湧き水

 夏らしい強い日差しが照りつける道は陽炎を作り出していた。


 ゆらゆらと揺れるそれを、眩しさに目を細めながら見つめるとくらくらしてしまいそうだ。


 道端にはマリーゴールドやホウセンカ、ハイビスカスがちらほら咲き誇り、照りつける熱線を瑞々しい輝きに変えて放っている。


 力強く今を生きている姿に胸を打たれながら、命の儚さに思いを馳せた。


 どんなに生きようとあがいても、命の灯火があっけなく消されてしまうことだってある。


「暑いよー」


 少し憂鬱になりそうだった思考を遮ったのはモモだった。


 手でパタパタと顔を扇ぎながら肩の上でのびてしまっている。


 確かに『夏の層』という名は伊達ではない。


 じんわりとかいた汗があちこち伝い落ちていくのを感じるくらい暑い。


 それは妖精にとっても同じだったということか。


 いや、さっきまでいた花畑が快適すぎて気温差が辛いのかもしれないし、今は風が一つも吹いていないのが辛い可能性もある。もしかすると両方辛い可能性も。


 僕としたことが、ひとつも気を回せていなかった。


 また憂鬱になりかけていると、ジニアがタイミングよく遮ってくれた。


「二人とも辛そうですね。気遣っていなくて申し訳ないです。もしよければなのですが、夏の森のすぐ近くに冷たい水が湧いている場所があるのでそこで一休みしましょう。……平気ですか?」


 モモを肩に乗せているので、落ちないように、潰さないように慎重に首を傾げながら返事をした。


「僕は不思議とバテたりはしてないんです。どうしてだろう? 僕は暑いの結構苦手でこのくらいならすぐへたれそうなのに」


 ジニアが意味ありげに微笑んだのを見逃さなかったが、それがどういう微笑みなのかはこれっぽっちもわからなかった。


「良かったです。先程の湖ほどではないですが『湧き水』もとても綺麗なものなので、名所案内のついでになるかな? なんて思っています」


 それを聞いたモモは力なく万歳した。


 やったね、もうすぐ休めるよ。


「楽しみだな。モモちゃん、僕の肩でまだ休んでて大丈夫だからね。ところで、妖精って全然重さがないんだね。風の妖精だからとかそういうのはあるのかな? なんとなく、そよ風が吹いているような」


 それを聞いたモモは少しむくれた様子でほっぺたを引っ張った。


 さっきまで力なく万歳していたとは思えないほど動きが力強くしっかりしていて、こちらを見たジニアは目を丸くし、ひとつ遅れて声を出さぬよう笑った。


「いてててて。どうしたの?」


「どうしたもこうしたも、あたしは一応レディなのよ! 重い重くないは触れないこと。まあ、今回は特別に見逃してあげる。あたしたちは人が視認できるマナのようなものなの。精霊様はもっと大きなマナの塊になるわ。属性によって確かに感触は異なるけれど、重さの概念はないのよ。例えば、あたしたち風の妖精だと、触れてみればほんのりと空気の流れを感じることができるわ。水だとひんやりしっとり、火はあったかい、雷はチクチクバチバチビリビリ、土はさらさらザラザラだったかしら? どうだったかしら。忘れちゃったわ!」


 舌をチロっとだし、ごめんねと言いながら手を合わせるのがお茶目っぽくて可愛かった。



 ついついモモの頬を撫でている裕樹を尻目に、少し羨ましく思った。


 質疑応答以外で楽しそうなやり取りなんて僕にもできるのかな。


 説明は得意でも、出会ってからあまり時間が経ってないうちに世間話をするのが不得意なので、モモみたいに自分らしさ全開ですぐに打ち解けているのが羨ましくてたまらなかった。


