花園とオーロラ

 ザクロでの一件があってから、ジニアとの間に沈んだ空気が漂っていた。


 モモが冬の層へ行くことを促してくれたおかげで淀んでいた空気はどこかへ吹き飛んでくれた。空気を察したのか、いつも通りの明るさをみせてくれたのか、どちらにせよありがたかった。


 さすが風の妖精。飛ばせる空気は雰囲気も含まれているということかな。


 そんな冗談を心の中に留めておき、いつものように微笑みながら案内を再開したジニアのおかげもあって、少しずつ元気を取り戻した。



 丸く収めることができて、静かに満足しながらモモは安堵の息をついた。


 よし! まったく、世話の焼ける子たちなんだから。


 自分がお姉さんになったような気分で裕樹とジニアの背中を見守る。


 ジニアの腹黒さには腹立たしさを覚えつつも、なんだかんだ本心では見守っていたいと思っている。


 裕樹のことは優しくて穏やかで良い子だと思うけれど、心配でならなかった。


 空っぽ……いや、暗雲が立ち込めているというべきか。


 中身がないわけではない。


 心が少し空虚な気がしてならなかった。


 できれば裕樹ともっと一緒に旅をしていたいなあ。


 マナを運ぶ先がまだまだずうっと後であるようにと願わずにはいられない。


 もっとずっと一緒に過ごして、暗い気持ちを全部吹き飛ばせたらいいのになあ。



 冬の層へのダイビングは、ユグドラシルの内部のように網目状になっている床に着地して終わりを遂げた。


 今までの層と違って、ここから下の層がないからなのかな。


 ゴオッと音を立てながら風が吹き上がってくるのは、ユグドラシルが呼吸をしているよう。


 強く吹き荒れてはいるけれど、風の音は心地良く聞いていてとても安心できる。どこからか鐘の音が聞こえてきそうだ。なんとなく。


 ふと、周りを見回してみると、今までの層と違う所がもう一つあった。


 今まで着地してきた層では個性豊かな光と空気が溢れていたのに、今回は出入口が見当たらない。


 不思議そうに首をかしげていると、ジニアがこっちですよと声を掛けてくれた。


 モモの発している光のおかげで、手招きしてくれているのが暗闇にぼんやりと浮かび上がって見えている。


 手招きされるままジニアに歩み寄ってみると、ドアのような輪郭が壁にうっすらと浮いて見えた。


 周りと色も材質も同じでとても分かりづらい。


 近寄るまで全然気づかなかった。この薄暗さと合わせれば誰も気が付かないのではないかと思うほど。


「こんなところにドアが……」


 驚いていると、ジニアが少し微笑んだのがわかった。


「ドアなんてあったんだ!」


 モモも目を丸くして驚いている。


「『冬の層』はユグドラシルで最も日が当たらない層です。『常闇の層』とも呼ばれています。とても寒い上に雪が吹き込んでくるので、この層にだけドアがあるんです。防寒用に植物を用意するので少し待ってくださいね」


 ラフレシアを一瞬でしまいこんだかと思えば、いつの間にやら防寒具らしきものを手早く広げていた。


 羊の毛を刈り取った直後、服の形に縫い合わせたかのような見た目で雲のようにふんわりとしている。


「すべて綿でできています。そういえばアレルギーとかはありますか?」


 一式手渡そうとしていた手を引っ込め、質問してきたジニアは本当に気遣いができていて見習いたいと思えた。


 気にしすぎて疲れやしないのか心配になる。


「大丈夫。僕は平気だよ」


 ジニアから防寒具を受け取り着込んでいると、モモが私も私もと言って騒ぎ始めた。


「ジニアー私の分はー」


 ジニアは少し困ったように微笑んだ。


「妖精さんを本当に見たことなくて、しかも一緒に旅すると思ってなくて用意してなかったんだ。どうしよう」


 眉をハの字にして考え込んでいる。


「突然一緒に行くってついてきたから仕方ないわよね。困らせようと思って言ったわけじゃなかったの。だから気にしないで」


 モモも少し考える仕草をしてあたりをキョロキョロと見回す。


「もしよかったら」


 言い出してから少し気恥ずかしくなり黙ってしまっていると、二人の視線が集まる。


 それが余計恥ずかしくて言い出しづらいが、軽く深呼吸をし、勇気を出した。


「僕の防寒具にモモちゃんも入る? 別に、その……」


 変な意味ではないと言い訳すると余計怪しくなってしまうことに気がつき、言葉を続けるか悩んだ挙げ句黙ってしまった。


 しかしそれがより一層怪しいように思えると、どうすればいいのかわからず、余計にしっちゃかめっちゃかになってしまった。


 そんな様子を二人が温かく見守っていることに気恥ずかしさを覚えて顔を赤らめながら伏せてしまった。


 ジニアは優しく微笑み、モモに返事を促す。


「優しいね。ありがたくお邪魔するね」


 モモは顔を赤くしながら首元にそっと入り込んだ。


 くすぐったくて鳥肌を立てながら首をすくめたが、くすぐってしまわないように気を遣ってくれたのか、それ以降は平気だった。


「では、行きますか」


 ジニアは本当に手際が良い。


 いつの間にか防寒具を着終え、ドアを開けているのが薄っすらと見えた。


 ドアの先は草が生えていない灰色の地面が広がっている。


 日の光が届いていないのだろう、あたりは薄暗く、カグヤとは違ったなにかの明かりがあるだけだった。


 ところどころに雪が積もっているのも見えるがそれほど量は多くないようだ。


 ひんやりとした空気が流れ込んでくる。


 寒さに息が白くなり、鼻や喉がツンと痛む。


 ジニアと一緒に外へ歩み出ると、あたりの寒さに身震いしそうなほどだったが、不思議とそこまでは寒いと思わないのだった。


「モモちゃん、寒くない?」


 少し気になって尋ねてみると、モモは元気よく返事をした。少しはしゃいでるようで声が弾んでいる。


 そういえば、雪が降り始めた時みんな大はしゃぎで楽しそうなのを遠くから眺めてたな。


 積もった雪を前にみんながはしゃいで遊んでいる様子が脳裏に浮かぶ。


 周りからは良く思われていなかったので輪に入れたりなんてしなかった。


 そういえばどうして孤立していたのだろうか。


 ふと、ジニアの方を見てみるとにっこりと微笑みかけてくれた。


 そういえば、親が一緒に遊ぶとき微笑みかけてくれたなあ。


 悪い思い出だけでなく、良い思い出が浮かぶようになっていることに喜びを覚える。心が温かいな。


 誰にも怒られたりしない。不思議とそんな安心感があった。少しずつ楽しかったことを思い出しても良いんだ。


 そんなことを思っているとジニアが振り向き、目が合った。


 目が合うと恥ずかしくて伏せてしまいそうになったが、そうなる前に微笑みかけてくれて余計気恥ずかしくなるのだった。


「この層にもたくさんの見所があります。でも時間の関係で三箇所しか見られません。すべての層で各三箇所と決めていたので……」


 そう言って頭をかきながら申し訳なさそうに微笑んで口を開く。


「『氷の花園』を見終えたら『オーロラの森』に行って最後は『氷河』に向かおうと思います」


 どんな場所かと楽しみにしながら勢いよく、それでいてモモが潰れないように頷いた。


 どれもとても綺麗な景色を連想させる名前だ。想像しただけでわくわくしてくる。




 寒さの影響があってか『氷の花園』に着くまで誰一人口を開かなかった。


 気がつくとあたり一面真っ白な世界を二人で歩いていた。


 そういえばモモは大丈夫だろうか。


 身動き一つしていないのか、首元のくすぐったい感覚がまったくない。


 さっき頷いたときに潰してしまっていないかが気になり、首元をそっと開けてみてみると、すやすやと寝息を立てているのが目に入った。


 その様子を見てほっと息をつき、くすりと笑ってからそっと閉める。


 今ので起こしてしまわなかったかがしばらくの間気になったが、反応がなかったのできっと大丈夫だ。


「そろそろ着きますよ。ここが『氷の花園』です」


 ジニアの声に反応し、あたりを見回したが花も何も見えなかった。


 首を傾げながら目を凝らしていると、雪に覆われた何かがいくつかあるのが浮かんで見えた。


「わあ。何が覆われてるのかな。岩かなにかみたいな……。でも、花園っていうくらいだから温室みたいなカバーかなにかなのかな」


 もっとよく見てみると、雪の隙間から水晶か何かのようなものが顔を覗かせていた。


 近寄って触ってみてみると、凍てつきザラザラした表面がツルツルになった。


「気になりますか? それは氷でできています。この層はずっと薄暗くて寒いので解けることがありません」


「寒い場所ならではなんだね」


 感心しながら氷をさらにもっとよく見てみると、中で花が咲いているのを確認できた。


 氷の中ではなく、この氷の建造物の中にある空間で。



 雪をまとった氷の壁を見つめながら歩み寄り、じっと熱心に観察している裕樹を微笑みながら見つめた。


「雪を払ってみてもいいかな」


 目をキラキラさせながら裕樹が確認をする。


「ええ、もちろんですよ」


 確認をするのは良いことだ。


 聞かれなくても払って良かったのだが、裕樹のそういう慎重さが好きなので微笑ましいことこの上ない。


 雪を払って手が真っ赤になっている。


 手袋も用意しておけばよかったな。


 後悔先に立たずとはよく言ったもの。


 もう少し細かい気配りができたらよかったな。次からもっと想像して備えようっと!



 あのときも素手で雪を触って、手が真っ赤になっちゃって痛くてじんじんしたなあ。


 感覚がなくなり、手が自分のものではないようで不思議になったのも覚えている。


 久々に触る雪が楽しくて、夢中になって払い落としていると、隣で一緒にジニアが雪を払ってくれていた。


 しばらくの間二人ではしゃぎ、真っ赤になった手を見せ合って笑った。


 童心に帰って遊ぶってこういうことをいうんだ。なんて楽しいんだろう。


 ある程度雪を払い落とすと、氷でできたドーム状の建物が現れた。


 中には雪が積もっておらず、中で咲いている花に時折雫が垂れて揺れているのが見える。


 中には葉牡丹やシクラメン、プリムラ、ノースポールなど、冬に咲く花が咲き乱れている。


 建物の隅には道中で見たカグヤと違った光が見える。


 目を凝らしてよくみてみるとスノードロップのような花だ。


 中に入ってよく見てみたい。どこかに入り口があったりするのだろうか。


「入り口は確かこのあたりです」


 目の前にあるものを調べる楽しみだけでなく、久々に雪を触るきっかけをくれたことに感謝をしながらドアの前にいるジニアの元へと歩いていく。


 楽しさに胸を躍らせていると、ドアを開けないでジニアがニコニコと笑って待っていた。


 開けてみてといっているようで、試しにドアノブを握って回してみても一つも回らず、押してみても引いてみても開かなかった。


 力が足りなかった可能性もあるし、凍りついているのかもしれない。


 もう一度思いっきりノブを回してみたり、押したり引いたりしてみてもびくともしない。


「ドアノブがあるにはあるのに回らないし、押しても引いてもダメ。……もしかすると」


 ドアを思いきって横向きにスライドさせてみた。


 重すぎず軽すぎず、コロコロコロと音を立てながらドアが動く。


「ご名答ー」


 ジニアが微笑みながら拍手をし、一緒に中へ進んでくれた。


 なぞなぞを出されているようで楽しい。


「楽しかった。遊び心があるというか、なぞなぞを解くような感覚で調べるのってワクワクするね。聞いて教わるだけじゃなくて自分で挑戦してみることって楽しいなあ」


 満面の笑みで答えると、ジニアはいつも以上にはにかんで見せてくれた。


 この上ない幸福感に満たされてくるのを素直に受け止めると、ふわふわして気分が良くなる。




 建物の中もひんやりとしていたが、外ほど寒くはなかった。


 風をしのげるだけでこんなにも変わるんだなあ。


 外から見たとおり、中はシンプルな構造だった。


 氷でできた温室といったところだろうか、花畑に氷のドームをかぶせただけのような内装で、スノードロップの花が建物の隅で咲いている。


 外壁についている雪の一部分を払っただけなのに、室内は光が乱反射して非常に明るく、花の方はじっくり様子を見ないと輝いていることには気づけないほどほんのり輝いていた。


