祈り
さすがアオギリの森といったところだろうか、湿気がすごいので落ちている枝のほとんどは朽ちてしまっていた。
さきほど落ちた枝は湿気でやられて落ちたもののようだった。
すでに落ちていたものと勘違いして調べたわけでなければだけど。
うーんと唸りながらあたりを見つつ進んでいると、一箇所だけ大きなひだまりができている場所を見つけた。
なんて綺麗なんだろう。
遠く離れているときからひだまりに気がついてもおかしくはなかったのに、近寄るまで気づくことのない、不思議で神秘的な場所だった。
思わず見惚れてしまいながらさらに近寄っていくと、一振りの真っ白な枝が光のベールに包まれ、地面に垂直に刺さっていた。
眩しいからか結構小さい枝だからか、たどり着くまでその枝に一つも気付かなかったことがさらにひだまりと枝を神秘的で不思議なものにしていた。
アーサー王伝説のエクスカリバーを頭に浮かべながら枝に触ってみると、乾燥していて芯のしっかりした上物であることが何故だかはっきりわかった。
アオギリの枝ではないかもしれない。
そう思ってじっくり観察しても何の枝かわからなかった。
少し力を入れて引っぱると、土がついていない状態で綺麗に抜けてきたのだからなお不思議だった。
「どうしてこんなうまい具合に?」
摩訶不思議な出来事を前に、真上を見上げて確認してみても答えは見つからない。
現実では正午くらいだろうか、真上に太陽がある。
この世界の太陽なので正確な時間はわからないのだが、少なくとも、真上に枝があって折れて落ちたわけではないということだけはわかった。
こんなに開けた場所にどうやって垂直に刺したのか。
ずっと前にアオギリでない枝が真上にあったとして、こんなに空が見上げられる隙間があくまでの間、腐らないで残り続けられる枝なんてそうそうないだろう。
現に、地面にある他の枝はほとんどふにゃふにゃな状態だ。
思考を巡らせながら地面を見下ろすと、見たこともないくらい綺麗な羽毛がほんの少し落ちていた。
胸が高鳴り、息がつまりそうなほど興奮しているのが自分でもわかる。
「これって、もしかして鳳凰の?」
慎重に、丁寧につまんだ羽毛を目の高さまで持ってきて、歓声をあげそうになるのを抑えながら見つめた。
なんて綺麗な羽毛なんだろう。鳳凰がこの枝を刺したってことなのかな。
「これもジニアくんにあげたいな。別々に加工して渡そう。どんなものにしようか悩んじゃうなあ。適当に表面を削って模様をつけあたとに色付けしたら、笛の形をした首飾りにしようと思ってたけど、こんなにいいものにそんなことしづらいなあ。もったいない」
うーんと唸りながら考え込みそうになったが、二人が待ってるかもしれないので、枝が折れてしまわないよう背中側に回し、ベルトに挟んで忍ばせた。
羽毛は胸ポケットにしまいこみ、走って道までもどるまではよかったが、矢印を道のどのあたりに書いたのかがわからなくなって困ってしまった。
もう少し右に行ったところか、左か。どっちだったろう。思い切って少しだけ道に沿って歩いてみようかな。
困っていると、織部色――濃い毬藻のような色を放つ妖精が足元に現れ左を指さしてくれた。
「あっちじゃよ」
その妖精からは木の爽やかな香りと蜜の甘い匂いが漂っている。
「ありがとうございます! とても親切な方ですね。あなたは一体何者でしょうか?」
驚きつつもお礼を述べ、不思議そうに尋ねると、足元にいる髭の生えた老人は柔らかく微笑みながら答えてくれた。
「木の妖精じゃ」
年老いた見た目と口調をしているからか、新しく気になることができた。
妖精ってそもそも年齢はあるのか、見た目通りの年なのか。
それよりも木の妖精だと答えてくれた目の前の老妖精に好奇心をそそられるのだった。
「妖精って精霊の数だけいるとお伺いしました。もしかして、木の精霊もいらっしゃるのですか?」
もしかすると僕たちの知らないことが聞けるかもしれないという期待が胸いっぱいに広がってくる。
「ホッホッホ。そんなに目をキラキラさせながら質問してくるとは。よっぽどワシらに関心があるようじゃの。残念ながらワシらの精霊は休憩中じゃ。大昔には活躍していたそうじゃが……」
木の妖精はそう言いながら髭をゆっくり撫で、目を細めながら森の天井を、おそらくその向こうにあるであろうユグドラシルを見上げた。
「かつて木の精霊がいたのに今はいない扱いを受けているのってもしかして……」
二人で読んだ本にドライアドの名前があるのに、ジニアが言っていた精霊の中には代わりにレヴィンという名前があったのを思い出す。
思い出すと、木がどんどん切り倒され、木の精霊と妖精たちが涙を浮かべながら去っていく光景が頭に浮かんできた。
自分の身に起きたことではないのに、まるで実際に見てきたかのように鮮明な光景が頭にとめどなく浮かんできてすごく胸が苦しい。
張り裂けそうな痛みと悲しみに耐えきれなくなり、思わず胸を押さえる。
木の精霊はひょっとして人間たちから身を隠すことができたのかと思った矢先、木の妖精が髭を撫でながら優しく語りかけてくれた。
「大丈夫じゃ。希望は残っておるのじゃ」
そのおかげか、頭に浮かんできた光景は大地から芽吹く多くの生命を見届けている様子に変化し、心からは絶望や苦しみが消える代わりに温かい希望の光が灯っていくのを感じた。
「ワシらがまた増えて行けば、精霊は元気になるからのう。ワシらはマナから生まれるのじゃよ。この世界はマナでできており、すべてにマナが宿っておる。妖精はマナから生まれ、精霊は妖精から生まれておるんじゃ。妖精はマナの源が増えるとどんどん増えていき、妖精が増えると精霊が生まれ、世界にそれぞれのマナを増やしていく。それ故、妖精は精霊よりも種類は豊富じゃが、それぞれの妖精の数は、精霊の存在するマナの妖精に比べたら少ないのじゃ。木だけでなく時間、言葉、心、音、色、あらゆるものに宿っておる。マナの種類も数もどんどん増えていっておるんじゃ。減っていくもんもあるが……」
言い終えるや否や、木の妖精はその場で跪き、祈りを捧げるようなポーズをとった。
すると、木の妖精から織部色の光が溢れ出し、泡のような粒となって周りに舞い始めた。
「マナの祝福を。ホッホッホ。お主はすでに風と水から祝福を受けておるようじゃな。木の祝福で自然を、生命を感じ取りやすいはずじゃ。感覚が研ぎ澄まされるともいうが、お主は元々感性が豊かなようじゃから、人一倍いろいろなものを読み取りやすくなったかもしれんな」
木の妖精は目を細めた。
髭で口元がよく見えないが、温かく微笑んでくれているのだと容易にわかった。
髭で口元が見えないことを承知で、目元に温かい表情をぎゅっとつめて見せてくれているようにも思える。
マナの祝福のおかげかな。
「たくさんのことを教えてくださってありがとうございます」
興奮冷めやらぬ状態で、いつも以上に言葉に気持ちを込めてお礼を言った。
本当にたくさんのことを知った。
マナがあるということは妖精がいるということ、数が増えたら精霊が生まれるということ。
だからドライアドはマナの源である木が少なくなっていなくなり、代わりに数を増やしていった雷の精霊が生まれてきたということか。
本当は僕たちが知っている以上に精霊はいるのかもしれない。
それだけじゃない。
あらゆるものにマナが宿っていることが新鮮だった。いったいどんな色でどんなオーラを放っているんだろう。
二人で読んだ本とモモの話から、精霊が先で妖精があとから生まれたのかと思っていたけれど、違う可能性も十分にある。
それが知的好奇心を刺激してたまらなくワクワクするのだった。
卵が先か鶏が先か、妖精が先か精霊が先か。
妖精に思いを馳せていると、木の妖精は微笑みながら口を開いた。
「受けた祝福の属性にちなんだ『祈り』も扱えるぞ。急いでおったようじゃが、さっきの二人に追いつきたいなら使ってみてもいいんじゃないかのう。見たところまだ使ったことがないようじゃし、教わっておらんとみた。ホッホッホ」
