第29話 トラウマ
「佐和さん、木島先生からサッカーの試合のチケット貰ったんですけど一緒に行きませんか?」
佐和が仕事を終え、帰り支度をしていると、向かいの席の真帆が声を掛けてきた。真帆は佐和の五歳下。この街で生まれ育ち、若いながらも顔の広さは科学館のスタッフの中でも一、二を争うほどだ。他所から来た佐和ともすぐに打ち解け、ウマが合うのか佐和を姉のように慕っている。
「Jリーグじゃないし、その下の下のカテゴリーなんですけど、結構楽しめますよ。ゴールが決まったりするとすっごい盛り上がるんです」
真帆はとても楽しそうに話す。
「ね!行きましょ!私が案内してあげますから」
まるで遠足にでも行くかのような真帆の笑顔を見ていると二つ返事でOKしたくなる。
「真帆ちゃんゴメン。私、サッカー駄目なの……」
「あ、佐和さん、もしかしてオフサイドわからない人ですか? だったら大丈夫です!私がしっかり解説してあげますから」
ドヤ顔が妙に可愛い。
「ううん、違うの」
「え?じゃあ、何が駄目なんですか?」
「あのね、怖くて見れないの……」
初めての海外旅行、初めてのサッカー観戦で遭遇したあの光景。
ありえない方向に曲がった足首、見たことのない宙の苦悶の表情とうめき声。
あの日以来、佐和はニュースのスポーツコーナーでサッカーの映像が流れると画面を消していた。ワールドカップで周りがどんなに盛り上がろうとも見ることはなかった。
ベルギーで見たあの光景が完全にトラウマになっていたのだ。
「そんなことがあったんですか……」
佐和の話を聞いた真帆は深刻な表情を浮かべた。先程までの楽しそうな笑顔は消えている。
こんな表情の変化ひとつにしても、人に寄り添う真帆の優しさが滲み出てるなと思った。
「うん、ごめんね。もう昔のことなんだけどね。でも思い出すと胸が苦しくなっちゃうんだ」
「佐和さんはその人のことが好きだったんですね」
「うーん、好きだったのかなぁ。私、そういうの苦手だったから考えたこともなかったけど、一緒に過ごした時間は今でも大切な想い出だね」
「もしかしてずーっとその人のことを思い続けてて……、だから結婚とかしないんですか?」
「違う違う!そんなんじゃないよ!」
右手をブンブンと振って否定する。
「で、その人とはその後どうなったんですか?」
子犬のような純粋な瞳で聞いてくる。
「うん、それっきり。会ってないしどこにいるのかもわからないの。噂ではヨーロッパを転々としてるらしいんだけどね」
「えぇーっ、そうなんですか……」
今度は捨てられた子犬のような瞳になった。
「そんなー、真帆ちゃんが悲しくならないでよ。私なら大丈夫。なんたって星が恋人だから!」
そう言ってから小さくため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます