ありのまま

 しばらくじゃれあい、甘やかし、ひたすら癒されていると、トパーズは満足したのかアルカディアの案内を再開した。


「次はこっちだよ!」


 部屋から出るや否や、ぴょんぴょんと兎のように跳ねながら前を行くトパーズを微笑みながら追いかけていると、目の前に駅のように見える建物が現れた。


 見えるのではなく本当に駅なのではないかと思っていると、ちょうどよく轟音を立てながら電車にしか見えないものが走ってきて停まった。


「すごいでしょ! みんなで作ったんだ! アトランティス以外の領地の地下に僕たちの領地が広がってるから移動が大変で、知恵を出し合って作ったんだ!」


 トパーズはご機嫌そうに飛び跳ねている。


「鉄も石人の特徴だから、たくさん集めるために殺すわけにいかなくて、じゃあ代わりに何を使うかみんなで悩んだんだ」


 どういうわけか胸がざわつき、腰にしまったドライアドの枝が熱を帯びてくるのを感じる。


「これね、全部木でできてるんだ。レールも全部! すごいんだよ! 特別なマナがこもっている木だったからかな? 全然傷がつかない上に頑丈で長持ちしてるんだ。新しいのに取り替えたこと今のところ一度だってないんだよ」


 無邪気ににこにこ笑っているトパーズになんて声を掛けたらいいかがわからなかった。


 ドライアドの枝は徐々に熱を上げている。きっと怒っているんだ。


 黙っていると、きょとんとした顔でトパーズに見上げられ、顔をそらしてしまった。


「どうしたの? ヒロキ?」


 どう話したものか悩んだけれど、上手に話すことができないという結論がでてしまった。


 なので、正直にドライアドの枝を持っていること、枝が熱を帯びてきていること、ドライアドは木々を切り倒された悲しみに暮れながら姿を消したことをトパーズに伝えた」


「なるほど……。でも、他にどうしようもなかったんだ。木も命だってわかるけれど、僕たちにだって命があるし……」


 難しい顔で黙ってしまったトパーズを見ていると胸が苦しかった。


 何にだって命があって、かけがえのない大事な存在であって……何かを得ようとすれば何かが犠牲になってしまうのか。


 トパーズの様子を見てか否か、徐々にドライアドの枝が冷えてくるのがわかった。


 怒りが鎮まったってとらえていいのかな?


 そんなことを考えていると、トパーズはパッと顔を上げて首をかしげながら口を開いた。


「その枝、見せてもらってもいい?」


 断る理由もないし、ドライアドの枝から熱がなくなったので快く頷いた。


 ドライアドの枝を手渡すと、トパーズは真剣そうな面持ちでじっと見つめ始めた。


「……ごめんね。木をたくさん切っちゃったからには大事に長く使い続けるから、どうか許してほしい。奪い取ったからには僕たちにはそうする責任がある」


 トパーズの真剣な言葉に、心なしかドライアドの枝から穏やかな空気が流れだしたように思えた。


「なんだか、許してもらえたような気がする。気がするだけかもしれないけどね。ちゃんと、言ったからには大事に使うからね」


 トパーズのまっすぐで真剣な言葉に対し、ドライアドの枝は優しい光を放ち始めた。


「綺麗……」


 しばらくの間、トパーズと一緒にドライアドの枝を眺め、穏やかで温かくなれるような光を見ていると、ぽっかり空いた心の穴が一時的ではあっても満たされていくように感じられた。




「いつかドライアド本人に謝りたいな」


 トパーズがそうぼそっと呟いたのは光が収まってしばらくしてからだった。


 いつの間にか光が消えていたけれど、しばらく余韻に浸ってぼうっとしていたようだ。


 トパーズの優しい心に触れながら、黙って頷いてみせると、ドライアドの枝がほんのり温かくなった。


「ユグドラシルを登っていく予定なんだけど、良ければ一緒に来る? ドライアドに会えるかもしれないんだ」


 一人が寂しかったわけではない。


 ただ、この枝があれば会える可能性があると言われたことを思い出してそっと提案してみただけだった。


「行きたい! 行く! 一緒に行く!」


 考える間もなくトパーズが勢いよく頷き、抱きついてきそうな勢いでこちらにぴょんと跳ねたので驚かされて尻もちをついてしまった。


「ごめん! 驚かせるつもりじゃなかったんだ! あはは、ヒロキって案外どんくさかったりするの?」


 心から申し訳なさそうにする反面、無邪気ないつもの笑みを浮かべて笑う様子は本当に幼い子供そのものだった。


「えへへ。そうなんだ。僕はすごくどんくさくって」


 後に言葉を続けることができなかった。


 指摘されるのが嫌だったわけではないし、乗り越えたつもりになっていたけれど、嫌な思い出が溢れだしそうになって言葉が途切れてしまった。


 その様子に気づいてか気づいてないのか、トパーズはいつものような無邪気な笑いとともにすり寄ってきながら、不思議そうに見つめてくる。


「そういうところも含めてヒロキのこと好き! なんかさ、ヒーローだのなんだの言われてたけど、僕はヒロキのありのままが好きだな。もっとありのままのヒロキが知りたい。友達として!」