初めて耳にする『祈り』というもののことまで教えてくれるのだった。
目を輝かせながら『祈り』とは何かを木の妖精に尋ねたが、人差し指をくるくる回してウィンクするだけだった。
「そのままの意味じゃ。まあ、考えるのも大事じゃがまずはやってみなされ。まずはそれからじゃ」
そのままの意味というので、イメージする『祈り』をそのまま実行してみたのだが……。
片膝をつき、両手を組んでしばらく祈ったが何も起きなかった。
お願いです、僕の足を早くしてください。僕に道を教えてください。
しばらく頭の中で自分なりにお祈りをしてみても何も起きなかったが、諦めないで挑戦し続けた。
ひょっとしたら片膝つくのは違うのかもしれないと思い直して、直立して両手を組んだまま頭を垂れて祈ってみたが、何も起きなかった。
両手を組むのではなく、手を静かに合わせたり、神社のお参りのようにパンパンと叩いてみたりしたが何も起きず、音が木霊したあとあたりの静寂にのまれていった。
試行錯誤しながら挑んでいるのを、木の妖精が髭を撫でつつ温かく見守ってくれているのを感じ取れて心がじんわりと温かくなった。
うーん。何が違うんだろう? 何も起きないや。僕が心に思い描いている言葉は、なんだか祈ってるのではなくてお願いしてるようにも思えてきた。
しばらく試し続けた結果、とっている体勢や行動ではなく、祈りの内容、言葉が違うのではないかと思い当たった。
ひょっとすると組み合わせが違った可能性もあるが、まずは言葉を見直してみることにした。
今まで心で唱えていたのは『祈り』ではなくて、単なる『お願い』だったのかもしれない。辞書があれば祈るってどんな言葉なのか調べられたのに。
辞書のありがたさと偉大さを思い知らされつつ、人が祈りを捧げるときを思い起こすことで答えを考えてみることにした。
旅立つ人の無事を祈る、成功を祈る、武運を祈る……。
願うでも置き換えられてしまいそうな例文しか浮かばなかった。
そうなると祈るってなんだろうとなってくるが、ちょっとずつ何か掴めそうな気がしてきた。
お願いをしていた僕は自分に何かしてくれと願っていたような。
祈りのことを考えてみたら、自分が誰かにとって嬉しいことを願っていた気がしないでもない。
もちろん、自分にとっても結果的には嬉しいことだけど。
二人のことを頭に浮かべた。
僕を心配しながら待っているかもしれないし、道に迷った可能性を考えて探しにきてしまうかもしれない。
そうなると二人も道に迷ってしまう可能性もある。
二人が僕を心配しませんように。迷子になりませんように。
『祈り』が届いたのか、森が囁きかけてくるのがわかった。
木々が風に揺れながら枝を揺らし、さやさやと音を立てているのに混ざって、近道はこっちよ、まっすぐいくならこっちだよという声が聞こえてきた。
声に耳を澄ませて森を眺めていると、木々が道を示してくれているように見えるほど通り道がぼんやりと浮いて見えてくる。
「ホッホッホ。気をつけてな」
木の妖精がゆっくりと手を振って見送ってくれた。
風に包まれるのを感じながら手を振り返し、お礼を言おうと口を開いた頃には風に乗って目的地にまっすぐ飛んでいた。
後ろを向いていると、木の妖精があっという間に蟻ほどのシルエットになっていくのが見えた。
「教えてくれて、助けてくれてありがとー!」
これ以上ないほど大きな声で別れの言葉を放ったが、届いたかどうか。
こういうのはきっと気持ちが大事だと思い直し、木の妖精さんに良いことがありますようにと、ここぞとばかりに祈った。
心や言葉の妖精が本当にいるなら、僕のこの気持ちをマナにして届けてくれてたら嬉しいなと思いながら、二人が待っているであろう方へ向き直った。
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