第32話 宝物

ボサボサの長い髪を無造作に後ろで束ね、顔の下半分は無精髭に覆われている。威圧感のある風体だ。

月あかりに照らされたその姿を見て、佐和はその場に立ちすくむ。


「あれっ?あの、これって俺が勝手に操作しちゃっていいんですかね?」


固まったまま動かない佐和を見て、男はその外見に似合わない優しい口調で尋ねた。


「高校の時、同級生の女の子がこれと同じような望遠鏡を持っていましてね。それ以来だなぁ、望遠鏡で星を見るのなんて」


男は嬉しそうに望遠鏡に触れる。


「……それ、私」


固まっていた佐和が感極まった声を絞り出す。


「は?」

「だからそれは私なんです!」

「え?」

「私ですよ、私!富永です!富永佐和です!私のこと忘れちゃったの?藤村くんっ!!」

「…………嘘っ? あの富永さん?」

「はい……」

「マジ?えっ、何でこんなところにいるの?何やってんの?スゴい偶然だね。いやぁスゴいなぁ。びっくりしたぁ」

「……バカ」

「え?」

「バカ、バカ、バカ! 藤村くんのバカ!」

「ちょ、ちょっと何だよ?」

「バカ……バカ…………。心配してたんだから。それなのにいなくなっちゃってさ……」

「……」

「ずっと心配で心配で……。それにずっとずっとずっと会いたかったんだから……」

そう言いながら佐和は両手をグーにしてポカポカと宙を叩いた。猫パンチ並みの強烈な攻撃だ。

宙はひとしきりパンチを受け切ると、両手でふわりと佐和を包み込んだ。

「ごめん。ありがとね」

耳元で囁かれると全身の力が抜けていくのがわかった。涙が止めどなく溢れてくる。嗚咽しながら肩を震わせていると、宙が不思議そうに顔を覗き込む。


「何笑ってんの?」

「泣いてるんですっ!」


☆☆☆


「なんか思い出しちゃいますね、文化祭のときを」

「俺さ、向こうでクラブをクビになってこれからどうしようかなって時に……」


宙が空を見上げた。つられて佐和も顔を上げる。


「いつも北極星を探してたんだ。北極星を見ると自分の進む道がわかる気がしてさ。ほら富永さんが教えてくれたじゃん、昔の人たちは北極星を目印にして航海してたって。だから北極星を見つけては元気もらってた。それに……」

「それに?」

「……うん。そのたびに富永さんのこと思い出してた。まだサッカー辞められないなって。俺のプレーで富永さんを笑顔にしなきゃって、ね。針千本飲むのは嫌だなぁって」

「私も……。あれから勉強がんばって志望する大学入って、小さい頃からの夢だった天文関係の仕事に就いたんですけど、なんか描いていたものとは全然違ってて。流されそうになると藤村くんのこと思い出してました。そして『私全然頑張ってない。約束守れてない』って。いつか藤村くんに会ったら針千本飲まされちゃう!?って思ってました。だから転職してこの街の科学館で働いているんです。約束守ったんですよ」


少しばかりドヤ顔になる佐和。


「じゃああのときの指切りは無駄じゃなかったってことだね。お互い約束守ったし、めでたしめでたしだ」

「そうですね……いや、違います!私はまだ藤村くんにサッカーで笑顔にしてもらってません」


少しばかり口を尖らす佐和。


「え?今日の試合見てないの?」

「はい。だってまさか藤村くんがこんなところにいるなんて知らなかったし、あの日の……藤村くんが怪我した試合を見てから、怖くてサッカー見てないんです」

「それってベルギーの話?」

「はい。開幕戦で……」

「もしかしてあの日、スタジアムに見に来てくれてた?」

「はい。ちょっと手違いがあって後半からになっちゃったけど。そしたらすぐに藤村くんが倒されて……」


宙は腕を組んで少し考える。そしてゆっくりと話しだした。


「やっぱりそうか……。あの日、ハーフタイムが終わってピッチに戻ってきた時に富永さんの声が聞こえた気がしたんだ。だから俺振り向いてスタンドを見たんだけどお客さんがたくさんいて見つけられなかった。でも、声はしっかり届いてるよっていう意味でサムアップしたんだ。前にも言ったろ?俺、富永さんの声が大好きだからさ。あれだけの観衆の中でもちゃんとわかるんだよ」

