夏の森

「着きましたね。ここが『夏の森』です」


 三人は森を見上げて息を飲んだ。


 木漏れ日がいい塩梅に差し込み、夏らしい日差しの強さを和らげているだけでなく、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 ジニアの庭にもあったアオギリの木でできた森だったので、他の木で構成された森よりも一層涼しい空間を作り出している。


 陽太くんもいたらきっと一緒に大はしゃぎで鳳凰を探そうとしたかもしれない。


 そう思い返すと胸がチクリと痛みハッとした。


 随分懐かしい痛みだと思ったことが、更に自分を驚かせているのにも気がつく。


 いつの間にか気分が落ち込んだりふさぎ込むことが少なくなっていたのではないか? もちろん良いことなのかもしれないが。


 ジニアとモモに視線が移っていく。


 これはきっと二人のおかげに違いないだろう。


 今までひとりぼっちで十年近く引きずってきた痛みだったのに、こんなに一気に頭の隅に追いやれてしまっていたことが驚きだった。


 出会ってからもう数年経ったような気分だ。


 もし真くんと仲良くしていられたなら、夢のように胸の痛みが少なくなっていくのだろうか。


 もし目が覚めても夢の中のようにしていられるのかな。


 そう思っていた矢先、腕にチクリとした痛みが広がる。


 虫に刺されたにしては鈍い痛みだ。


 次に呼吸がしづらくなってきたので毒虫だったのではないかという不安が胸に広がり、息苦しさとのダブルパンチで意識も朦朧としてきてその場に倒れた。


「ヒロくん!」


 森林浴をしながらゆったりしていたジニアとモモが咄嗟に駆け寄り、状態を確認しているのがわかるが、体が思うように動かない。


 いつになく焦っているジニアのことが心配でたまらない。心配されているのは自分の方なのに。


 なんてことを思いながら心の中で自嘲気味に笑うと、ようやく目を開けることができた。


「ああ、良かった! 良かった……」


 恐怖に染まっているジニアと、心配で目に涙をいっぱい浮かべて一つも言葉を発せないでいる様子のモモが視界に入る。


 一体何が起きていたのか頭の中で整理しようとしていると、腕に感じた痛みを思い出した。


「そうだ、ここに毒虫がいるかもしれないんだ。僕、さっき腕を刺されたみたいで……」


 そう言って腕を確認する僕の目線を追って、二人も一緒に腕に注目してあちこち見てみたが、それらしい痕は一つもない綺麗な肌をしていた。


「あれ? 確かにここにチクっとした痛みが。今はなんともないけど、おかしいなあ。ちょうどこの血管のあたりなんだ。そういえば呼吸がしづらかったのに今はなんともないや。どうしちゃったんだろう」


 訝しげに首を傾げていると、ジニアは真っ青な顔のまま黙って見つめ、モモはいつものポジションで泣きついていた。


「ひゃあ!」


 いきなり声をあげたものだからモモが驚き、飛び上がらせてしまった。


「ど、どうしたの!?」


 ジニアは驚きもせず不安そうな顔でこちらを見守っている。


「足に何かが。足の裏なんだけど、這ったような」


 しどろもどろになりながら靴を脱いで足を確認したが、虫もなにもいなかったので一安心した。


 ジニアは足を見て少しだけ安心した表情に戻り、モモは虫がいないか念入りにチェックしていた。


「……いないみたいよ」


「ありがとう。でも、どうしちゃったんだろうね。確かに痛かったし這ったような感触があったんだけど。途中で息ができなくて倒れちゃったりもして。心配かけて本当にごめんなさい」


 しょんぼりとした様子で謝り、落ち込みながら自己卑下しそうになっていると、ジニアは微笑みながら嘘偽りのない純粋な気持ちで、ありったけの愛情をこめて言葉をかけた。


「無事なようで本当に良かったです。本当に良かった。生きててくれてありがとう」


 嬉しすぎて涙が出そうになりながら、ジニアに見られまいと顔をそらす。


 モモはというと、虫を見落としていないかまだ警戒しているようだった。


「モモちゃん、ありがとう。多分僕の勘違いだったんだと思う。ありがとね」


 そう言ってモモをなだめると、少し頬を膨らませて不満そうに何か言おうとしていたが、何も言わずに警戒するのをやめたようだった。


「時間を取らせちゃったみたいでごめんね。この森ってもしかして全部アオギリでできてるの?」


 照れくささと気まずさに負けて、話を逸らすついでに気になったことを質問するとジニアは柔らかく微笑みながら頷いた。


「ここならひょっとしたら鳳凰を見つけるなんて簡単かもしれないね。いや、むしろ難しいかもしれない。なにせ止まる可能性のある枝がこんなにたくさんあるのだから」


 ジニアの返しにドキッとしつつも、この木の逸話は有名な話だったのかもしれないとも思わされるのだった。


 ジニアくんの庭にあった木と同じだよねと口にしようとするも、話すタイミングが被ってしまって聞きそびれてしまうのだった。


「次は『春の層』へご案内しますね。この森を抜けた先に下降専用エレベーターがあります。ちょうどこの道なりにあるので行きましょう」


 聞きたいことがなかなか聞けないぞ。


 いつになれば聞けるタイミングが掴めるのか悶々としつつ、ジニアの言葉を受けて足元を見ると、草むらが綺麗にわかれて土がむきだしになっている道が見て取れた。


 まるでモーセの奇跡のようだ。


「誰かが道を作ったんですか?」


 思わずそう聞いてしまうほどのものだった。


 ジニアは考えていることを察してか、少しおどけたように両手を上にあげて、僕があけたんですよーというものだから不意を突かれて笑い転げた。


「あははは。ジニアの奇跡だ!」


 笑いが落ち着いてくると、ジニアは一つ息をつき、いつものような微笑みを浮かべながら説明を再開してくれた。


「本当のところは『夏の層』の花人があけてるんです。迷子になってしまうことが多いので」


「なるほど。確かに、道がなければ僕も迷子の一員になっていそうだなあ。どこを向いても綺麗な景色だもの。そういえば、ジニアくんと王女様以外の花人には会ってないけれど、どんな人達なの?」


 今更だと思われるかもしれないけど、と頭をかきながら聞いてみると、ジニアは意味ありげな笑みを浮かべた。


「居住区と植物区が別れていて、僕たちは植物区を主に歩いているんです。居住区は王女様に謁見するときと僕の家に行くときしか通ってないんですよ。あまり花人が多く住んでいるわけでもないので顔を合わせていないだけなのもあります。後できっと顔を合わせることはできますよ」


 いつも丁寧に答えてくれることにお礼を言った。


「そうだったんだ。いつも教えてくれてありがとう」


 いつも笑顔で丁寧に優しく教えてくれて、とてもありがたかったのだが、いつもただお礼を言っているだけだと物足りなさを感じてたまらなかった。


 何かお礼ができればいいのだけれど。


 そんなことを思っていると、枝が折れて地面に音を立てて落ちるのが見え、ある考えを閃いた。


「あっそうだ。先に行っててもらえるかな。僕、ちょっと思い出したことがあって。この道のあっち側へ歩けばいいんだよね?」


 言い終えるや否や道に小さく矢印で進行方向を書いた。これなら迷わないはずだ。


 思い出した用事というのは、枝のことだ。


 地面に落ちているものでいいから枝を拾って持っておきたかった。というのも、あとでこっそり加工していつもの感謝の気持ちとしてジニアに渡したいなと思ったからだ。


 ジニアは少し考えると、微笑んで頷いてくれた。


 道に迷わないように気をつけるんだよと言って、心配そうにしながら先に進んでいく。


 モモはというと、そばにいたそうにしていたが大丈夫だと頷いてみせ、ジニアについていくようお願いすると、おとなしくついていった。


 ただ心なしか、ジニアと二人きりで進んでいく後ろ姿からは殺意に溢れたような、怒ったような、恨みに満ちてるともとれるような、険悪な雰囲気を醸し出していた気がするが、きっとそれは気のせいだろう。


 なんてったってここは『き』がたくさんある森だから。


 気と木をかけてみたつもりだったが、なんかしっくりこないな。


 そんなことよりも……。


「さーて、良さそうな枝を探すぞ。さっき落ちたやつから見てみたいな。どの辺に落ちたっけ」



「ねえ、ジニア。裕樹がこうなることは知ってたんじゃないの?」


 裕樹が倒れてから口数のめっきり減ったモモが口を開いた。


「……僕は、何も知らないよ。こうなることは予想してなかった。未来のことはわからないから。ただ、まだチャンスも時間もあるってわかって少し安心したくらいかな。むしろ、なにもできることがなかった僕に、なにかできることができたと言ったほうが正しいのかもしれない。親御さん次第なところもあるけど……。でも、きっと大丈夫だ。僕は信じたい」


「あなたはとっくにいろいろしてやれてるでしょ? ……もしうまくいかなかったら?」


 モモは少し怒ったような考え込むような調子で畳み掛けてきた。


「きっとうまくいくよ。僕がそうしてみせる。もう後悔しないようにね」


 そう言ってモモにウィンクをして微笑んだ。


 モモはやれやれといった様子で首を振り、少し元気が戻ったように笑ってガッツポーズをとった。


「ところで、さっき噴き出した水のことなんだけど……」


 そう言いながらモモは横目でこちらを見る。


 冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべてとぼけてみせる。成果は期待できないが。


「さあて、なんのことやら……」


 モモはぷくーっと頬をふくらませてさらに問い詰めた。


「ねえ『祈り』を使ったでしょ?」


「別に、僕は祈ってなんかないよ。ただちょっと悪戯心が働いちゃって、意地悪しそうなところを堪えていたんだ。第一、そんな悪戯に『祈り』を使うなんてもったいなさすぎるよ。そういえば、ヒロくんに『祈り』の使い方を教えるのすっかり忘れちゃってたな」


 うっかり大事なことを教え忘れていたことに気づいて頭をかいた。


 それを見たモモは教えてなかったの?! と言わんばかりに目を丸くしたかと思えば、般若顔に豹変し、詰問を再開したのだった。


「裕樹をダシにして話を逸らそうとしてない? 本当に教えてないのね? それから、本当に祈ってないのね?」


「ほ、本当に祈ってないよ? 本当にうっかり教え忘れちゃったんだ。本当だよ。あれはきっと事故だよ事故! 水の妖精たちがマナを急いで運びにきた事故じゃないかな……」


「本当?」


 モモの表情はどんどん険しくなっていき、頬をかきながらどうしたものか考え込んだ。


 少しでも素直に話してしまったことを後悔したが、相手は妖精だ。


 心の動きに敏感なので嘘をついたところで何の意味もなさないだろう。


 おそらく、悪戯心が読み取られてしまっているから誤解されているのだ。


 それが余計弁明しづらかった。


 本当のことを言っても、悪戯心があったという事実と、モモにそれが知られてしまっている現実はなくならないし、肝心なのは祈ったか否かなのだ。


 運の悪いことに、水の妖精たちまで居合わせていたからマナの痕跡が証拠になりづらい。


 いやーなんてついてないんだろうなあ。


 苦笑しながらモモったらお馬鹿さんだなーと思いつつ、果たしてどう釈明するか思考を巡らすことを楽しんだ。


 楽しんだほうが勝ちなんだからね。たとえうまく説得しきれず納得してもらえなくたってさ。


 のらりくらりとかわしながら楽しみぬいて勝ってみせるぞ、と意気込んでいたが、エレベーター前に着いてからも止まらないモモの詰問、尋問をかわしきることが叶わず、言い分は苦しい言い訳に落ちていき、モモに惨敗した。


 後に裕樹が合流するまでありったけの説教を受けることになってしまうのだった。

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