神殿と夢

 親切なクルトと別れた後、床にある扉を開けると案の定縦穴の通路が現れた。


 幅が広くて泳ぎやすそうになっている通路の中へと足を踏み入れ、ゆっくりと沈んでいく。


 頭上でゆっくりと蓋がしまり、巻き起こった水流に押されてほんの少しの間だけ沈む速度が増した。


 壁には真っ白に光る石が埋め込まれている。


 目を凝らしてよく見てみると、光っているのは宝石だった。


 何の宝石だろう?


 じっくり見てみたくて壁に泳いで近寄り、じっと見つめていると、外へ行くために浮上してきた住民が声を掛けてきた。


「おや、ここいらじゃ見ない顔だな。やっぱ来てすぐだとみんなそれ気になっちまうよな! 俺だってそうだったぜ!」


 声を掛けてくれた人を見てみると、頭から派手な赤色をした角のようなものを生やしていた。


 珊瑚だろうか?


 まじまじと見てしまっていたらしく、相手は少し怒ったような赤ら顔になってしまった。


「ちょいと見すぎじゃないか? まあ、いいんだけどさ! 俺はあんまり見られるの好きじゃねえから目を逸らしてくれると助かるぜ。お前さんはされたら嫌なこととかあるか?」


「ごめんなさい。綺麗な角が生えてらっしゃったのでつい。すみませんでした。嫌なことって聞かれても……」


 素直に謝り、嫌なことがパッと浮かばないので困っていると、怒っていた顔が柔らかな笑みへと変わっていった。


「いや、いいってもんさ。綺麗って言ってくれて嬉しいが俺にはコンプレックスなんだよ。言われねえとわかんねから仕方ないんだがな。だから今後はなるべく触れないでくれ。あんまり綺麗だからついつい褒めてくるやつもいるんだがなあ。それも個性ってやつだからな。悪気がねえならいいんだ。自分の嫌なことがわからないと困っちまうから見つけておくといいぞ。見つけるの手伝えるがどうする? 俺はちょいとお節介みたいでな。そういうのが嫌なら遠慮なく言ってくれ。相性ってのがあるからな」


 ここの人たちが平和にうまくやっていっている理由を少し理解できた気がした。


 自分をよく知っているのだ。


 どうされたら嫌なのか、自分がどういう人間なのかをまず知っている。


 その上で相手がどういう人間かを知ろうとしてくれているんだ。


 クルトのようにさらっとしていて気にしないタイプもいるけれど、二人とも相手への気遣いがあった。


 まだ会話したのは二人だけれど、今のところこの領地の人にはそういう印象がある。


 もっとここの人たちをよく知りたいと思いつつ、何をされるのが嫌なのか考えてみた。


 珊瑚の人がこちらを温かく見守っている視線を感じながらじっくり考えてみる。


 思い当たったのは、宮本を殴ってしまったこと……本を捨てられたのが許せなかったことだ。


「僕は本をぞんざいに扱われるのが嫌なようです。他はわかりません」


 答えを聞いた珊瑚の人は満足そうに微笑んでいる。


「一個でも自分で見つけれて立派だぞ! そうだ、俺の名前は朱洋磊しゅ やんれいだ。隠し事がなく広い心の持ち主であってほしいという願いが込められてるんだ」


 鼻の下を人差し指でこすりながら自慢そうに話しているのを見ていてハッとさせられた。


 クルトも自分の名前に込められた願いや意味を話していたな。


「この領地の人たちは名前に宿った意味や願いを大事にしているんですか?」


 尋ねてみると洋磊は満面の笑みで頷いた。


「ああ! 自分らで好きな名前を名乗れるってのがかなりでかいんだが、込めた祈りに思い入れもあるからな。例えその通りになれなかったとしても、だ。俺たちは自分の名前を愛しているのさ」


 良い名前だろ? と言いながらニコニコ笑っているのを見て、笹倉の名前を笑ってしまったことを思い起こし、胸がずきずきと痛んだ。


 本当は自分の名前が好きだったんじゃないのか? 笑われて悔しくて、好きだったものが嫌いになってしまったのでは?


 罪悪感が胸に溢れだしてきて苦しい。酷いことをしてしまったという気持ちで押しつぶされてしまいそうだ。


 暗い気持ちに苛まれそうになっていると、洋磊は手をポンと打って口を開いた。


「ああ、忘れるところだった! この壁に埋め込まれている石はアルカディア産の特別製らしいんだ! 雷のマナが宿ってるんだとか。地下のどこかから雷のマナを分け与える代わりに水のマナを分けてくれって交渉があったらしくてな。その時に海産物とこの特別な宝石を交換したそうだ」


 アトランティスには自由と平和を感じていたけれど、アルカディアの話は商人気質な国という印象を受けた。


「アルカディアとはどのようにやり取りを? 誰も出入口を知らないとお聞きしていましたが」


 正直に気になったことを口にすると、洋磊は首をゆっくりと左右に振った。


「それがなあ。ウンディーネ様がレヴィン様の使いを名乗る者とやり取りをしたそうなんだ。どこからともなく現れて、ウンディーネ様と領地の中央にある島で歓談した後に決められたのだとか。我々に損はないどころか生活が豊かになったし、ウンディーネ様自身が良いとおっしゃったので誰も反対する者はいないよ。むしろ海産物との取引で本当にこんな良いものもらっても良かったのかってくらいだ」


 ありがたそうに宝石に向かって手を合わせ拝んでいる様子を見て、心から感謝していることがうかがえた。


 そっと宝石に触れてみるとツルツルとした表面から温かい光を感じた。


 雷のマナを分けてもらっているという話とあわせて考えると、照明のように電気が宝石に通っているから温かいのだと推測する。


 水の中で触れる温もりに心が穏やかになってきていると、洋磊も違う宝石にそっと手を触れていた。


「少しひんやりした水の中で温かいものに触れていると心がポカポカしてきますね」


 雑談をしてみたくて声を掛けてみると、洋磊はにっこりと微笑んた。


「ああ、いいもんだな。俺は珊瑚だから温かいもんがなおさら好きなようだ。そうだ、奥まで案内できるがどうする?」


 初めて来たことを気にかけてくれているのが嬉しかったが、案内を断ることにした。


「大丈夫です。わからない状態で観察しながら進んでみるのって案外楽しいなと思っているところなので」


「そうかい! なんだかあんた、自分探ししてるみたいでいいな! 達者でな!」


 断ることを咎めるでもなく、やろうとしていることを肯定してもらえるのが相変わらず嬉しくて、心がじんわりと温まってくる。


「ありがとうございます。お元気で!」


 思わずお礼の言葉がでてきた。本当に嬉しくてたまらなかったんだ。


 洋磊は手を挙げてにっこりと微笑み、神殿の外へ向かっていった。




 縦穴を底につくまで沈み終えると、奥へと続く大きな横穴が目の前に現れた。


 ここにも光る宝石が壁につけられていて通路を明るく照らしている。


 真っ暗だときっと怖くて奥へ進めなかっただろうなあ。この宝石がつけられる前はみんなどうしていたんだろう?


 湧き上がる好奇心を胸に奥へと進んでいくと、宝石が壁からなくなる代わりに、上から光の差し込んでくる広間へとたどり着いた。


 広間の壁にはたくさんのドアがとりつけられており、進んできた通路の正面には一か所だけただの穴がぽっかりとあいていた。


 ここは一体なんの空間なのかと、様子を伺って予想してみる。


 上から光が差しているけれど、上はどうなっているのだろう?


 水面へと向かって顔を出してみると、今泳いでいる場所は石造りの祭壇の中央部が海へと繋がっているようだった。


 海面が上がって水没したのか、初めから水没していた場所に建造されたのかはわからないけれど。


 祭壇部分の外には神秘的な森が広がっていた。


 日の光を浴びて木々が嬉しそうに緑を輝かせながら風に揺れている。


 ここは一体どこだろう? 出入り口を間違えてウンディーネの神殿にたどり着けなかった可能性があるのかもしれない。自分のおかれている状況がちっともわからない。


 やっぱり案内してもらうべきだったかな? なんて後悔しそうになっていると、どこからともなく紋白蝶のような羽が背から生えている人と手が鳥の羽になっている人が飛んできた。


「おや? 何の特徴もない人間なんて久々に見たぞ?」


 特徴がないという蝶の言葉に心臓を握られたような苦しさを覚えた。


 空中庭園での出来事がトラウマになってしまっているのと、ここが庭園を思わせる森だったこと、今いる領地がどこだかわからなくて不安になっているのが原因だろう。


 心が暗く沈んでくるのに合わせてゆっくりと水の中へ沈もうとしていると、鳥の人が口を開いた。


「ああ、待っておくれ。あんまり珍しいからつい言っちまっただけさ。あんたは特徴がないって言われるのが嫌な人だったんだね? 悪かったよ! 悪気があったわけじゃなくてね。つい思ったこといっちまう子なだけなのさ」


 この自己紹介をかねた話し方から、ここはまだアトランティスの領内だという安心感を得られた。


 ちゃんとウンディーネの神殿に入れていたんだな。通りすぎたり行き間違えた訳じゃなさそうで良かった。


 ホッと胸を撫で下ろし、ゆっくり話をしてみたくなって陸地へと泳ぐ。


 こちらの世界でも水から上がろうとすると体がとても重くて、腕にめいっぱい力を入れなければならなかった。


 一生懸命上がろうとしてもあがれなくて、腕をかけたまま片足を陸地へあげ、転がるようにしてようやく体をあげることができた。


 あっちの世界でもこっちの世界でも貧弱な自分に苦笑いを浮かべてしまう。こんなんじゃユグドラシルを登り切れないだろう。


 旅をしていれば鍛えられるかな?


「ごめんね。つい口に出ちゃうんだ」


 水から上がって考え事をしていると、蝶の人が申し訳なさそうにしつつも明るく話しかけてくれた。


「ううん。気にしてないから大丈夫だよ。相手がどんな人か、見ただけじゃわからないからね」


 ぎこちなくではあるが、にっこりと微笑んでみた。


 すると、二人は安心したように、嬉しそうに微笑みかけてくれた。


「ずーっと黙ってたから怒っちゃったのかと思った! 良かった!」


 蝶の人が心底嬉しそうに話したのを聞き、そういえば返事をするまで長い間を開けてしまったことに気が付いた。


 どうしてもそこまで気が回らない性格らしい。


「どうやら僕は気が回らないようです。この世界で自分に特徴がないことを気にしてしまっているのも教えていただけました。お二人のおかげです」


 いろいろな人と関わるということは自分を知るということなんだ。


 知らなかった自分をどんどん知ることができて嬉しくもあったけれど、少しだけ不安にもなる。


 そうだ、知らないことといえば。


「ここはウンディーネの神殿であっていますか?」


 憶測の域を出ないところから知っていきたい。


「ああ、ここはウンディーネ様の神殿さ! アトランティス領地中央の島であるこの場所こそがそうなんだよ。木々と草花、水に恵まれた楽園そのもの! 湖、死海、河川になんでもあり。いや、なんでもはないな!」


 鳥の人が意気揚々と話しているのを聞いていると、洋磊の話していた取引の話がここで決まったということがわかって頭がじんわりと温かくなる上に想像に花が咲いてくる。


 穏やかな島で穏やかに行われた取引。とても平和で温かくていいな。


 ああ、この島を冒険してみたい。


 この島がどんな島なのか思いを馳せていると、瞼が急激に重くなり、首がかくんとしてしまった。


 強まる好奇心と反比例するように、強い眠気に見舞われる。冒険はひと眠りしてからかな。


 元々ここへはひと眠りしに来たのだし。


「ずいぶん眠たそうじゃあないか。あたいらちょうどハンモック持ち歩いてるんだが使うかい? この辺で昼寝すんのが好きでいっつも持ってきてんのさ。木漏れ日の下で、おまけに湖のほとりを経由して吹き渡る風に吹かれながらの昼寝! 最高だよ!」


 考えるまでもなくうなずいていた。いつもなら遠慮して断ってしまうのに。


 眠いからというのはもちろんあるけれど、心地よさそうな昼寝の情景が激しく心を揺さぶった。


 蝶と鳥の人は協力しててきぱきとハンモックを用意し終えると、両腕を優しく引っ張って誘導してくれた。


「優しいですね。起きたらゆっくりお話ししたいです」


 ぼそぼそと眠たそうに話すと、蝶の人はクスクスと、鳥の人は豪快にガハハと笑った。


「あんた面白いねえ! 眠たいのに律儀っていうかさ! 気にせずゆっくり寝な!」


 鳥の人の陽気な声が遠のいていく中で、ハンモックへ横たわった瞬間意識がなくなった。







 暗闇の中を漂っていると、周りにキラキラ光る小さな粒がたくさん現れた。


 地上から見る星の海にいるような錯覚すらある。


 ゆっくりと流れるままに身を任せ、綺麗な世界をぼうっと眺めていると声が聞こえてきた。真の声だ。


「裕樹。俺、ずっと待ってるから」


 右手がほんのりと温まる。手を握ってくれているのだろうか。


 ああ、夢の中であっちの世界に触れることができているんだ。


 目をゆっくりと閉じてみるけれど、真っ暗になっただけで何も見えなかった。


 空中庭園にあったような池がここにもあるのなら見てみたいな。


 池ではあちらの音が聞こえなかったけれど、夢の中でなら聞くことができる。


 どちらか片方だけしか得られないのは切ないけれど、何もわからないよりはずっといい。


 そっと夢の中で目を開けると、ばらばらに散っていた小さな光が列を作ってゆったりとした曲線を描いていた。


 綺麗だ。


 見惚れていると、ゆっくりと星たちがこちらに向かってくる。


 ただ流れるままの僕の周りを星たちが舞い、どこかへ流れを変えようとしていた。


 ほんのりと明るくてあったかいなあ。


 ゆらゆらと揺れる感覚はハンモックのものなのか、星たちの導きによるものなのか、この際なんでもよかった。


 細かいことなんて気にしないで身を任せていると、真の声がもう一度聞こえた。


「また来るから。約束だ。俺は約束なんてめったにしないんだぞ。俺はお前のことずっと見守ってるから」


 星の光よりもっと温かい言葉だ。


 ああ、前に見た夢よりも、もっとずっと安らかに眠れそう。


 必ず戻ってみせるよ。僕からも約束するから。


 精霊の解放をしている間に戻れなくなる不安はあったけれど、ここぞというときには冒険なんてしない。


 確実にそちらへ戻るための旅路。


 精霊のためでもあり、自分のためでもある解放の旅。


 待っててね。また一緒に話そうね。







 暖かな木漏れ日の中でうっすらと目を開けた。


 体だけでなく心の奥底まで温まる夢に名残惜しさを覚えた。真くんが僕を待ってくれていることがわかって飛び跳ねそうなくらい嬉しかったんだ。

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