 暗いときはどれほどこの花が輝いているのだろうか。


 ほんの少し外壁の雪を払っただけでもこれほど室内が明るいのだから、払う前はどれほどの明るさだったのかも気になった。


「違う建物も見てみますか」


 察しが良いのか、考えていることが見透かされてしまっているのか。


 少し悪戯っぽい笑みを浮かべているあたり、計算通りだったようだ。


「うん! ジニアくんは僕のこと見透かしているようだね」


 今まで口には出さなかったことを勇気を出していってみた。


 もしもそれが余計な一言だったら、ジニアを傷つけたり不快にさせたりしないか少し怖かったが、女王様といい、あまりにも読まれすぎているような気がして、不思議でたまらなく聞いてみてしまった。


 言ってからしまったなと思ったが、少し寂しそうな笑みを浮かべたかと思えばいつものようににっこりと微笑んで照れくさそうにした。


「計画通りだっただけですよ。こうしたらこう考えるかなーって。それに、最初から雪で覆われている状態とそうでないときの両方とも見せるつもりだったので」


 言い終えると、少し遠くを見つめて口を開いた。


「では、他のもう一つのドームを案内させていただいたあとは、『オーロラの森』を案内しますね」


 建物を出てから心なしかジニアの歩調が早かったように思えたが気のせいだろうか。


 他の建物へ着いてすぐにドアの位置がわかった。


 ドアノブの部分が浮き上がっていたおかげだ。


 中は雪を払ったときよりは暗かったけれど、幻想的な室内になっていて綺麗だ。


 スノードロップが輝いているのをはっきり視認できるほどの暗さで、雪で覆われていない僅かな隙間から差し込む光が中で乱反射し、光が壁や天井を照らし出しながら模様を作っている。


 実際に見たことはないけれど、自然が織りなす室内用のプラネタリウムを見ている気分だ。


「すごく綺麗だなあ」


 青の洞窟のような原理で室内が白く輝いているのだと推測した。


 この白い光のように、心まで真っ白に洗われていくような錯覚を覚え、気分が軽くなってくる。


 模様をよく見てみると、リースやベル、ターキーにケーキ、ヒイラギといった、クリスマスを彷彿とさせるものが浮かび上がっているではないか。


 この建物で育てられている植物の方へ目を向けてみると、中央にモミの木が一本植えられていた。


 その周りを柊の低木が半径5mほどの距離を置いて等間隔に4本植えられており、ポインセチアはヒイラギの間に1株ずつ、合計4株植えてあった。


「ここの建物ではクリスマスにちなんだ植物が育てられていて、クリスマスの時期がくるとパーティを開いたりします。他の建物ではまた違った模様を楽しめるようになっていますよ。雪の結晶や雪だるまはもちろん、春夏秋冬すべてをイメージした模様があるんです。植物は冬のものですけどね。残念ながら全部のドームを見て回るのは難しそうですが」


 残念そうなジニアに大丈夫だと頷いて見せると、いつものように微笑んでくれた。


「次は『オーロラの森』ですね! 実はここから見上げれば見えてしまうんです」


 ジニアが説明しながらドームの外へと出ていくあとを一緒に歩く。


「あちらにある森の上空を見ていただけますか」


 ジニアに促されるまま森を向く。ユグドラシルの幹がある方向だ。


 モミの木で構成された薄暗い森と真っ暗な空が広がっている。


 ゆっくりと顔を上げると、色鮮やかな天空のカーテンが揺らめいていた。


「綺麗! ブルーにシアン、グリーンにイエローが中心で、たまに見えるレッドにマゼンタ、色のグラデーションがなんて素敵なんだろう」


 揺れる光のカーテンについつい手を伸ばしてしまう。


 触れることは叶わずとも、触れてみたい気持ちがそうさせていた。


 ジニアも隣で手を伸ばしている。なんだか心があったまると体も温かくなるのが心地よかった。

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