春の層 後編

『桜の海』は『桃園』からすぐ近くにあった。


『桃園』は平地で『桜の海』は緩やかな坂になっている場所だ。


 川沿いにあるためだろうか。


 川の先には夏の層にあった花畑のように湖があったりするのだろうか。


「ここが『桜の海』です。川沿いに桜が並んでいるのは、地面を踏み固めて増水に耐えるためなんですよ。豆知識です。ここは上の方から眺めるととても綺麗な景色になっているので、あそこから伸びているユグドラシルの枝に登りましょう」


 そう言ってジニアが指さした先には木々の間にひょっこりと、緩やかな坂道に見えるくらいの角度で顔を出している枝があった。


 こんな風に登りやすく生えているユグドラシルの枝をこちらにきてから見たことがなかったので、言われなければ丘だと思っていたかもしれない。


 今まで見かけた枝はまっすぐ真上に突き出ていることが多く、斜めに生えているものは地面を支えているのが多かった。


 枝まで少し距離があったが、わいてくる好奇心の前には千里の道も1mほどのように感じるもの。……さすがに千里をそこまで短く感じるのは難しいかもしれない。


 ここから見える景色はどんな風景だろう、川の先はどうなっているのか。


『桜の海』を一望するついでに『桃園』も一緒に見えそうだなんて考えているとあっという間に到着した。


 言葉に表せない感動が心に吹き渡る。


 想像していたよりももっと美しい景色に歓声をあげる。


 流れる川の両脇に『桜の海』があり、川の流れる先が『桃園』になっていた。


 その二つの周りは春らしい柔らかな芽をつけている木々に囲まれており、薄い桃色がより際立って映えている。


 木々の外には花畑があり、ネモフィラや勿忘草、ヒヤシンスにチューリップ等、春を思わせる花々が咲き乱れていた。


 遠くて花の種類までわからないはずなのだが夢でよくあるように、どんな花が咲いているのかがはっきりとわかった。


 超人的な感覚が備わっているのか、もしくは夢の中は自分のイメージなので思ったようなものが正解になる現象か、木の妖精が祝福してくれたおかげだろうか、不思議なことにわかってしまった。


 そういえば『祝福』されればいろいろなものを読み取りやすくなるかもしれないって聞いた気がするし、マナの恩恵なのかもしれない。


 ふと、先ほど見かけた川の行き着く先が気になり、目で川をなぞって見てみたが湖も池もなく先がわからなくなっていた。


 どこかに湖や池のような水たまりがある気配も感じ取れない。


 そこまで読み取れるのか自信も確証もないので、ひょっとしたら実力不足で読み取れないだけかもしれないけれど。


 あの川はいったいどこへ続いているのだろう。


「あの川はどこに続いてるんですか。夏の層のように湖になってるのかなって思ったけれど。もしかして桜の花びらや梅の花で見えなくなってたりしますか」


 目をキラキラさせながら尋ねると、ジニアはいつものように温かく答えてくれるのだった。


「それは後のお楽しみです。って言っちゃうとヒロくんにはわかっちゃうかもね。ヒミツです」


 口に人差し指をたてて楽しそうに言うジニアは見ていてとても心が安らいだ。


 楽しみを聞き出したくなる衝動をおさえ、これ以上質問しないで胸にそっとしまっておく。


 ちょっとした質問を続けすぎて、こんなに楽しそうなジニアの表情を疲労で曇らせてしまいそうな気がして。


「わかった! 楽しみにしてるね!」


 なんだかクリスマスプレゼントを待ってる時のようなワクワク感が楽しくて、わからないまま待つのも良いと思えるのだった。


「では最後に『天満宮』へ参りましょう」


 ジニアがちょっぴり寂しそうな表情になりながら先を歩く。


 聞くべきなのか黙っているべきか考えていると、モモが肩にふんわりと乗るのを感じた。


「そういえば『天満宮』って道真公の?」


 モモの口から道真という名前が出てきたことをジニアと一緒になって驚いたが、一緒に突っ込んで話さないように注意した。きっと拗ねてしまう。


「そう! よく知ってたね。もしかしてこっちだと有名なの?」


 知っているのを正直に褒めてから気になることを尋ねてみる。これなら多分傷つけないはず。


「この世界を冒険して回ってたくさんの本を書いた人よ! すごい人! 『学者』って名乗ってるわ! でもね、本を読む人があんまり多くないから、この世界のことを書いてまとめても誰も何も知らないのよ」


