春の層 前編

 エレベーターの元についてから裕樹が合流するまでそう長くはかからなかったが、地獄のように長い時間だった。


 慌てて走ってきた裕樹に気がついたとき、地獄に仏とばかりに温かい笑みが自然と浮かんできた。


 長い間待たせたのではないかと思っていそうな裕樹は、僕の顔を見るとさらに一層申し訳なさそうな表情に早変わりした。


 本当はモモからのお説教でやつれ、ようやく地獄が終わることにほっとしただけだったのだが、彼にはそうは映らなかったらしい。


「ごめん! たくさん待たせちゃったんだね、本当にごめんよ」


 そんなに待っていないのに、たくさん謝られてむしろこちらが申し訳なく思ってしまう。


 自分の出来心と不運がモモだけでなく裕樹にまで影響してしまうなんて。


 それにしても、走ってきたにしては息が上がっていないように見えるが、風のマナと……おそらく木のマナを強く感じるので、見送ってもらったか何かだろうか。


 もしかしたら『祈り』ができたのかもしれない。


「んーん。ヒロくんとても早く追いついたから全然待たなかったよ」


 両手で頬をペチペチと叩き、屈託のない笑顔をすぐに取り戻して温かく迎えながら、モモに視線を恐る恐る移した。


 モモはまだ少しこちらを睨みつけ不機嫌そうにしていたが、裕樹から漂うマナを感じ取ると、機嫌を直してピューンと肩に真っすぐ飛んでいった。


「早かったわね。風のマナが感じられるわ。あと……木のマナ?」


「そう! 存在する精霊以外にも、ありとあらゆるものにマナと妖精がいるんだってさ。木と時間と言葉に心、色と音だったかな。木の妖精さんが教えてくれたんだ。それと、僕のこと手助けしてくれたんだ!」


 目をキラキラ輝かせながら勢いよく話す裕樹は、とても楽しそうで眩しかった。見ているこちらの心が洗われるような気分になる。


「木の妖精? すごいなあ。僕も見てみたかった」


 肩をがっくりと落とし、さきほどまでのやつれた表情が復活しそうになるが、一生懸命笑顔を崩さぬようにする。


 それにしたって、木の妖精を見られるチャンスを逃したのはでかい、でかすぎた。本でドライアドの名前を目にしてから、一番見かけてみたいと思っていただけに。


「今日だけで三種類目の妖精なんて本当にすごいや! あと、本に書いてあったドライアドってやっぱり木の精霊だったんだね」


 様々な可能性に思いを馳せると、すぐにいつものように微笑むことができた。


 目を輝かせながら裕樹をまっすぐ見つめると顔を赤らめているから面白く感じる。



 好奇心に満ちたその目は光り輝き、今を生きている瞳をしていた。


「マナの扱い方も教えてもらったんだ! 祈るといいんだってさ。全然知らなかったから感動しちゃった。魔法みたいなんだよ! 木が道を教えてくれて、風が僕を乗せて運んでくれたんだ!」


 より一層楽しくなって、興奮気味に話しすぎてから我に返った。


 話を聞いていたジニアとモモは、あっという顔をし、二人とも同時に目を逸らしたためだ。


 そんな反応をされるなんて思ってもいなくて、目を丸くしながら二人を交互にみた。


「あれ? もしかして……」


 あんまり饒舌に話しすぎたせいかと落ち込みかけていたときだ。


「ごめん! 教え忘れちゃってた。他にもいろいろ話したかったし教えたくてついうっかり……。待ってる間に思い出して、教えないとって思ってたんだけどさ」


 ジニアが早口でまくしたて、ちらっとモモの方を見た。


 どうしてモモを見たのか疑問に思いつつ、なにかいけないことをしてしまったわけではないとわかって胸を撫でおろす。


 少なくとも、おしゃべりしすぎてびっくりされてしまったわけではなかったらしい。


「誰にでもそういうことあるよ。ジニアくんもそういうところあるんだと思ったら、なんだかもっと親近感わいちゃったな」


 実際、ジニアには親近感しかなかった。


 少しうっかりしているところが、完璧に思えたジニアのイメージを少し和らげてくれたのだろう。


「本当に教えてもらってなかったんだ」


 モモは驚いた顔をしたあと顔を赤らめながらジニアを軽く睨んだ。


 なぜジニアが睨まれているのかわからないまま、顔が赤くなったのはいつもみたいに照れたりしてるのだと思い、優しい笑みをこぼしながら慎重に頭を撫でる。


「モモは途中からついてきてくれてるもんね。知らなくて当然だよね」


 するとモモは本当に照れてしまったのだろう、先程までのことはすっかり忘れた様子で微笑みかけてくれた。


 モモとそうしている間に、どこにしまっていたのか『夏の層』へ行くときに使ったラフレシアを二つジニアが取り出して準備を終えていたので面食らった。


 それをみたジニアはクスリと笑ってジョークを飛ばす。


「秘密のポケットがあるので」


「なるほど。じゃあこれはひみつ道具かな?」


 声を上げて笑いながら冗談で返し、三人で笑い合いながらエレベーターに飛び込んだ。




 モモのおかげで『夏の層』へ降りるときのように安全に『春の層』入り口まで風を使って誘導してもらうことができ、すんなりと『春の層』へ踏み込むことが出来た。


『春の層』の入り口は『夏の層』よりもユグドラシルの枝と大地の屋根がたくさんあったが、しばらく歩いて行くと温かな日差しで柔らかく包まれている空間が広がっていた。


 少しひんやりとした空気もあるが、ポカポカして気持ちがいい場所だった。


「この層では『桃園』と『桜の海』と『天満宮』の順に行こうと思っています」


 ラフレシアをいつの間にかしまいこんだジニアはそう言って、案内を始めていた。


 本当にどこへしまっているのだろうと不思議に思いつつ、モモに誘導してもらったお礼を述べてから、少し怯えながら質問した。


「そういえば、僕たちを誘導するときマナを使ってたりするの? ……消えちゃったりしない?」


 長い間忘れていたが、ふとしたことで不安になることが久々に起きた。


 誘導されて着地するまでは安心しっぱなしだったが、誘導するのにマナを使っていたりするのかが気になった途端に心配でたまらなくなってしまったためだ。


 モモはそんな僕の様子を見て、不安になっているのがすぐにわかったようだ。優しい気持ちがめいっぱい詰まったかのような柔らかい口調でなだめてくれる。


「精霊様のお使いで預かっているマナとあたしたちが自由に使えるマナは別々なのよ。お使いで預かってるマナが今ここにいられるエネルギー。あたしたちが自由に扱えるマナは現地調達なのよ。マナはあちこちに漂っているのだけれど、妖精は微量なマナを集めてちょっとだけ蓄えることができるの。大地に恩恵を与えるほどの大きさまで集めて配れるのは精霊様と月の光だけ。つまり、あたしたち妖精が個人で集めて使えるのは静電気ほどで、妖精様や月の光は雷くらいかしら。さっき裕樹についていた風のマナを少し拾ったから、今はたくさんマナの貯蔵があるわよ。私にとってだけどね!」


 妖精と精霊によって扱えるマナの違いとともに、モモが消えてしまうことがないとわかり、心から安心することができた。


 安心できると、自分も手伝えないかという欲がわいてくる。


「静電気ほどのマナで僕たちを誘導できるくらいの風が扱えるなんてすごいなあ。もしよかったら、せっかく覚えた『祈り』で僕もモモちゃんみたいに誘導できたりしないかなーなんて思ってさ。力になれたらいいなと思って。モモちゃんのマナが少なくなったときに僕が『祈り』を使えばマナの補充だってできるし」


 モモはうーんと考え込み、残念そうな表情を浮かべて首を横に振った。


「あたしたちみたいに、マナを自分で集められるならやってもいいかもしれないわ。裕樹が使えたのは、祝福を受けたからなのよ。大事なときのためにとっておきなさい。試してみたい、練習したい、力になりたい気持ちはわからなくはないけど、少しもったいないわ」


 モモは言い終えると優しく頭を撫でてくれた。


 手伝うことができなくて残念だなと思いつつ、使える回数が限られているものなら確かに頻繁に使うべきではないと納得した。


 大事なときに役に立つことができないのは確かに嫌だ。


「それにね『祈り』と妖精や精霊様が駆使するマナの力は少し違うの。『祈り』はマナで起こせる恩恵を自分たちで思い描いて受けることがほとんどの場合できないわ。あくまで誰かのために何かを祈るものよ。そしてその結果は思ってもない形で叶ってしまうことがほとんどよ。祈った相手に害があることもたまにあるわ。具体的なイメージを『祈り』に乗せられていないから、聞き届けてもらえないの」


 初めて『祈り』を使ったときのことを思い返す。


 確かに、僕が最初に思い描いたものと違う形で『祈り』は叶った。


 まさか風に乗って飛んでいけるなんて思いもしなかったし、木が話しかけてくれたり道が浮かんで見えてくるなんて思ってもいなかった。


 二人をそんなに待たせることなく、僕を探しに来て迷子にさせることもなくたどり着けたが、もし違った形で……二人にとんでもないことが起こってしまうことを想像すると頭から血の気が引いてくる。


 最後に木の妖精に祈った内容が不安になってくる。


 不発だといいのだが、もしあのおじいさんになにかがあったらどうしようと思うと居ても立ってもいられずそわそわしてしまう。


 祈ってしまったことを言ったほうがいいのかどうか。


 モモはその様子に気づいてか否か、少し得意げに胸をたたいてウィンクをしてくれた。


「あたしをドンドン頼っていいんだからね!」


「すごく頼もしくて嬉しいけど、無茶しないでね?」


 モモは心底嬉しそうにしながら顔を赤らめ、僕の頬に自分の頬をそっとすりつけた。


「マナのご加護を……」


 突然のことに頭が真っ白になってしまった。


 耳まで顔を赤くしながら慎重に頬をそっとすりつけ返してみる。


「マナの加護を」


 するとモモは口を両手で抑え、前を歩いているジニアを盾にするような形で飛んで逃げてしまった。


 あれ、まずいことしたかな。返した方がいいと思っただけだったのだけれど。


 頭を抱え込みそうなくらい後悔した。


 またやっちゃったかなと思って俯いたそのとき、消え入りそうな声でジニアの影からモモがお礼を言っているのが微かに聞こえてくる。


 ゆっくりと顔を上げてみるとジニアの悪戯っぽい笑みが向けられ、目が合うと人差し指を立ててしーっとするようにしてみせてくれたので、これ以上ないくらいモモが照れて隠れてしまったんだということがわかり、照れくさくなってくるのだった。


