第19話 届かぬ声

@八年前 ベルギーリーグ開幕戦


「ハァ ハァ ハァ」


異国の地のスタジアムに向かい息を切らして走る佐和がいた。

道行く人を避けながら走っているが、体力も運動神経も人並み以下の彼女は大柄な現地の男性に少し当たっただけで吹っ飛ぶように倒れてしまう。

それでもスクっと立ちあがると「SORRY!」と言いながらペコリと頭を下げ、再び走り出した。


大学三年生になった彼女は、昨シーズンのリーグMVPを獲得した宙のプレーを見るために大学の夏休みを利用して単身ベルギーにやってきたのだった。ベルギーリーグは毎年七月に開幕し翌年四月まで十八チームによるホーム・アンド・アウェー方式で行なわれる。

ホテルで手配してもらったタクシーで試合会場に行く手はずだったが、どういうわけか到着したのは別の試合会場。大急ぎで目的地までのルートを調べて、ようやく宙のチームの試合が行われているスタジアムにつくところだ。


汗まみれになりながら入場すると、どうやらハーフタイムのようで青いユニフォームを着た老若男女が上機嫌で溢れかえっている。佐和はサポーター達の間をすり抜けるように観客席への階段を駆け上がる。三階まで上がり、

電光掲示板に目をやると、前半を終えて1対0。宙の所属するチームがリードしていた。


しばらくするとハーフタイムを終えて選手たちがピッチに戻ってきた。

観客の声援が大きくなる。あちこちで指笛が鳴らされすごい盛り上がりようだ。

メインスタンドの佐和は入っくる選手たちの背番号を目で追っていた。十一人目に背番号10が見えた。宙だ。高校二年生だった四年前より身体がひと回り以上大きくなっていた。


「藤村くーん!」


その背中に向かって佐和が叫ぶ。

ありったけの力を込めて叫んだがその声は周囲の大歓声にかき消されてしまう。


「ダメだ。届かないや……」


佐和が諦めかけたその時、宙が足を止めた。そして振り向いて観客席をぐるりと見渡すと親指を立てた右手を高く高く掲げる。そして背を向け小走りでピッチへと去っていった。



その試合、相手チームの徹底マークにあった宙は何度も執拗なタックルを受けてピッチに倒された。それだけ警戒しなければいけない選手ということだ。

そして後半開始直後、悪夢の瞬間が訪れる。


味方からのパスを受けた宙が反転してドリブルをしようとした時に、背後から激しいタックルを受け交錯して倒れ込んだ。スパイクの裏を向けた危険なタックルを足首に受けたのだ。さらに大柄な相手選手にのしかかられるような体勢になり、宙の足首はスタンドの佐和からもわかるほどありえない方向に曲がっていた。

騒然とする場内。相手選手はレッドカードで一発退場となったが、痛みに顔を歪めた宙は立ち上がることが出来ず、「うぅー」とうめき声を上げながら足首を押さえ悶絶している。駆け寄ったチームメイトがベンチに向かって頭の上で両手を大きくクロスさせる。担架が運び込まれ、宙はそのまま途中交代となった。



「藤村くんっ!!」


宙がピッチに倒れ込み、主審が強く笛を吹くのとほぼ同時に佐和は大きな声を上げた。

苦悶の表情を浮かべ脂汗を流しながら担架で運び出されると、佐和は三階席の最前列まで駆け降りフェンスのバーをギュッと握った。

そして再びチカラいっぱいに叫んだ。


「藤村くん!! 藤村くんっ!!」


何度も何度も。


「藤村くーん!! 藤村くん……ふじむらく……ん……」


名前を呼びながら涙が溢れ出す。やがて彼女の声は声にならなくなり、宙の姿が見えなくなると膝から崩れ落ちた。


「富永さんを絶対笑顔にしてあげるから」

あの日交わした約束は果たされることなく、佐和はわずか数分の観戦でスタジアムを後にした。


宙の怪我は腓骨骨折と靭帯損傷と診断され全治6ヶ月。

年が明け復帰すると試合終盤の短い時間から試合にも出場するようになったが、以前のような輝きを見せることはなかった。

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