 そういえば、ジニアが手渡してくれた本の作者が『学者』だった。


 まさかあの本棚すべて道真公が書き記した本だったと……?


「すごい……! すごすぎる。モモちゃんがしっかり知ってて覚えているから道真公も報われるだろうなあ」


 思わずモモの頭を撫でてしまった。目を細めて嬉しそうにしているのが可愛らしい。


「覚えているのは私だけじゃないのよ。少なくとも、月にいるみんなと精霊様、妖精の間で語り継がれている偉業なのよ。みんな道真公が大好きなの。この世界を愛して理解しようとしてくれた最初の人だったから。たとえ覚えているのが私たちだけになろうと、彼のことを忘れはしないの」


 モモは誇らしそうに胸を張り、優しそうな顔で空を見上げてから続けた。


「まだこの世界で本を書き続けてるんだけどね! 書かれた本を読みやすくしたのが出回ってるのよ」


 てっきり、この世界にはもういないと思っていたので、ずっこけそうになりながらも興奮してしまった。


「もしかして会える!?」


 モモは残念そうに首を横に振り、それを見るやいなや気持ちがシュンとしぼむ。


「今も旅をしているのよ。それで、声もかけないで本だけシルフ様のところに置いてまた旅にでちゃうの。シルフ様でもあんまり会ったことないんだって。昔は挨拶もちゃんとしてたらしいんだけどね」


 ということは、会える可能性はゼロではない。


 再び夢と希望で胸がいっぱいになってきた。


 楽しみがあるのってこんなに満ち足りた気分になれるんだ。たとえ叶うとは限らなくても。


「詳しいんですね。この『天満宮』にも昔はよく来ていただいていたのですが、めっきりお見えにならなくなりました。忙しいのでしょうかね。さて、着きました。ここが『天満宮』です」


 期待に胸を躍らせていると、ジニアが到着を知らせてくれた。


 目の前には寂れた外郭門がそびえたっている。


 向こう側がどうなっているのか、想像に花を咲かせながら門をくぐる。


 てっきり立派な建物がどんと構えているのかと思っていたが、屋敷のない小さな日本庭園が目の前に広がっていた。


 玉石だろうか? 門に入ってすぐと右側に白い石が敷き詰められている。


 左側の外郭付近には池があり、真ん中には緑の島が一つだけぽつんとある。木の橋が島に二基かかっていて渡れるようになっていた。


 池の周りは緑地で覆われていて見ていると落ち着くことができた。


 水と植物の組み合わせは本当に癒される。


 他にも、緑地は外郭に沿って設けられている。派手になりすぎない程度に薔薇と菊の花が植えられていて胸がすっとするようなすっきりした美しさがあった。


 薔薇は白色、淡紅色――薄い桃色、深紅――暗めの赤色、瑠璃色、蒲公英色――タンポポのように少し赤みがかった黄色、桃の実のように白と薄桜色と淡紅色のグラデーションが美しいもの、様々なものが植えられている。