 ジニアに微笑み、ありがとうと声を出さないよう口の動きで伝えると、親指を立てて微笑み返してくれた。


 このやり取りがなんだかこそばゆく、心がくすぐったくなってくるのがたまらなく楽しかった。


 ジニアも同じように思っていたのか、頬を少し染めながら嬉しそうにしている。




「さあ、着きましたよ。『桃園』です」


 白い雲が時折見える青空を背景に、白色、薄い桃色、紅色をした花々が彩っている。


 青々とした大地に舞い散る花びらが色を差し、絵に描いたような美しい風景をさらに芳しい香りがほんのりと飾り付けていた。


 桃の実はいい匂いを漂わせているはずだが、桃の花にそこまで強い香りがあったかどうか。


 記憶をたどりながら、桃といえば『桃園の誓い』をじんわりと思い浮かべる。


 劉備と関羽、張飛が義兄弟となる契りを交わしたとされる話だ。


 かつて桃園とうえんの誓いを桃園ももえんの誓いと読んでいた恥ずかしい思い出もほんのりと蘇る。


 思い出とともに顔をほんのりと赤らめながら美しい花々で着飾った木々をのんびり見上げた。


 その昔、桃の花には桃、梅の花には梅、桜の花にはさくらんぼが実るものだったらしいが、今では観賞用に改良された実らない種類が存在しているそうだ。


 よく見かける桜がいい例だろう。


 この香りはもしかすると、実がなる桃なのかもしれないが、この世界の桃や桜、梅はどうなんだろう。


「『桃園』といっても、桃の花が多いというだけで、梅や桜も混在しています。ここにある木々は実を結ぶ種類ばかりですよ。ここは『桃園』のほかに『果樹園』とも呼ばれている場所で、実を結ばないものは『桜の海』や『天満宮』で育っています」


 あたりに漂う甘い香りの疑問はジニアの説明で解決した。


 だからこんなにいい香りがするんだな。


 あたりをゆっくり見渡すと、咲き乱れる花々に埋もれてちらほらと実がなっているのが見えた。


 モモが興味津々といった様子で近くの花を見つめ、香りを嗅いでいる。


「これが桃? いい香りがするわ。もしかして裕樹はこの桃から名前をつけてくれたのかしら?」


 残念ながらモモが近寄って見つめているのは梅だ。


 ジニアと一緒に微笑みながら説明を始める。


「モモさん、それは梅の花ですね。花の状態で香りがあるのは梅です。山桜も香りがあるそうですが、大体の場合、香りがあれば梅だと判断して良いと思います。ちなみに、匂い以外での判断方法では花びらを見ると確実です。花びらの先が丸くなっているのが梅で、桃は先がとがっている上に葉が一緒に生えているもので、桜は先が割れているものになります。ちなみに梅の実は梅干しや梅酒とかに使われていますね。和菓子に入ってることもあります」


 モモは話を聞きながら花びらの様子を見比べ、これは桃? これは桜? これは梅? とジニアと僕に質問し、言い当てることができるようになってくると大はしゃぎだった。


 見ているこちらも微笑ましい。


「木でも見分けがついたりするよ。木がざらざらしているのが梅で、斑点模様があるのが桃、横縞になっているのが桜だよ。実は言わなくても大丈夫かな? モモちゃんの名前の元は桃で間違いないよ。そういうイメージがぴったりな気がして」


 照れながらいう僕を見たからか、モモも一緒に照れながら不思議そうに首をかしげて尋ねた。


「二人とも詳しいのね。どこでそんなにたくさんのことを知ったのかしら?」


 僕もどこで植物のことをジニアが知ったのか気になって見てみると、ジニアもまたこちらを向いたので目が合った。


 目が合うとお互いに逸らしたらしく、モモがケタケタとおかしそうに笑いながらからかってきた。


「なにそれ! 目を合わせて逸らすなんて意味深ね」


 僕は顔を赤くしながら反論する。


「まだ小さかった頃、幼馴染の子と図鑑を読んで一緒に話しながら見てたから印象に残ってて……」


 そう言いながらジニアをちらっと見ると、少し考え込んでいるように顎を触って一点を見つめていた。


「ジニアは?」


 モモが気になって仕方がなさそうな様子でジニアに問いかけると、ふっと笑みを浮かべ柔らかい口調で答えた。


「花人ですからね。植物の世話をたくさんしてきたので」


 ジニアは手をパンと叩くと『桜の海』へ案内しますねと言って先を歩き始めた。

 モモとその後を慌てて追いかける。


 モモはというと、二人の後ろ姿を優しい笑みで見つめ、ヒラヒラと飛んで追いついていった。

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