地底湖と鍾乳洞

 トパーズとのやり取りのおかげか、肩の力が抜けた状態でいられた。


 心がふんわり温かく、軽くなったようにも思える。


 飾らず強がらずありのままで良い。


 過度な期待も、誰かから向けられた敵意もトパーズからは感じられず、ただひたすら受け入れてもらえているような心地よさがそこにはあった。


 安心してしまうと、ふと試したくなる気持ちがわいてくるのを抑えられなかった。


 間違ったことを言ったらどうなるのだろうか?


 否定されるのかな? 全部肯定されるのだろうか?


 気になると好奇心が抑えられなかった。


 その陰で不安が渦巻いているのをなんとなく感じ取っていた。


 上辺だけで、本当はみんなと同じように自分から離れていくのではないか、好きでもなんでもないんじゃないかと。


 我ながらダメな人間だと心の中で苦笑しながら、自分のダメだと思うところを初めてさらけ出すことのできる相手に試してみてしまった。


「トパーズってなんだか女の子みたいだよね」


 わざと失礼な間違いをしたらどうなるのだろうかという好奇心から出た言葉だった。


 間違えたつもりだった。失礼なことを言ったつもりだったのに。


「え? そうだけど?」


 返ってきた思わぬ言葉に目を丸くしていると、トパーズはきょとんとしながら首を傾げた。


「レヴィンの性別で驚いてた時にばれたかなって思ったけど、そういうわけじゃなかったんだね! その反応から、わざと間違えたらどういう反応が返ってくるのか気になっちゃったんでしょ? あーあ。僕が今まで君にすり寄ってたのもあんまり意味がなかったってことでもあるんだな」


 どういう意味だろうか?


 自分のしようとしていたことがばれていただけでなく、すり寄っていた意味について最初はわからなかったけれど、しばらく考え、あることが頭に浮かんできた。


「僕がそうしてしまったように、トパーズも僕のこと試してたの?」


 トパーズはあどけない少年のように笑いながら頷いた。


「みんなは前世の記憶に執着がないのか、ケロっとしながらこっちで新しい人生を始めてるけど、僕は違うんだ。別に手放したくないわけじゃないんだけど……」


 その先はすごく言いづらそうにしているし、体が震えていた。


 性的虐待やいろいろなものが頭に浮かんだ。


 きっと、ショックだったんだろうな。


 僕が受け入れてもらえるかどうか自信がなくて、どこまでなら肯定してもらえるのか考えて試そうとしたみたいに。


 想像しながら俯いていると、トパーズはまた腕にすり寄ってきた。


 そっと頭を撫でると、心から嬉しそうに、穏やかな笑みで撫でられていた。


「男同士だと思ってるのに手を出してくる人がいたんだ。女だってわかったら余計に食いついてくる人もいた。ヒロキはちゃんと僕を女の子ってわかってからもそうやって頭を優しく撫でてくれて、変なこともしないでいてくれるし、本当に傍にいて落ち着ける。大好きだよ。アイオライトやレヴィンのように、僕の大事な友人だよ」


 トパーズに頭を撫でられながら、ノームとウンディーネに向けられた好意を頭に思い浮かべた。


 好かれるのが嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないのに……。


 トパーズなら僕の気持ちをわかってくれるのだろうか。


 いや、わかってくれなくてもいい。人の気持ちはわからないからこそいいんだ。


 なんとなく、わかってくれるかどうかを気にしないで、考えないで、自然と話してみたいと思えるのだった。


「僕はトパーズほど何かがあったとかではないんだ。今まで好かれたことがなくって、こっちにきてから妙に好きになってもらえたんだ。理由がわからなくて、好きになってもらえるのが嫌なわけじゃなくて、本当は嬉しいはずなのに、理由を探してしまう自分がいるんだ。なぜ? どうして僕を好きになるの? 取り合いになっているのを見るのも嫌だった。ただ僕は優しくありたい、優しくしていたい、好かれなくてもいい。こっちにきてからむしろ好かれたいと思わなくなっちゃった。誰かに心の傷を負ってほしくないと思っているだけなのに、好きになってもらえたら傷つく人がたくさんいて辛いんだ。好きに応えたいけど自信がなくて、興味を持てなくて、手を取れなくて……信じられなくて、素っ気ない態度をとる自分のことも嫌なんだ」


 トパーズが上目遣いにこちらを見つめてくれるのを視界の端にとらえ、顔をそむけた。


 邪な気持ちが湧き上がりそうになったわけじゃない。


 あまりに優しく、温かいまなざしで僕を見つめてくれていて、思わず泣いてしまいそうになったんだ。


 トパーズはしばらくの間何も言わずそっと寄り添ってくれた。


 それがどれだけ温かくて心地よいことだったろうか。


 心が温かくなってきた頃のことだ。


「うまくいかない、思い通りにならない、こんなはずじゃなかった。そんなことって多いよね。人間関係だと特に。僕はいろいろな人を試してきたから特にそう思うよ。この人なら大丈夫かな? って思っても、ほとんどの人はダメだったから。ヒロキはひたすら優しいんだね。優しいから好かれてしまったとき、相手が傷つくのわかっちゃって、つらくなっちゃうんだね」


 そういいながらそっと頭を撫でてくれた。


「僕も君も求めてるのはきっと確かな友情なんだ。だから、下心や恋愛感情が辛くなっちゃうんだね、きっと。こういうときってさ! 気分転換にお散歩したりすると良いんだよ! ちょうどいいから案内の続きしちゃうね!」


 トパーズは一瞬ためらいながらも、そっと手を取り、優しく握って引っ張っていってくれた。


 その力は強くなく、前へ進もうと促すような、そっと働きかけるような、そんな優しい力加減だった。



 手を繋いだままたどり着いた先は、宝石があちこちから飛び出し、キラキラと輝いている神秘的な空間だった。


「綺麗でしょう? マナが結晶化したものなんだってさ。僕らの体についている宝石とはまた違った特別なものなんだ。いろいろな色があるでしょう?」


 目を輝かせながら説明してくれるトパーズの笑顔も宝石のように輝いていた。


 聞いているこちらの心も輝くくらい。


「すごいね。あれは火のマナでこれが土のマナかな?」


 色でなんとなくそう聞いてみたところ、トパーズはにっこりと笑いながら頷いてくれた。


「あたり! ここはいろいろなマナに触れることができるから、本当にいろいろな恩恵を受けられるんだよ。日の光も月の光も届かないけれど、僕たちはとても恵まれているんだ」


 トパーズの話を聞きながら『精霊と伝説』の内容と、精霊たちから聞いた話を反芻した。


「闇の母……」


 はたして本当に月からしかマナが注がれていないのだろうか?


 ふとした疑問だった。


 月が父親で地上の闇が母親なのであれば、母からもマナが注がれているのではないだろうか。


 もし仮に月からしかマナが注がれていなかったとしても、父親から母親へ向けられた愛情を精霊や妖精たちが届けているのではないか。


 考えれば考えるほど不思議で魅力的でもっと知りたい衝動に駆られてしまう。


 どうしてそんなことを思うのか。


 おそらくロマンチックさを見出してしまったからなんだ。


 マナが愛だと表現されているところに、月から地上へと向けられているというところに。


 愛か。


 トパーズを見て、真を思い浮かべ、親を、クラスメイトを、いろいろな先生たちと井村先生を思い浮かべ、こちらの世界で出会った精霊たち、領民たちを思い浮かべた。


 僕が本当にほしいのは愛なのだろうか。


 この世界のあり方に心が動き、いろいろな人たちに出会い、いろいろな感情に触れてきて浮かんできた疑問だった。


 目の前にある綺麗なマナの結晶を眺め、心をときめかせながら物思いに耽っていると、トパーズの握った手に少しだけ力がこもった。


「どうしたの?」


 心から心配で出てきた言葉だった。


「せっかく綺麗な物を眺めてるのに少し難しそうな顔してたからさ。触られると気がそれたでしょ?」


 悪戯っぽい笑みも子どもらしい笑顔で愛くるしかった。いや、愛くるしいと思ったのは笑顔だけでなく、その心配りによるものだろう。


「ありがとう。ダメだね、案内ついでに気分転換させてくれようとしてたのに」


 髪の毛を片手でくしゃくしゃしていると、トパーズがにっこりと微笑んでくれた。


「どうしても考えこんじゃう時はあるよ。考えそうになる癖を直すか、とことん考えて答えを出しちゃってから綺麗さっぱり考えるのをやめちゃうのもありかもね。一人で答えを出せないこともあるから、そういうときは僕を頼ってよ。今は何考えてたの? 無理に話してなんて言わないけどさ」


 好奇心旺盛そうな笑みで問いかけてくれるトパーズを前にすると、自然と口が開いた。


「マナの結晶である宝石を見ていて、空中庭園で読ませてもらった本の内容と、精霊たちから聞いたこの世界のお話を頭に浮かべてたんだ。マナは月から注がれているって。月が精霊たちの父親で地上の闇が母親らしいんだけど、本当に月からしかマナが注がれてないのかな? って思ってたところなんだ。もしそうだとしても、なんだかロマンチックで良いなって。このマナの結晶を見ているとまるで、愛の結晶って言葉がしっくりくるようで、その結晶がこんなに綺麗なのは純粋で綺麗な愛をまっすぐ届けているからなんじゃないかって。考えていたのはそれだけじゃないんだけどさ」


 それより後は口にできなかった。


 恥ずかしいのはもちろんのこと、トパーズに警戒されてしまうかもしれないと思ったからだ。


 僕もその他大勢と一緒だったのだと。


 話を静かに聞いてくれていたトパーズは頬を微かに染めながら褒めてくれた。


「すごくロマンチックだね。良いな、そういう考え。僕は理屈っぽく考えがちだから、そういうときめいた考え方がすごく素敵だと思うんだ。乙女チックでいいね」


 乙女チックというフレーズに耳まで赤くしながら顔を背けると、トパーズはクスクスと笑った。


「プラトニックな愛、良いよね」


 握った手に柔らかく力が入った。


 ああ、僕もトパーズもきっと、確かな愛と確かな友情がほしいんだろうな。


「そうだね」


 優しく握り返すと、トパーズの顔が少しだけ赤くなったのがわかった。


 きっと、本当は人の温もりが恋しいんだろうな。


 少しずつ、少しずつで良いから心の傷が埋まっていってほしいと心から願いながら頭を撫でた。


「そ、そうだ! 次は地底湖と鍾乳洞にいこ!」


 照れくさかったのかな?


 顔を真っ赤にしながら慌てて次の場所へと手を引っ張っていく力は先ほどまでの優しい力加減の比ではなく、とてもわかりやすかった。


「すっごく楽しみ!」


 心からの笑みを浮かべながらトパーズの案内に従って歩みを進めた。




 あたりは暗いけれど、マナの結晶がちらほら生えているおかげでいろとりどりに道が照らし出されていた。


 トパーズが体を寄せてきているが、不安なのだろう。


 暗くて怖い方ではなく、本当に僕は手を出さないかどうかの方で。


 胸がずきずきと痛んできたが、それは僕も同じなのだ。


 そっと頭を撫で、背中をさすり、親がそうするようにあやしてみると、そっと体が離れていった。


 少しだけ体が寒く感じる反面、歩きやすくなった。歩きやすくなったけれど寒くて少し寂しい。


 複雑な心境でいると、トパーズも寂しそうにも見える何とも言えない表情を浮かべていた。


 難しいなあ。


 周りからみた僕自身もこんな感じで扱いが難しかったんだろうか。


 いつまでも暗くて引きずっていて、手を取るのが怖くて、向けられた優しさを受け入れられなかった。


 おんなじなんだ。


 自分ならどうされたら嬉しいか、置かれた境遇も受けてきた仕打ちが違いながらも、似たようなトパーズのことを考えていると、水滴の心地よい響きが耳に届いた。


「もしかして、あれがそう?」


 色鮮やかな光を受けて煌めく水面を見つめながら尋ねてみると、トパーズは目を輝かせながら勢いよく頷いた。


「そう! 綺麗でしょ!」


 トパーズの浮かべた満面の笑みを見ているとこちらも笑顔になれた。


 ここが本当に好きなんだ。


 キラキラした目で地底湖を見つめているトパーズは見ていて心が安らぐ上に、一切悲しみも不安も痛みを感じさせなかった。こちらも穏やかな気分になれるくらいに。


「ここはね、マナの結晶が全種類あるんだ。カラフルで居心地が良くて、雫の音が心を落ち着かせてくれる。こっちにお気に入りの場所があるんだ。ほとんど誰も知らない場所。みんな無関心だから」


 トパーズに招かれて向かうと、つらら石の隙間を潜り抜けた先に、ほんの少し上り坂があり、気をつけながら進むとちょうど良さそうな洞窟があった。


 広すぎず狭すぎず、暗すぎず明るすぎない。


 鍾乳洞と地底湖の混ざった場所なのに湿気は酷くなく、壁も床も滑らかで触り心地が良かった。


「こんなに素敵な場所なのにあんまり人がこないし、ここは見つけづらい場所だから独り占めできる快適な場所なんだ。ここなんかちょうど良い斜面と腰掛けられる場所になってるから居眠りだってできるし、眺めも最高なんだよ」


 トパーズはゆっくり腰を下ろすと、隣をポンポンと叩いた。


 三人くらい腰掛けられそうなスペースへ、離れすぎず近すぎない距離で腰を下ろす。


 レヴィンとアイオライトがいつも一緒にきていたのだろうな。


 なんとなくそう感じながら視線をそっと上げると、つらら石や石筍がちょうどよく劇場の垂れ幕のようになっており、その先にはいろとりどりのマナの結晶で照らし出された見事な地底湖が見えた。


 満月に照らされた海を色鮮やかにしたようなその景色は絶句するほどの美しさだった。


 様々な色で照らされ揺らめく水面は見ている者の心も彩っているかのよう。


 赤青黄、緑に水色、様々な光がそれぞれ強く弱く輝いているけれど、眩しくなくほどよい加減だった。


「いいでしょ、ここ」


 トパーズの言葉を聞きながら、また試されるのを覚悟していたけれど何もされなかった。


 なにもせず、目の前の景色を見ながら違う何かに思いを馳せている顔をしていて、そっとしておこうと思わされた。


 頭を撫でるでもなく、手を触るでもなく、体に触れてしまわないように。


 スキンシップを取っているとき、体じゃなくて心の温もりを求めながら、辛い記憶から気をそらすために触っていたのだろうと思ったためだ。


 今、隣で何を思っているのだろうか。


 人の心を読めたなら、相手の考えがわかったのなら、どれだけいいだろうか。


 わかることなんてきっとないのだけれど、トパーズの気持ちを知りたくてたまらなかった。


 自分自身のことさえわからないのに、果たして相手のことがわかるのだろうかという疑問もあるけれど、今はただ、トパーズと一緒に目の前に広がる景色を心から楽しもうと思わされた。


 人それぞれ同じものを見ていても思うことは違うし、似通っていることもあれば、同じことを思っていることもある。


 この景色を見て目に焼き付けて語り合えば、きっと相手のことをわかるための一歩を踏み出せるに違いないから。

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楽園 空中庭園編 木野恵 @lamb_matton0803

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