名前
授業が終わり、東郷とゆうきが話している。
「裕樹。もし噂が気になるようなら俺と無理して一緒にいることないからな」
「僕、大丈夫だよ。真くんが迷惑でなければ……このまま友達でいて欲しいな」
「もちろんだ」
東郷とゆうきはその後も楽しそうに話し続けた。
ゆうきはもちろん許せないし腹が立つ。
だがそれ以上に東郷の野郎何様のつもりだ。
この俺をコケにしやがって! 許さねえ許さねえ許さねえ!
忌々しい東郷め。
井村を消したと思ったら次は東郷。
次々と邪魔者が現れやがって。
怒りに燃える笹倉とは対照的に、加藤はゆうきと東郷を見ていて羨ましいなと思っていた。
僕も笹倉くんといじめとかじゃなく、もっと平凡な話で笑いあいたいな。
笹倉くんってどんなことが好きなんだろう。
そっと笹倉を見ると怒りで顔を真っ赤にしていた。
ゆうきと東郷さえ消えれば、笹倉くんだってきっと、今のゆうきと東郷みたいに僕と穏やかに笑いながら話をしてくれるに違いない。
いじめは気乗りしないけど、笹倉くんは僕を助けてくれたヒーローだ。
僕はどこまでも笹倉くんについていける。
本当に、東郷とゆうきを消せば笹倉くんは僕と楽しく平凡な話をしてくれるのか?
冷静な自分が問いかけてくる。
井村を辞職に追いやった後、笹倉は以前にも増してゆうきを痛めつけた。
ひょっとしたら東郷とゆうきを排除しても、笹倉の怒りは治まることなく爆発し続けるのではないか。
いや、僕は笹倉くんを信じるんだ。
ネガティブな思考を振り払い、じっと笹倉を見つめる。
その視線に気づいてか気づかずか、笹倉がこちらを見て怒りの表情を抑えこみ、疲れ果てた笑みを浮かべた。
僕はこの笑顔を信じている。
加藤は俺のことを信じてついてきている。
笹倉は加藤が初めて自分を頼りにしてきたときからそう感じている。
頼ってくれたあの日から、笹倉は加藤に心を開いてきている。
加藤は笹倉にとって初めてできた気が置けない存在なのだ。
今までずっと、ずっとずっと一人ぼっちで、名前面白さに絡んでくるクズばっかりでうんざりしていた。
中学生の頃からは力で人をねじ伏せ始め、誰にも心は開かずに生きてきた。
怒りに溢れた中で、加藤のことを思っていると不思議と落ち着いた。
加藤は助けられたと思っているのだろうけど、実際に救われたのは俺の方だ。
加藤は俺の心の支えで救いだ。
俺は加藤を守り抜く。
そんなことを思いながら加藤を見ると目があった。
目が合うと自然と笑顔が溢れるのが、加藤と知り合ってからいつも不思議に思うことの一つである。
ゆうきだけは絶対に許さない。
俺の名前を笑っただけでなく、俺を庇った加藤のことを殴りやがった。
本ごときで逆上しやがって……苦しめてやる。
保育園、幼稚園の頃、笹倉……大熊猫は誰からも可愛いと言われ、誰からも愛される子どもだった。
彼の名前に大人たちは心配そうな顔と哀れみの目を向けていたが、誰も何も言わなかった。
親がモンスターペアレントだったのだ。
「お子さんの将来の為にも、名前を変えられた方がよろしいかと思います」
保育園、幼稚園の先生はアドバイスをしてくれていたのだが、親は先生が心配して提案した方法を侮辱と受け取り、聞く耳を持たなかったどころか、侮辱罪で裁判を起こそうとまでしたことがある。
その結果、提案した先生たちは転勤していってしまった。
大熊猫は今でも自分を守ろう、助けようとしてくれた人たちのことを知らない。
そして月日は流れ、大熊猫はいじめに遭った。
小学校に入り、名前が変だという理由でからかわれ、除け者にされた。
「パンダーパンダー!」
「パンダは動物園にでも帰ってろ!」
「パンダなのに目の周りが黒くないぞ! 俺が代わりに黒くしてやるよ。パンチ!」
大熊猫は悲しくて、辛くて泣きじゃくった。
幼稚園まで可愛いと言われ、みんなの人気者だったのが一変し、笑い者にされるようになっていた。
どうしてこんな名前を付けたの?