 そんな妬ましい気持ちを振り払い、自分のペースでと言い聞かせ、いつも通り温かく見守ることにした。


 人それぞれペースも個性も違うのだ。


 自分は自分らしくしているのが一番だからね。


 モモがすぐ打ち解けてああやって話せているのは、モモのペースと個性だからだ。


 確かに羨ましいけど、僕には僕なりのペースがあるから気長に構えるさ。


 裕樹をちらっと見て柔らかく微笑みながら、君も君のペースでねと、心の中でつぶやいた。



 そうこうしているうちに湧き水のある場所までたどり着いた。


 湧き水は草むらの中に石が積み上げられている場所のことをさしているようだ。


 天然の井戸だろうか。


 どんどん近づくにつれ、井戸とは異なり積みあがった石の淵まで水が溢れかえっており、周りが水浸しになっているのが見えた。


 陽の光を受けてキラキラ輝く水面と、光がまっすぐ水底まで届いているのがはっきり見えるほど透明な水は、とても涼やかで美しい。 


「まあ! なんて綺麗なの!」


 そう言い終えるや否や、モモは湧き水に向かってまっすぐ飛び込んでいってしまった。


 桃の天然水ならぬモモと天然水……。


 笑い出しそうになるのを堪えている隣で、ジニアは鼻で笑っていた。


 モモが不思議そうにこちらを見ているのに気づき、二人も湧き水に近寄っていく。


「このお水、綺麗なだけじゃなくてとっても気持ちいい!」


 パシャパシャと水をはねさせながらはしゃいでいるモモを見ていると心が安らいだ。



 ヒロくんは純粋に可愛いと思ってそうだな。


 僕はこういう子を見ると少し意地悪したくなってきちゃうから、あんまり長く見ていられないや。


 水が噴き出したりしないかなとか思っちゃって……。


 意地悪したいわけじゃなくて、きっともっと楽しそうだって思えてしまうからだって自覚してるんだけど。


 水が噴き出したらきっともっと愛くるしいだろうし面白いことになるだろうな。


 モモに意地悪なことをしたくてうずうずしてしまった。ついうっかり。


 腹黒い本心が悪魔に盗み聞きされてしまったのか、モモの入っている湧き水がいきなり空高く噴き出した。


 ひんやりとした水柱がモモを先頭に据えながら、花火のように空を目指して突き進む。


 モモは叫び声をあげながら空高く打ち上がり、水の花が一瞬だけ華麗に咲き誇るとあっという間に散っていく。


 陽の光を受けて宝石のように輝いた花は最高に綺麗だった。


 ガラスかなにかで再現して永遠に残しておきたいほど美しかったが、きっとそれはあの瞬間でしか見られない、唯一無二の輝きなのだと頭のどこかでわかっていたので、忘れてしまわないよう心に焼き付ける。


 水の花火になった当のモモはふわふわと裕樹の肩に力なく舞い戻り、さきほどまでとは違う意味でノックダウンした。


 裕樹と一緒に目を丸くしながら水飛沫を浴び、心の中であちゃーと言ったあとクスクス笑ってしまった。



 花火もさることながら美しかったが、飛び散っていく水飛沫もまた真珠のように光り輝いて美しい様相を呈していた。


 刹那的な美に感動しつつ、肩に避難してきたモモを優しく撫でた。


 唐突な噴水騒動が終わり落ち着きを取り戻した頃、色から察するに水の妖精が舞い踊っていることに気がついた。


「水浴びしてたのに驚かせてごめんね」


 そのうちの一人がモモに近寄り丁寧に謝罪をしている。


「ぜんぜん気にしてないわ。お勤めご苦労さま」


 モモは素早く飛び起き身だしなみを整え、大人びた態度で取り繕っている。


 水の妖精たちはこちらに気が付くと一斉に集まり、マナの祝福と称して周りを舞った。


 モモが言っていた通り、水の妖精はひんやりしっとりとしているのだろう。周りを舞ってもらっているだけでもわかるくらい湿気と涼しさを感じ取れる。


「大きなお友達さん、こんにちは。わたくしたちはすぐ行かねばならないのです。もっとゆっくりお話がしたかったなあ。あなたにマナの祝福を」


「急いでいるのにわざわざありがとう。良い旅路を」


 水の妖精たちが忙しなく各方面に散っていくと『湧き水』がゆらゆらと水面をゆらしてはいるが、元通りの静かな場所に戻った。


「ずいぶん忙しそうだったね」


「流れがある場所を好んでいる水の妖精はあんな感じなのよ。池や湖、海辺ならもっとゆったりした子が多いのだけれどね。基本的には決められたことに忠実なの。あたしたち風の妖精は気まぐれで自由奔放なのが多いそうよ」


 モモが少し得意げに説明する。


「属性ごとに気質が違うんだねえ。なんだか面白いな。モモちゃんがついてきてくれるのも気まぐれ?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら尋ねると、モモは少し顔を赤らめた。


「気まぐれもあるけど、あたしにはあたしの役割があるからね。ついでよ」


 答えるや否や顔をプイと背けてしまった。


 それがへそを曲げたようにもツンデレのような仕草にも見え、どちらにしても可愛いという印象を受けてデレデレしてしまった。


「実は僕、今日まで妖精を見たことがなかったんです。二種類も妖精が見られるなんて、本当にすごい。ヒロくんは文字通り祝福されてますね。さて、そろそろ行きますか」


 ジニアの呼びかけに二人は頷き『湧き水』をあとにした。

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