第15話 指切りげんまん

一月下旬の土曜深夜、自宅の玄関前で天体観測をする佐和の姿があった。

白く長い屈折式の天体望遠鏡は彼女の貯金とお年玉で購入したばかり。小さい頃からの憧れの機材に、晴れた日には毎夜星空を堪能していた。

この日は接食という現象が見られるということで、準備万端で臨んでいた。天気は快晴。放射冷却でどんどん気温も下がってくる。一月下旬ともなれば冷え込みはかなりのものだ。


「はぁーっ」


ゆっくり息を吐くと目の前に白く広がり消えていった。


「顔がぴきぴきするなぁ」


夜空を見上げて呟いた。


「でもスキーウェアにして大正解だわ」


スキー好きの両親の影響で小さい頃から家族旅行で毎年スキーに行っていた。寒さ対策にはこれしかないとスキーウェアを着込んでいたのだ。


「フッフッフッ。さすが私だわ」


自らの会心の寒さ対策に酔いしれる佐和だが、真っ白なモコモコしたスキーウェアを着て天体望遠鏡を覗き込むその姿は宇宙飛行士のようでもあり、住宅街ではかなり異様であった。


夜空に輝く星を月が隠すのは星食と呼ばれるが、月が星をギリギリ隠すのが接食である。見える範囲は非常に限られ、月の地形によっては星が明滅する様子を見ることが出来る。今夜は佐和の自宅付近が観測可能エリアなのだ。望遠鏡で見ると月と星がどんどん近づいてきている。まもなく接食が始まりそうだ。佐和は緊張しながらも一体どんな様子が見れるのだろうと期待に胸をふくらませてその時を待った。

と、その時、


「あれ?富永さん?」


人気の無い深夜の住宅街で佐和を呼ぶ声がした。

いきなり名前を呼ばれ「びゃー!」と意味不明な声をあげてしまった。

振り向くと不思議そうな顔でこっちを見ている宙がいた。


「ふ、ふ、藤村くん!ど、ど、どうしたんですか?」

「いやぁ、明日ベルギーに出発なんだけどなんだか落ち着かなくてさ。軽くジョギングしてたんだ。それより富永さんはそんな怪しい格好で何やってんの?」

「え?怪しい……ですか?」


宙の指摘に戸惑う佐和。


「うん、怪しい。職務質問されてもおかしくないレベル。ま、富永さんらしいちゃらしいけど」

「ど、ど、どういう意味ですか!」

「まぁまぁ。おっ、望遠鏡じゃん。スゴいね。これ富永さんの?」

「えへへ。スゴいでしょ?先週買ったんですー」


ご自慢の望遠鏡のことを聞かれ鼻高々になる。


「月とか土星の輪とか見えるの?」

「もっちろーん!クレーターとか見えるんだよ。見せてあげるね」


完全にキャラが変わっている佐和。ルンルンで望遠鏡に手をかけ操作しようとした瞬間に「おわぁ!」と叫んで崩れ落ちた。


「どした?大丈夫?」

「せ、せっ、接食がぁ……」


佐和が上機嫌で話している間に月は星を追い抜いていた。


「クックックッ」


冷たいコンクリートの上に座り込み両手を着いた姿勢で肩を震わす佐和。何が起こったのか訳がわからずにいた宙が口を開いた。


「何笑ってんの?」

「泣いてるんですっ!」


佐和は事の一部始終を説明した。


「ありゃ、そうだったんだ。ゴメンゴメン」

「いや、藤村くんは悪くないですよ。声かけてくれただけですもん。私が調子に乗ってペラペラ浮かれて喋りすぎちゃったせいです」

「それにしてもほんと富永さんて星のことになるとまるで別人だよね。教室では一言も話さないのに」

「あははっ、そうですね。自分でもよくわからないんですけど、みんなそれぞれの推しについて聞かれたら熱く語っちゃうじゃないですか。私にとっての推しは星なんです。だからつい……」

「なるほど。そういうことね。普段話さないから余計極端に感じちゃうんだな」

「はい、人と話すのはあまり得意ではないので……」

「でもさ、俺と話しててどう?」


宙の言葉に佐和は口をつぐみ空を見上げた。そしてゆっくりと視線を宙に向けた。


「……楽しいです。文化祭の準備でプラネタリウムの星を見ながら話していた時なんて最高でした」


あの時を思い出すと今でも自然と笑顔になる。


「だったらもっといろんな人に星のことを教えてあげたらいいんじゃない?望遠鏡を買うほどじゃないけど星のことを好きな人ってたくさんいると思うよ。ていうか星のことを嫌いって人なんて聞いたことないし。

俺はサッカーでプロになって活躍したいっていうのが第一だけど、いいプレーでチームメイトや家族や応援してくれる人を笑顔にしたいんだ。だからいつか試合を見に来てよ。富永さんを笑顔にしてあげるから」

「はい。絶対に見に行きます。楽しみにしてます」

「それじゃあ富永さんは星で誰かを笑顔にしてあげること。いい?」

「いいですよ」

「よーし、じゃあ約束な。ほいっ」


ポケットから右手を出すと手袋を外し小指を差し出した。


「ええっ、指切りですか?」

「約束といえばコレだろ」

「わ、わかりました」


佐和も手袋を外すと宙の小指に同じように小指を絡めた。その瞬間冷え切っているはずの指がぽぉっと熱を帯びるのを感じ、鼓動が早くなる。


――な、何?


ドキドキあたふたしてる佐和の心の内を知ってか知らずか、宙は屈託のない笑顔で腕を上下に降り出した。


「指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ぉます 指切った」


絡めた指が離れてゆく。佐和にはスローモーションに見えた。


「じゃあ元気で。またね」


そう言うと宙はくるりと背中を向けて走り出した。


「えっ?あっ……」


佐和は唇を噛んでその場に立ち尽くしていたが両手の拳をギュッと握ると全身の力を出すかのような声で叫んだ。


「ふ、藤村くーん!ありがとう。私も負けないくらい頑張るからー!だからいつかまた会おうね!」


それを聞いた宙は立ち止まりサムアップした右手を高く掲げる。そしてまたゆっくりと走り出すと住宅街に消えていった。

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