこれ考えてみたんです。そこで思ったんです。『そうだ、Jリーグクラブを作ろう!』とね。私はガキの頃からサッカーが大好きでね、特にヨーロッパのサッカーは夢中で見てました。いつの日かバルサやバイエルン、マンチェスターユナイテッドみたいに、この街のスタジアムが満員のサポーターで埋め尽くされて住民たちが皆チームの勝利に酔いしれる光景を見てみたいんですよ。ま、スタジアムといってもまだメインスタンド以外は芝生席の市立陸上競技場しかないんですけどね」
車を運転しながら守屋は彼の想いを熱く語っていた。誰もが絵空事のように思える話だが、人柄のせいだろうか。守屋が話すと不可能ではないように思えてくるから不思議だ。
「だからぜひヨーロッパフットボールの熱さを経験している藤村選手に来てほしかったんです。それに近くには万能の湯と呼ばれ、湯治で有名な温泉郷もありますし、木島先生というすご腕のチームドクターもついてます。きっと藤村選手の身体のケアにも効果があるはずです」
陸上競技場のある運動公園を通り過ぎると守屋は左ウインカーを出した。
「さぁ、着きましたよ」
そこには小さなプレハブ小屋がポツンと建っていた。
「もともとは私の自宅が事務所を兼ねていたんですが、スタジアムの近くの方が何かと都合がいいのでここに移転しました。土地は友人に頼んで年間一万円で。この建物は僕の教え子がモニターということで無償で貸してくれました。地元の皆さんに支えられているクラブなんです。
僕がこの街にJリーグクラブを作ろうって言い出した時は無理だって言われたんですけど、長く続けているといつの間にか沢山の人が応援してくれて……。だからそんな皆さんのためにも絶対にJリーグに昇格したいんです」
「……」
宙は黙って聞いていた。守屋の熱さがジンジンと伝わってきた。
☆
「藤村選手には申し訳ないのですがいかんせん地方の零細クラブなもので、肩書としてはコーチ兼任で若い子たちにいろいろと教えてやって欲しいんです。それからウチのチームドクター、木島先生の診療所で助手として働いてもらいます。働くと言っても車の運転とかお手伝い程度。少しでも先生の治療を受けてもらいたいんです。足首さえ良くなればまだまだバリバリできると私は信じているので」
ベルギーリーグの開幕戦で足首に受けたタックル。半年間の療養で完治したはずだった。どんなに強くボールを蹴っても何度も何度もダッシュを繰り返しても痛みが出ることはなかった。でもいつまで経っても足首の違和感は消えることはなかった。
そして宙のプレイから輝きが消えるとそれに比例して出場機会がどんどん少なくなっていった。さらには次第に痛みも再発するようになり、出場時間はせいぜい15分ほど。かつての『ベルギーリーグMVP』という看板を期待して契約をしても15分しかパフォーマンスできない日本人選手にポジションは無く、契約更新には至らずに各国のチームを転々と渡り歩いてきた。そんな中、ジョゼフは宙の人間性を高く評価してくれていたが、宙自身はプレイヤーとしての可能性を捨てられずにいた。
そんな彼に届いたオファー。一部でも二部でもない、言うなれば五部リーグのチームからだったが、宙の復活を信じる守屋の情熱が彼をこの街へ導いたのだった。
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