親に名前のことを聞いてみても、可愛いからだったり、あなたはそのままでいてもいいの、なんて答えられ、ずっと苦しみを背負い続けてきた。
もちろん、名前を変えることができると教えてもらうこともないままだった。
いじめられていることが親にばれると、相手の親や担任の先生に対し、裁判所に訴えてやると喚き、大熊猫は誰からも距離を置かれ、いじめは陰湿なものになっていった。
親とは話にもならないし、余計なことばかりする。
自分で自分の身を守るしかない。
大熊猫はこれまでの怒りを、憎しみをむき出しにし、自分一人で強く生きていけるようにたくましく育った。
ただ残念なことに、自分を守るためには危害を加えてくる人を力でねじ伏せ、排除するようになってしまった。
自分の身を守るのに必死で、少し過剰なのではないかというほどに。
昔の嫌な思い出がふと蘇り、少し気分が悪くなった笹倉は、ゆうきを排除するために加藤と作戦を練る約束をした。
気が進まないが古部にも一緒に作戦を練らせることにした。
加藤も、古部には苦手意識がある様子だ。
上手く言えないが、どこか自分たちと違う……。
生まれながらのキチガイ、乱暴者といった印象を笹倉は持っていた。
加藤は古部のことをどう思っているのだろう?
あまりいい印象を持ってないことは反応と表情からわかるが、具体的にどう思っているのか聞いてみたいが、聞くきっかけがつかめないまま作戦を練り終え、実行に移すことになった。
「裕樹。今度さ、もしよければうちの爺ちゃんの家に一緒にこないか?」
日常となった屋上での昼食中に真が誘ってきてくれた。
どうして自分の家じゃなくてお爺さんの家なのだろうか。
疑問に思いつつ、裕樹は承諾した。
「よかった。爺ちゃんさ、前にこの学校に勤めてたんだ。いい先生だったと俺は思ってるよ。授業受けたことないけど」
そういうと真は少し寂しそうな笑顔を見せたが、すぐにいつものようなポーカーフェイスに戻った。
一瞬、裕樹は井村先生のことを思い浮かべ、資料を持ち帰った自分に対する後悔と嫌悪の気持ちが湧き立ってきた。
「裕樹? どうした? 顔色悪いぞ?」
真が真剣な表情で心配してきてくれて、裕樹はハッとした。
まだ井村先生と決まった訳ではないし、そもそも井村先生はどうみても三十代だった。まさか三十歳で高校生の孫がいるなんて考えられるだろうか。
きっと思い過ごしだ。
「なんでもないよ。心配かけてごめんね。でも、どうしてお爺さんの家なの?」
心配そうな真に笑顔で応じ、素直に疑問に思ったことを聞いてみた。
「俺さ、爺ちゃんの家に下宿してるんだ。転校する必要なんて一つもなかったけど、爺ちゃんの話聞いてたらこっちに来たくなって転校してきたんだ。あっちで暮らしてたときは一人暮らしみたいなもんだったし、今の方がましなんだよなあ。両親共働きでほとんど家にいなかったしさ」
寂しそうな表情はひとつも見せないまま、本当にお爺さんのことが大好きなんだなって思えるほど、たくさんの事を話してくれた。
結局、二人の予定が合っている日は今日くらいしかなく、早速お爺さんの家にお邪魔することになった。
気を遣うことはないよと言われたが、どうしても、突然の訪問ということもあって手ぶらで上がることに抵抗があった裕樹は大好きな和菓子屋さんで栗羊羹を買って行くことにしたのだ。
買い物には真も付き合い、何を買うべきか悩んでいた裕樹に助言をしてくれた。
真くん、女の子にモテそうだなあ。
一緒に買い物をしていてふと思ったが、日頃の言動が頭に浮かび、うーんと唸りながら、真くんは人を選ぶと結論づけた。
クラスの男女からかなりの不評なのを思い出したからだ。
誰にでも優しい人より、自分が仲良くしたい人や大切に思う人とだけこんな時間を共有するのであれば、仲良くしてもらう側からしたらかなり評判良いだろうから、そう考えると性別関係なく好評なのかな?
「何考えてるんだ裕樹?」
考え事をしていますと顔に書いてあったらしく、真が不思議そうな顔をしながら尋ねてきてようやく我に返った。
一体僕は何を考えているんだ!
頭を思いっきりぶんぶん振った。
「な、なんでもないよ! お爺さん喜んでくれるかなっていろいろ考えてたんだ!」
弁解の言葉を述べると、真は少し考える仕草をした。
「爺ちゃんは好き嫌いがなかったはずだから喜んでくれるよ。細いのにたくさん食べるし、羊羹一本もらったら大喜びだな」
どんなお爺さんなのか想像もつかない裕樹は、初めて読む本の続きが楽しみな時に似た気分でワクワクしていた。
真くんみたいに結構毒舌だったりするのかな。そこは真くんと正反対で物腰柔らかな人なのだろうか……等々。
聞いてしまいそうなほど気になったけれど想像で済ませ、実際に見てからのお楽しみということにしておいた。
真は聞かれなければ話さないスタイルをとっているらしく、お爺さんの人柄について何も話さなかった。
その代わり、今二人が読んでいる推理小説の続きについて自分たちなりの予想、主人公は実はこうで、黒幕はあの人なのではないかという話に花を咲かせながら歩みを進めていた。
「えっ……」
なんと、着いた先は井村という表札のついている家だった。
もしかしなくても確実にそうだ。
衝撃的な事実に足元が震え、逃げ出したくなってくる。
おじいさんの話を聞いて転校したくなったって言ってたけど、どういう意味だったのだろう。資料を探しにきたのだろうか。まさかいい学校だって思えたわけじゃないだろうに。
そんな裕樹の様子に気づいていたのだろう、真は裕樹の肩をポンと優しく叩いた。
「爺ちゃんは怖いやつじゃないよ。先生ってなんだか怖いって思うことあるよな。とりあえずリラックスしていこう。タイミングは裕樹に合わせるからさ」
問題は別にあったのだが、そうやって声を掛けてくれるだけでかなり気が楽になる。
「もう大丈夫」
真に声を掛けると、一つ頷いてからインターフォンを押してくれた。
僕が女の子だったら恋に落ちてしまいそうだなあ。そうなったらきっと片思いだ。
ぼんやりとそんなことを無意識に考えているとドアが開き、中から井村先生本人がひょっこり現れ、真に対しておかえりと声を掛け、裕樹を見てひょいと眉を上げた。
「おや? もしかして真がいつも話している大切な友達というのは悠木くんのことだったのかい?」
「ん? 爺ちゃん、裕樹のこと知ってるの?」
二人の視線が裕樹に集まり、一気に緊張感が押し寄せてくる。驚いているのは裕樹も同じであることに気がついたのか、井村はゆっくりと頷いた。
「これも何かの巡り合わせなのだろう。ゆっくりしていきなさい」
そう言って二人を家にあげてくれた。
居間に通され、お茶を出してくれた時にようやく少しだけ緊張がほぐれ、買ってきた栗羊羹のことを思い出して井村にプレゼントした。井村は満面の笑みを浮かべ、切り分けてみんなで食べましょうと言った。
井村が台所へ行っている間に、裕樹は真に井村の年齢について聞いてみた。
「んー。爺ちゃんの年は確か六十八歳じゃなかったかなあ。定年は少なくとも超えてたよ」
「えぇ…。僕の目にはどう見ても三十代にしか見えなかったなあ。本当に七十近くなの? 信じられない」
裕樹の、すっかり騙された、詐欺だ! と言わんばかりの表情に真は吹き出し、お腹を抱えて笑い始めた。
そんな真を見て、裕樹は少し頬を膨らましたが、だんだん可笑しくなってきて一緒に笑った。
しばらく笑い合っていると、切り分けた栗羊羹を器に盛りつけた井村が戻ってきた。
「爺ちゃん、爺ちゃんさ、教師って体面があったから俺らに年齢偽って教えてたりしない?」
井村が戻るなり真がそんなことを言い出したので、裕樹は面食らった。一方で井村は穏やかな笑みを浮かべながらやんわりと、それはないと答えていた。
本当に六十八歳なのかあ……。
教師でこんなに若々しい人、初めて見たかもしれない。
じーっと見つめてしまっていたらしく、井村と目があった。目があってしまうと裕樹は条件反射的に目を逸らしてしまった。
少し後ろめたいことがあるからというのも手伝っているのだろう。
井村は裕樹が資料を回収していたことなど知る由もなければ、きっと恨んでいるなどと思い込んでいることもつゆ知らず、学校での様子を聞くべきかどうか聞きあぐねていた。
いじめを受けていると知っている上で、いきなり元気ですか? と聞くわけにもいかないだろうし……。
あれこれ考えていると、真があっけらかんと最近起きた学校での出来事の一部を話し始めた。
「笹倉とか言う奴がさ、俺と裕樹がデキてるとかいうデマ流したりしたことがあったんだ。それ以来クラスのとある女子からの目線が怖くて寒気がするんだよなあ。腐女子っていうやつなんだけど……。爺ちゃんが学生の頃って腐女子っていたの?」
突然のことで、ちょうどお茶を飲んでいた裕樹はむせてゴホゴホいう羽目になった。
咳き込む裕樹を見た真は少しニヤニヤしながら背中をトントンと叩いてくれた。
井村はというと、その様子を微笑みながら見ていたが、腐女子の意味がわからなかったらしく、腐女子とはなにか真に聞いていた。
「腐女子っていうのは……。男と男を妄想世界で勝手にくっつけて興奮してたりする女性のことかな。もしくは、そういうのを見て興奮する人」
「性別という枠組みに囚われないで好きなことを追求する女性なんですね」
感慨深げに頷き、うーんと唸った。
「僕の周りにいた覚えはないかな。どこかにはいたかもしれない。そういえば、平安時代にそういう文化があったような気がするよ。確か源氏物語で描かれていたような」
裕樹と真はなるほどと納得し、源氏物語はどんなものなのか少しだけ気になるのだった。
「にしても、笹倉のやつ、俺らのことデキてるとか言っておいて、笹倉と加藤のほうがよっぽど怪しいと思うんだよなあ。裕樹はどう思う? 笹倉と加藤のこと。俺ら以上にそれらしいと思うんだ」
そんなことを言いながら裕樹の反応を楽しんでいるようにも見えた。
「ぼ、ぼぼぼぼくは別に……」
裕樹はすぐ想像してしまうので、少し顔を赤らめ、しどろもどろになりながら有耶無耶な答えを言った。
「自分たちが噂を立てられたからといって仕返しするのはあまりよくないことですよ」
そんな二人の様子をみた井村はやんわり嗜めていた。
真は少し意地悪く笑った。
「仕返しなんてしないよー。想像話に花を咲かせてるんだよー」
そう言いながらも顔を赤らめている裕樹を見ていた。
裕樹は聞いた話をすぐに想像してしまうので、色恋話をするとすぐ顔を赤くするから、からかいがいがあった。
井村は真の様子を見ながら、こいつはまったく仕様のないやつだと、苦笑いをしながら首を振った。
「ぼ、僕は……別に。もし仮に笹倉くんと加藤くんができていたとしても、二人がそれでいいのなら良いんじゃないかな」
裕樹は一気に自分の考えをまくし立て、栗羊羹を一片、口に放り込んだ。
その様子をみて真はますます意地悪したくなったが、ぐっと堪えた。
いじめられているのに恨みはないのか、陰口叩きたいと思わないのか、裕樹にますます興味が湧き、改めて仲良くなれて良かったと思うのだった。
笹倉の話が出ていたからか、井村はポツリと、笹倉への心配を口にした。
「笹倉くんには、資料が届いたのだろうか」
その言葉を聞き、裕樹は冷や汗が背中を伝ってくるのを感じた。
やっぱり、井村先生が落とした資料だったんだ。
二人とも裕樹の様子には気づいていないらしく、真はフンと鼻を鳴らした。
「資料が届いていたとして、あいつが変わるとは限らない。爺ちゃんは気にしすぎることないよ」
それでも心配そうにしている井村をみて、僕が資料を笹倉くんに届ければ、先生のこの心配は少しでも晴れてくれるのだろうか。という思いがこみ上げてくるのだった。
今まで自分は余計なことばかりして、自業自得としか言えない目に遭ってきた。当たり障りのない関係をよしとし、もう二度と友達なんて作らないと思っていたのに、高校生になってやっと二人目の友達ができた。
もう二度とこんなことはないかもしれない。
手遅れかもしれないけど勇気を振り絞って、笹倉くんに資料を届けるべきなんだ……。
真くんと、井村先生のために。
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