 トパーズの不意の言葉に泣きそうになりながら、部屋で過ごしていた時のようにそっと頭を撫でた。


 自分のありのままを肯定してもらえたみたいで胸がじんわりと熱くなってきた。


 それはちょうど、凍り付いた心が温められて、溢れだしてきたかのようだった。


 自然と目から涙がこぼれ落ちていた。


 雪解け水のように、少しずつ。


 トパーズは驚くでも同情的になるでもなく、そっと指で拭ってくれたかと思えば、ちろっと舐めたので思わず目を剥いてしまった。


 どうしてそんなことを?


 尋ねる前にトパーズから答えを聞くことができた。


「しょっぱい! 僕の涙だってしょっぱいんだ。どんな立派な人間だって、どんくさい人間だって一緒なんだよ。涙はしょっぱい! みーんな一緒。おんなじ人間なんだよ。宝石がついていても、頭に花が咲いていても、魚でも獣でもなんでも、みんな涙はしょっぱいし心は傷つくし、失敗もすれば成功もするんだよ。性格も人生も考え方も人それぞれだけどね」


 トパーズの言葉を聞いていると涙が溢れて止まらなくなり、しばらくの間寄り添ってもらうことになった。


 そこに言葉はなく、静かな空間ですすり泣く声だけが流れていた。




 涙が収まってきたころのこと。


「落ち着いた?」


 トパーズがいつもの無邪気な調子で尋ねてくれて、自然と笑みを浮かべることができた。


「うん。ありがとうね」


 思わずぎゅっと抱きしめながら答えてしまったのを後悔し、パッと腕を離すと、トパーズが追いかけるように腕にしがみついてきたので驚かされた。


「遠慮しないで、逃げないでよ。僕だってそういう気持ちがわかるんだ。だから、ありのままでいて、温もりから逃げないで」


 トパーズの言葉はすごく嬉しかったけれど、自分を出すことに慣れていなくてなかなか難しい話だった。


「ありのままがわからないんだ」


 言っていて自分のことが虚しく感じられたけれど、トパーズは真剣な顔になるでもなく、無邪気に笑うでもなく、自然な表情で答えてくれた。


「僕もわからなくなることがあるんだ。でもね、ありのままであろうと意識するからわからなくなっちゃうんだよ。大好きなもの、苦手なもの、何か自分の心が動くものを前にしたときにありのままの自分って出てくるんだと思うよ! 今の僕だったらヒロキの前にいるときかな! 別に、僕がそうだからってヒロキもありのままを出そうとか思う必要はないんだよ。それってありのままじゃないからね」


 そう言いながらすりすりと顔を胸にすりつけてくるトパーズは本当に子猫のように可愛らしかった。


「トパーズ。きみと知りあえて、友達になることができてよかった。出会い方があんまり良い形じゃなかったけれど、それも含めてよかったと思ってるんだ。だって、あの出会いがなければ君の本音を知ることなんてできなかったでしょう?」


 心からの言葉が口から出てきた。


 すると、トパーズはバツが悪そうにしながらえへへと笑うのだった。


「ヒロキを実験台にしたことちょっと後悔してたんだけどね。でも、そういってもらえてよかった。……嬉しい」


 無邪気な笑みが穏やかな笑みに変わり、子猫のようなすり寄り方からなんだか恋人を思わせるようなそっとした寄り添い方へと変わっていった。


「これが本当の僕。無邪気に振る舞ってたのは子どもらしくしないといけないって思ってたからなんだ。本当は大人しくて、静かに寄り添っていたいだけなんだ。ただ傍にいたいだけだった」


 ほんのりと寂しそうなのは、きっとアイオライトとのことを思い出しているのだろう。


 頭をそっと撫で、ただ静かに寄り添ってみた。


「合わせてくれてありがとう。えへへ。合わせてばっかりなのもどうかなって思うけど、合わせられることって素敵だと思うよ。ヒロキの長所で短所だね。一長一短」


 思わず、ふふっといって笑ってしまった。


 それを見たトパーズもにんまりと笑っている。


 なんだか穏やかで心地の良い雰囲気だ。


 それからしばらくは言葉もなく、ただ黙って寄り添いあっていた。




「なんだか案内しようとしてもなかなか進まないね! かっこよくてもかっこ悪くても、どんくさくても器用でもヒロキはヒロキなんだよ。そのままでいいんだ」


 トパーズからの言葉に、心がすっと軽くなってくるのを感じた。


 しかし、気を緩めてはいけないと叱咤する自分もいる。


 相手の思いやりに甘えてしまうと、どこまで大丈夫なのか量ろうとしてしまいそうになる。そんな自分にブレーキをかけなければ。


「……ありがとう」


 トパーズはいつもの無邪気な笑みを浮かべ、先をぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねながら進んでいった。

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