「嘘?そんなことあるわけない……」

「ホントだよ」

「……」

「うん。だから今ここでこんな近くで声が聞けるなんて幸せすぎる」


笑みを浮かべて目を閉じると、宙は大きく息を吸った。


「あぁ、落ち着くなぁ、富永さんの声」


そう呟くとそのまま佐和の方へゆっくり倒れ込む。


「ちょ、ちょっと、藤村くんっ!」


両手で必死に押し返そうとしたが小柄な佐和にはどうにもならなかった。結果、宙を膝枕する格好になった。


「ねー藤村くんってばー」


戸惑いながら肩を揺すると「すぴー」と微かな寝息が聞こえてきた。


「えーっ、寝てんの?」


佐和が顔を覗き込むと宙は穏やかな顔で眠っていた。それはまるで小さな子どもが宝物を見つけたかのような嬉しそうな表情だ。


「ねえ、風邪ひいちゃうよ。まったくもう、しょうがないなぁ」


肩を揺すっても起きる気配がないので佐和はそのままの体勢で空を見上げた。秋の澄んだ空気で星たちがキラキラと輝いている。風もなく穏やかな夜だ。

半年ほど前までは来たこともなかったこの街で、ずっと会いたかった人と再会し、星空の下でこうして一緒にいる。まるで何かに導かれたように……。


「うん、きっとそうだね」


佐和は小さく頷くと北極星を見上げた。


「私達を導いてくれたんだよね。ありがと」


と同時に競技場の照明が落とされ、星々が輝きを増した。


「藤村くん、会いたかった……」


膝枕で眠る宙の耳元で囁くと佐和はそっと唇を重ねた。


☆☆☆


「クシュンっ!」


佐和の小さなくしゃみで宙は目を覚ました。辺りは照明も消えて暗闇に包まれていた。


「あ、ごめんね、起こしちゃいました?」


すぐ近くから聞こえてくるその声に安堵する。


「富永さん?」

「はい?何ですか?」

「良かった。本物だ。一瞬夢かと思った」


すくっと起き上がるといきなり佐和を抱きしめた。


「ちょ、ちょっとぉ、何なんですか、いきなり?!」


突然のことに動揺してあたふたする。


「あのさ、俺決めた。これからずっと富永さんと一緒にいる」


抱きしめたまま宣言する。


「え?な、な、何言ってるんですか!

だ、だいたい人の気持ちも考えないで……。そんなの自分勝手過ぎます」


眠っていた宙に勝手にキスした自分のことは棚に上げて、徹底抗戦を試みる。


「あれ、知らなかった? ストライカーはみんなエゴイストなんだよ」


「そ、そんなこと知りませんっ!」


「じゃあ、また会えなくなってもいい?」

「……」

「それでいいの?」

「……」

「ん?」


宙が佐和の顔を覗き込む。まるでシマリスのように頬をぷっくり膨らませて下を向いている。


「……やだ」

「え?何?」

「やだやだやだっ!ずっと一緒にいたい!」


それを聞くと宙は右手を上げ、スリスリと佐和の頭を優しく撫でた。そして、


「良く出来ました。じゃあ、はい」


と言って右手の小指を差し出した。


「ええっ、また指切り?」


戸惑う佐和の右手を掴むと半ば強引に小指を絡めてゆく。


「指切りげんまん 富永さんはこの先ずっと俺と一緒にいたいって言ったから、ずっと一緒にいなきゃだめ〜 嘘ついたら針千本 飲ーます 指切った!」


「何それー!字余り過ぎて歌になってないですよぉ!」

「あははっ。ジャパニーズトラディショナルカスタムだよっ」


ふたりの笑い声が秋の夜空に広がっていった。



おしまい☆

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北極星 ―彼と彼女の道しるべ― きひら◇もとむ @write-up-your-fire

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