第23話 三十歳

――私、頑張れてるのかな。仕事は一生懸命やってるけど……。

あの夜、藤村くんに「頑張るから」って言ったのはこういうことだったのかな……。


不意に呼び起こされた遠い日の記憶。佐和は自問自答する日々を送っていた。

相も変わらず夜遅くまでパソコンに向き合い、仕事を終えると黒とグレーで満たされる電車に揺られ三十分。

一等星しか見えない夜空の下を歩き誰もいない冷たい部屋に帰ってゆく。これを繰り返し何年経っただろうか。


「ただいま。…………おかえり」


独り言のようにつぶやくと佐和は部屋の電気もつけずにスーツのままベッドに倒れ込んだ。仰向けになって真っ暗な天井を見つめた。


「ねぇ藤村くん、私は頑張ってるのかな? 今の私はどう見えるのかな?」


声に出して言ってみる。


「あ、昨日私の誕生日だった。自分の誕生日さえも忘れてた。ははっ、三十歳だよ。ねぇ……。文化祭楽しかったなぁ。そういえば最近声出して笑ってないなあ。ねぇ、藤村くん、あなたはどこにいるの?また会いたいよぉ……」


みるみるうちに両目に涙が浮かび、やがてこぼれ落ちていった。



「お疲れ様でした。今日もこれから会社に戻るんですか?」


午後四時過ぎ。仕事を終えた佐和に男性スタッフが声を掛けた。

今日は半年に一度の出張で長野に来ていた。何時に仕事を終えようとその日のうちに東京の職場に戻るのが佐和のスタイルだった。新幹線を使えばここから二時間半ほどで到着することができる。


「いえ、今日はやめときます。明日は休みだし、たまにはのんびりしようと思ってホテルも予約してきたんです」


予期せぬ答えに男性スタッフが笑みを浮かべた。


「はぁー、良かった。ウチのスタッフで話してたんですよ、富永さんは働きすぎだって。なんか来るたびに疲れた顔してるって」

「え、そうなんですか?」

「そうですよ。なんか悲壮感さえ漂ってましたから」


悲壮感と言われ佐和は苦笑いするしかなかった。


「そうだ!もし良かったら今夜の観測会来てくださいよ」

「観測会?」

「えぇ。まぁ観測会って言っても駐車場に望遠鏡を並べてご近所の皆さんに星を見てもらう会なんですけどね」

「ヤナさん、豚汁!豚汁!」


横から別のスタッフが口を挟む。


「そうだった!町内の奥さん方が豚汁を振る舞ってくれるんです。これがまたメッチャ美味しいんです」


楽しそうに話す顔を見てると何だかウキウキしてきた。


「ぜひ参加させてください!」


男性スタッフたちがびっくりするほどの大きな声がフロアに響いた。

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