 菊は白色と赤色、若紫色――薄い紫色、乾鮭色――焼いた鮭のようなピンク色がそれぞれ植えられているけれど、どういうわけか黄色は見あたらなかった。


 本来屋敷がありそうな中央部には梅の木が三本植えられている。


 梅の花は卯の花色――ほんの少し黄色がかった白色、淡紅色、萩色――派手目のピンク色の三色。


 それぞれの木にそれぞれの色の花が慎ましく咲いていて美しい。


『桃園』と『桜の海』と比べるとここは空も空間も開けてすっきりしている。


 右側の外郭近くへ視線を移すと、牛の像が祀られているかのように置かれていた。


 言葉もなくそちらをじいっと見つめていると、ジニアが説明をしてくれた。


「あの牛は撫で牛と言います。自分の体でよくない部分を撫でた後、牛の像で同じ部分を撫でると良くなるといわれています。撫でてみますか?」


 ぜひ撫でさせてほしいと思う反面、自分のどこを撫でればいいのかがすぐに浮かんでこないのでじっくり考えこむ。


 心が元気になれば。


 しかし、心とはどこを撫でればいいのだろう? 頭? それとも胸?


 考え込んでいる間に、モモが両手で自分の頭を一生懸命撫でまわし、牛の頭を撫でているのが視界に入る。


「頭がよくなりますよーに!」


 見ていると心が温まり、自然と笑顔になれた。


 モモのように、深く考えすぎてなんかいないで自分の思うままにやってみるのもいいかもしれない。


 思考と感情は別々だと思っている。だから、撫でるのは頭じゃなくて……。


 そっと胸を撫でてみる。心臓の鼓動が手のひらに穏やかに伝わってくる。


 さて、牛を撫でるぞと意気込み像を見て、はて、牛の心臓はどこにあるのかという疑問が浮かぶのだった。


 どこだろう?


 なんとなくだが、首の下、前足と前足の間をそっとさする。


 もし前掛けがあれば隠れてしまいそうな位置だ。


「ヒロくん、もしかして心臓が悪いのですか? 痛いとか、苦しいとか……?」


 やっぱりこのあたりに心臓があったのかと少し嬉しくなる半面、しまったと思いもした。


「そういうわけじゃないんだ。ただ、心が元気になればいいなって思って。心臓はひとつも悪くないから安心して」


 ジニアは安心した表情を浮かべた。見ているこちらまで安心できるような平穏な顔をしている。


「ジニアくんは撫でないの?」


 いつも自分のことそっちのけで心配してくれるジニアはどこも悪くないのかが気になった。別に悪いところがあってほしいわけではないのだが……。


「僕は大丈夫です。どこも悪いところも心配なところもありませんから」


 花が咲いたように微笑みかけてくれて心から安心できた。


 ああ、自分がしっかりしているからこんなに気遣えるってことなのかな。


 それに比べて自分はどうだ。


 後悔、足を引っ張る恐怖と不安、嫌われる恐怖、失敗への恐怖。


 人を気遣うことができないわけじゃないけど……。


 考え込んでいると、モモがメガネをくいくいっと上げる動作をしながら口を開いた。


「へへへ。賢くなれた気がする!」


 モモを見ていると悩み事がどうでもよくなる。こんな風に生きていたい。


 モモは僕のネガティブな心のモヤをいつもどこかへ吹き飛ばしてくれる一陣の風だ。風のように自由気ままで爽やかでときに乱暴だったりする。


 嵐のような乱暴さではなく、そよ風のような茶目っけある乱暴で可愛い部類のものだから問題ない。


 晴れた気分で庭園をのんびりゆっくりと歩いていく。


 言葉もなく歩く庭園は心をすっと落ち着かせてくれた。


 踏みしめる石のギュッギュッという音があたりに響き渡る。土地も心も浄化する清めの音。


 橋を渡るときにはギイギイと、木の古めかしい音が鳴り響く。不思議とそこに不安はなく、積み重ねた年月の旋律を静かに奏でた。


 一通り満喫し終えた頃合いのこと。


「そろそろ次の層へいきますか?」


 そうっと囁くジニアの提案に静かにうなずく。


 空間も心もなにもかもが静かで穏やかで心地よく、騒ぐべきではないとなんとなく心が感じ取った。

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