第22話 先の人生
「コンコン」
開いたままの扉をノックすると、部屋の奥に置かれた大きな机に背を向け、後ろ手を組みながら窓の外の景色を眺めていた男が振り向いた。
「あぁ、ソラか。忙しいとこわざわざお呼び立てして申し訳ない」
男は宙に近づくと大きな右手を差し出す。握手を交わすと部屋に置かれた黒いソファへどっかと腰を下ろした。本革だろうか、ところどころ擦れて地の色が見えてきている。
「ところで何の用だい? ジョゼフからの突然の呼び出しなんてあまり居心地のいいもんじゃないんだけどな」
「まぁまぁ、人のことを悪魔みたいに言うなよ」
人の良さそうな笑顔で男は答えた。
男の名前はジョゼフ・ガストリッチ。宙が所属する東欧のある国の2部リーグのクラブCEOだ。
CEOといっても規模も予算も僅かな万年下位クラブなので、街の建設会社社長が本業の傍ら兼務している。
宙はベルギーのクラブを離れてからも日本には戻らず、ヨーロッパでのプレイを続けていた。と言ってもかつて所属していたような一部リーグではなく二部や三部で、契約も1シーズンでの満了を繰り返していた。どのクラブにおいても必要な選手とは認められずにいたのだ。
「なぁソラ、どうだいウチのクラブは?」
両足を大きく広げ、ソファに深々と座ったジョゼフが尋ねる。
「あぁ、いいクラブだ。冬の寒さは相当堪えるが、この街は暖かい人ばかり。何より俺みたいな他所者にもとても良くしてくれるよ」
「それはソラの人徳だろ?ベルギーでMVP取ったのに偉ぶることもなくソラは本当にナイスガイだって選手もスタッフもみんな言ってるぞ」
「それは有難いことだな。でもホントこの街の人には感謝してるよ。もちろんジョゼフにもね」
宙がパチリとウインクした。
「ところで今日来てもらったのは相談があってな……」
深く腰掛けていたジョゼフが神妙な面持ちでグッと身を乗り出した。
「ソラ、君さえ良ければこの先ずっとこの街で暮らしてみないか?」
「え?何だよ、いきなり」
ジョゼフからの予期せぬ言葉に宙は戸惑いの表情を浮かべる。
「君のフットボールへの姿勢はもちろんだが、その人間性も素晴らしいものがある。この三年見ていてそう思った。君も来年で三十歳だ。そろそろ先の人生のことを考え始めてもいいだろう」
「先の人生?」
「あぁ。ソラがこの街に残ってくれるならいずれは娘と、マヌエラと結婚して跡取りとしてこのクラブを支えてほしいと考えている」
「……」
「どうだ?考えてみてはくれないか?」
「…………」
長い沈黙のあと、宙が口を開いた。
「…………ありがとう、ジョゼフ。でも僕はまだ自分の夢を諦めてないんだ」
「自分の夢?」
「あぁ。フットボーラーとしてもう一度みんなを幸せにする夢だ」
「フットボーラーの形はひとつではないだろ?今だってソラはこの街の人たちを幸せにしてるじゃないか?」
「でもさ、約束守らなきゃいけないんだ。ジョゼフだって約束は守るだろ。社長として、CEOとして」
「もちろんだ。人として当然のことだ。一体ソラは誰とどんな約束をしたっていうんだ?」
「もう遠い昔のことさ。もしかしたらそんな約束のことは忘れてるかもしれない。でも泣いてばかりの子だったから彼女を笑顔にしてあげたいんだ」
宙は右手の小指を見つめながら言った。
『それにさ、約束を守らないと俺、針千本飲まなきゃいけないし』
不意に日本語で呟く。
「『ハリセンボン?』おいソラ、何て言ったんだ」
「約束を守らないと針を千本飲まなきゃいけないんだよ」
「は?何だそれ!」
「ジャパニーズ トラディショナル カスタム だよ」
「クレイジーな国民だな。俺はそんな国に生まれなくてよかったよ」
ハッハッハッとジョゼフが笑った。
「実はな……」
そして少し残念そうな顔で話しだした。
日本のとあるクラブから宙の身分照会が来ているそうだ。つまりは移籍のオファーだ。日本人である宙への日本のクラブからのオファー。宙のことを人としても高く評価してるジョゼフは彼に残ってほしいのだ。
「このクラブ知ってるか?」
ジョゼフが書類を差し出す。
そこには初めて聞くクラブの名前が書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます