転校生

 今日はいつもと様子が違っていた。


 朝からの暴力はなく、みんな浮ついた様子で友達と話をしている。


 話す相手なんてもちろんいないので、みんなの声を途切れ途切れに聞きながら、あれこれ勝手に想像していると担任が浮ついた様子で朝のホームルームを始めるために教室に入ってきた。


「今日からこの学校に転校してきた生徒を紹介します。運良くうちのクラスですよー! 入っておいで」


 先生がこんなに陽気になっているところ初めて見た。


 人にはまだ見たことのない顔がいっぱいあるんだろうなあ。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、長身で体格の良い美形な男子生徒が教室へと入ってきた。


 表情は引き締まっており、緊張しているのかどうか読み取ることができない。


 教室にいる全員をゆっくり見渡し、自己紹介を始めた。


「はじめまして。今日からこの学校に転校してきた東郷真とうごう まことです。よろしく」


 澄み渡った綺麗な声で、自己紹介が終わったあともみんな静まり返っていたが、しばらくすると女子が黄色い声をあげて次々と質問をし始めたのを皮切りに、いつものような騒々しい教室に戻っていった。


 東郷の声は全員を魅了した。


 性別問わず、しばらくうっとりとしている男子と女子がいたくらいに魅力的だった。


 そんな中、みんなと同じように魅了されつつ、この人も僕をいじめるメンバーに加わるに違いないという思いを悠木は抱いていた。


 だからなのか、周りが浮ついている中一人だけ暗く沈んでいて目立ってしまっていたが、そんなことに悠木自身が気づくはずもなかった。


 そんな彼のことを東郷がじっと見つめていることも、俯いていて気づかなかった。




 東郷がちやほやされたのは最初の内だけだった。


 転校生というのはだいたいそんなものだが、東郷の場合は少し理由が違った。


 ストレートな物言いと相手を少し見下したような口調でクラスメイトと接していたため、一気に取り巻きがいなくなっていったのだ。


 取り巻きがいなくなったらなったで、清々したと言わんばかりの態度が更にクラスメイトを煽る結果となり、悠木の次は東郷に決まりだと全員が確信していた。


 笹倉も東郷に対して良い印象を持っていなかった。


 ある日威圧的な態度で東郷を屈服させようとしたが呆気無く無視されてしまい、更に怒りを煽る事件が起きた。


 クラスメイトはもちろん、その場にいた生徒全員がずっと息を止めていたのではないかというほどの緊張感があった。


 東郷が笹倉の相手もしないでどこかへさっさと移動し、笹倉も怒りを露わにしながらいなくなったあと、全員が同時に息をプハアと吐いたもので、笑い上戸な悠木は久々に笑ってしまいそうになった。


 そんな悠木も息を止め、緊張していたうちの一人だ。


 なぜだか東郷を見ていると自分も自由な気持ちになれてどんどん惹かれていくのだった。


 今までずっと、誰かと一緒でないと生きていけないのではないかと思わされる生徒しか見てこなかったからか、少し格好良いなという印象も持ち始めた。




 いつものように日直の仕事をしていると、東郷が黒板に書かれている名前を見ながら、大原くん? と尋ねてきた。


 せっかく話しかけてくれたというのに、悠木は目を丸くし、どう答えたものかと目を泳がせながら黙ってしまった。


「僕が大原だよ。東郷くん、どうしたの?」


 黙りこんでいるのを尻目に、大原本人が東郷と仲良くなりたそうにしながらしゃしゃり出てきたのを見て、少し寂しくなるのを感じながら日直の仕事に戻った。


「君に用は……。いや、用ならある」


 そう言うと東郷は悠木の手を掴んで作業を止めさせ、悠木から奪った黒板消しを大原に渡した。


「はい、日直くん。ちゃんと自分で仕事しなよ」


 そう言うと東郷は悠木の腕を引っ張って教室の外へ出て行った。


 あとに残された日直は恥ずかしさと屈辱で顔を真っ赤にし、教室で一部始終を見ていた生徒たちはヒソヒソと悠木と東郷について話をし始めた。




「と、東郷くん。どこに行くの?」


 東郷は無言でぐいぐい悠木を引っ張っていった。


 しばらく引っ張られていると行き先がわかった。屋上だ。


 屋上に着くや否や、東郷は悠木の腕を離し、少し怒っている顔で振り向いて言うのだった。


「お前さ、ずっと日直やってるだろ? クラスに馴染むためにって担任に授業ノート渡されて読ませてもらったけど。最初から書いてる人が同じだった。書かれている名前は違ったけど、字と内容がずっと一緒だったよ」


 何も言い返せない。東郷の言う通りだった。黙っていると東郷は続けてこう言った。


「あんなの、誰が見ても書いてる人間が同じだってわかる。なのに、担任は何も言わなかったのか? 誰も、何も言わないのはおかしくないか? お前はひょっとして自分から日直の仕事をさせてくれっていっているのか?」


 東郷からの問いに、悠木は一つも答えないでずっと黙っていた。


 呆れたのか見かねたのかわからないが、東郷は話題を変えるようにまた問いかけてきた。


「そういえば、名前なんていうの?」


 心なしか、さっきまでの詰問の後だからか少し優しい口調だった気がした。


「悠木……裕樹」


「ひろきか。俺の名前は言わずとも知ってるだろうけど、真っていうんだ。よろしくな。東郷じゃなくて、真で呼んでくれると嬉しい。知ってるかわからないけどゴルゴ13って漫画があってさ、主人公がデューク東郷って呼ばれてたりするから、一緒だとなんだかさ」


 少し照れたように言うと、そっと握手をしてくれた。


 屋上に引っ張って行く時とは違い、優しく握ってくれてなんだか照れくさい気持ちになった。


 夢でも見ているようだ。


 真くんも僕をいじめるメンバーになってしまうと思っていたのに。


 ずっと昔に諦めてしまっていた新しい友達が、絶望に打ちひしがれている中から救い出してくれるような形でできるだなんて!


 安心したからなのか、諦めていた友達ができた嬉しさからなのか、涙が溢れてきてしゃくり上げながら泣いてしまった。


 真は最初、驚いた顔をしていたが頭を優しく撫で、背中をさすってくれた。


 男なのに惨めで恥ずかしかったので、泣き止んで落ち着いたあとも顔が赤いまま、真の顔を見ることができなかった。


「裕樹さ、趣味はなにかあるの?」


 気持ちを察してか真がさりげなく質問をしてくる。


 どうして僕なんかに興味を持ってくれているんだろうと思いつつ、裕樹は質問に丁寧に答えていった。


「趣味は読書かな。ジャンルはどれでも面白かったら大好き。小説が中心だけど漫画も少し読んでるよ。ゴルゴ13も実は少しだけ読んだことがあるよ。まさか真くんがゴルゴ13を知ってるなんて少しびっくりしちゃった。一番好きな本は『星の王子さま』」


「へぇー、読書か。今時珍しいな。と、言いつつ俺の趣味も読書なんだ。なかなか読書好きなやついないから嬉しいよ。特にゴルゴ13を読んだことがある人はそこまでいないよな。キャラクターを知ってる人は多いんだけど。『星の王子さま』は俺も読んだことあるよ。いろいろ考えさせられたなあ。『星の王子さま』が一番好きな本っていうのには理由かなにかあったりするの?」


 今まで考えたこともなかった。どうして僕はこの本が好きなのだろう?


「理由かあ……。考えたことなかったな。少し考えてみてもいい?」


「ああ。その間に俺は本の内容をじっくり思い返してみる。なにせ、読んだのは随分昔の話だからなー」


 しばらく言葉を交わすことなく、同じ本に対してそれぞれ考えや思いを巡らせていると、裕樹は自分がこの本を好きな理由にぼんやり行き着いていった。


 この本には、忘れてしまいたくないたくさんの『たいせつなこと』が書かれていて、何より、僕はこのキツネの話が好きなんだ。


 でも、このことを真くんに言うのはちょっと恥ずかしいな。


 僕がキツネだとしたなら、真くんは星の王子さまなのだから。


「この本が好きな理由はちょっと内緒」


「そうかー。聞きたかったけど仕方ないな。じゃあ他の本について話そう!」


 真は無理に聞き出そうとはせずにあっさりと引き下がってくれる。


 それがなんだかありがたくもあるが、ちょっとだけ物足りなくも感じた。




 初めて本のことでこんなに話せたのはお互い同じだったようで、心からの笑顔を浮かべながら話し合った。


 真は自己紹介で言っていた『ゴルゴ13』が一番好きなわけではなく、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が好きなのだという。


 真が調べて知ったアリスの知識を一つ教えてくれたのだが、井戸の底にいる三姉妹は、リデル三姉妹の名前を元にしているということ。


 ただ内容を楽しむのも良いが、隠された意味、由来などについて、読み解いていくのも楽しいということで、実際、話を聞いているととてもワクワクしてくるのだ。


 捨てられてしまった『星の王子さま』を買うまで、裕樹も真のように読み解いていきたいという衝動に駆られ、自分の本棚にあったかどうかを思い返していた。


 なんて楽しいんだろう。


 裕樹も真も楽しい想いを共有しながら、授業開始のチャイムまで話し込んだ。




 裕樹はまだ夢見心地だった。


 教室に向かって廊下を真と一緒に歩きながら、今まで自分は人と接するときは当り障りのない対応と、友達になりそうな出来事を避けて通ってきていたにも関わらず、こんなにも自然に、しかもずっと前からの知り合いかのような感覚で仲良くなれるなんて、俄には信じがたいことだった。


 今日初めて会話したとは思えないほどの安心感と親しみに安らぎを感じさせられる。


 本についてあんなにも楽しく、たくさん話したからなのだろうか。それとも……。


 考え事をしている間にもう教室へ着いてしまった。


 二人で教室に戻ると、男子から黄色い声があがり、女子にはさめざめと泣いている子や落胆の表情を浮かべ、頭を抱えている子……頬を染め興奮している子が見て取れた。


 一体どうしちゃったのだろう? と思う悠木だったが、東郷はというと、笹倉の笑みを視界に捉えるなり、なるほどそういうことかと、クラスメイトに笹倉が吹き込んだことを把握した。


「そこまでして俺とお話したかったのかな? 今まで散々無視されてきたからなのか知らないが、つくづくつまらん男だ。名前については同情してやるが、名前以外は全部自分で決めたことだぞ。わかってるのか」


 悠木は驚いて東郷を見上げ、東郷の視線を追っていくと笹倉に行き着き思わず目を逸らし、俯いた。


 東郷はじっと笹倉を見据えたまま視線を外さなかった。


 その様子がスナイパーのようで、名前のこともあってか笹倉はゴルゴを思い浮かべて吹き出した。


「お前まるでゴルゴだな。スナイパーみてえな目で俺のことずっと見やがって。ゆうきの次は俺のこと狙ってるってか?」


 そう言い終わるや否や、教室で笑いが巻き起こり、女子は耳を塞ぎ、目をつぶっている人もいた。


 ……頬を染めて目を輝かせている人も中にはいたが。


 笹倉の言葉を聞いて悠木はようやく、言いふらされたデマがなんだったのかがわかった。


 笹倉くんは僕と真くんができていると言いふらしたんだ。


 笹倉のデマの内容に気づき、思わず顔を赤くしてしまった。


 僕は別に真くんとできてなんかない。僕なんかが誰かに必要とされるわけないじゃないか……。


 このままだと東郷に迷惑がかかって転校してしまうのではないだろうか? こんな噂立てられたら嫌になってもう仲良くしてくれないかもしれない。


 不安な気持ちが明るくなりかけていた心に影を落とす。


 少しでも不安になると次の不安がこみあげてきた。


 名前を笑ったがためにこんな扱いを受けていると真に知られ、嫌われてしまいそうな不安。


 屋上で質問されたときに言えなかった答えを、誰かが当ててしまう恐怖が影を忍ばせ始めた。


「俺は別に裕樹とできてない。男同士だし、お互いにそっちの気はないんでね。ただ、お前らみたいにイジメを見てみぬフリしてるクソったれ共より大事で価値のある人間だと思ってる。俺にとって裕樹は他の誰にも代えられない大切な存在だ。誰も裕樹の代わりに俺と本について話せない」


 それを聞いて顔が更に赤くなってしまった。


 顔を赤らめていたら真くんの足を引っ張ってしまう……!


 素直に、自分という存在を認められたことが嬉しかっただけなんだ……。


 悠木の様子に気づいてか、気づいてないのか東郷は続けた。


「裕樹はたくさんの本を知っている。俺よりずっとたくさんの。初めてこんなに話せるやつにあったよ」


 ちらりと悠木を見て、顔を赤らめていることに気づいたようだが表情を変えないまま話を続けた。


「ゴルゴって言ったな。前の学校でもよく言われてたもんだ。発想が乏しいのか、それ以外に叩ける要素がないのか、お前のような戯言を言うやつなら腐るほどいたよ。どこにでもいて誰でもできる発想しかできないお粗末な脳みそなんだな。呆れるのを通り越して哀れだよ」


 そう言い終えると鼻を鳴らし、小さな声で席に着こうと優しく囁いてくれた。


 さっきまでの激しい口調とは打って変わって。


 悠木は物凄く嬉しくて、何より東郷が格好良くて、今までいじめに遭ってきたときとは違う、言葉にできない気持ちでいっぱいになってくるのだった。


 少しうかれた気分だったが、席に座る途中、笹倉が顔を赤くしながら拳を握りしめ、鬼のような形相で机の一点を見ている様子が見えて背筋が寒くなった。


 何か嫌なことが起こりそうな気がする。


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