温泉
イフリートの言っていた千数百年の束縛がいかに苦しかったかを考えていると、ノームがショベルを大好きになった理由も納得できた。
イフリートが怒りだしてしばらく一人になりたがった理由にも。
そんなに長い間ずっと縛り付けられていたなんて知らなかった。
ずっと遠くにいる精霊を思いながら閉じ込められているのがどれほど苦しいことか……。
考え事をしながらミケとシロのあとを歩いていると、コロッセオのすぐそばにある山の頂上へとたどりついた。
そこまで高くない山だったおかげで、登るのにさほど苦労せず、時間もかからなかったのがありがたい。
嗅いだことのない独特な香りと湯気があたりに漂っている。
「ついた! ここがコロッセオ自慢の温泉です!」
湯煙の向こうに見えたのは温泉と間欠泉が一つになった危なそうな場所。
勢いよく地面から吹き出す蒸気の下には温泉がちゃんとあるけれど……熱すぎて入れないんじゃないかな?
そんな心配をよそにミケとシロは温泉に近寄り、温度計をつけながら手もそっとつけている。
熱くないのかハラハラしながら見ていると。
「ちょうどいい温度」
「良い湯加減」
という感想が聞こえてきてちょっとずつ心配が消えていった。
そうだ、ここは冥界だ。
現実の世界では間違いなく大火傷しそうなものでも、マナかなにかの力で特別なことが起きているんだ。
ミケとシロがこちらをじっと見ている。
そういえば僕だけが男か……。
「男湯はどこにありますか?」
尋ねてみると、ミケとシロは顔を合わせてクスクスと笑い始めた。
ノームはきょとんとした顔をしている。
「ありません! 天然の温泉なので!」
「ハーレム! ハーレム!」
シロとミケはどういうわけか嬉しそうに両手をそれぞれ引っ張ってきた。
「えっ? だめだよ!」
察しがついたので嫌がったけれど、ぐいぐい温泉の方へと引っ張られた。
しばらくして両手を引っ張るのをやめたかと思えば、両腕に頬ずりしながら寄り添い、喉をゴロゴロ鳴らして温泉へ誘導し直しはじめ……。
「結局温泉に連れていくのか……」
力なく呟き諦めて項垂れていると、ノームはそんな僕を顎に手を当ててじっと見ていた。
やがて悪い顔をして微笑み始めたかと思えば、背中に回ってさらに後を押し始めた。
なんだ、助けてくれるわけじゃなくて加勢しにきたのか! 悪い顔してたからなんとなくそんな気はしてたけど!
心の中で叫んでいると、ノームはご機嫌そうに口を開いた。
「良いではないか、良いではないか」
悪代官のようなセリフが出ると思っていなかったので思わず吹き出してしまいながらずるずると引きずって行かれ、ゆっくり服を脱がされていった。
真君助けて!
いない人に、ましてや心の中で他人に助けを求めたところで誰も助けてくれるはずもなく……。
どんどん服をはぎ取られていった。
「あれ? この枝なに?」
「不思議。神聖さを感じる」
ミケとシロが、制服の下にしまっていた枝に気が付き、二人とも臭いを嗅いだり眺めて観察したりしていた。
ノームは枝を見て目を見開いている。
「ノーム? もしかしてこの枝知ってるの?」
脱がされるのを諦めながら質問してみると、ノームは黙ってゆっくり頷いた。
「ドライアドの枝だよ。ずっと昔に引きこもっちゃったのに。どこで見つけたの?」
目を真ん丸にしながら聞かれたので、ちょっと可愛く見えた。
「空中庭園の夏の層で見つけたよ。森で日だまりの中地面に刺さってるのを見つけたんだ」
ノームは口をあんぐりと開けてこちらを見ている。
「……鎖を壊していたの、ショベルじゃなくて、ドライアドの加護だったんだ。あの子、私たちのために」
ノームが珍しく涙ぐんでいるのを見てしまい、酷く動揺しているとミケとシロも大慌てでノームに駆け寄っていった。
ほったらかされた僕はというと、トランクス一丁の状態だ。
ノームのことが気になるけれど、こんな格好で心配しにいくのはちょっと……。
ためらっていると、ノームの方からこちらへ歩み寄ってきたので体中に緊張が走った。
「ユグドラシルを登る時、ドライアドに会えると思う。この枝があればきっと会えるから、私からの、私たちからの加護と想いを一緒に届けてほしい。木々を守れなくて、ドライアドの気持ちも知らないでほったらかしてごめんって」
ノームがポロポロと大粒の涙をこぼし始めてしまったので思わず頭を撫でた。
「ちゃんと伝えるから。ただ、登る時がいつになるかわからないし、覚えてられる自信がないから、もう一度、ユグドラシルを登る時に言ってもらえるかな?」
自信がないのを素直に伝えると、ノームはいつものようにニッと笑って頷いた。
「うん! あ! せっかくだし私たち精霊がそろってお見送りするから、みんなの気持ちと加護を持って登ってもらおうっと!」
いつものような笑みを浮かべてノームが楽しそうにショベルを持ち上げた。
「勘違いでショベル流行らせちゃったなあ。でも、きっとみんな喜ぶよ。ドライアドの枝から元気で優しいあの子が戻ってるってわかってよかった。私たちのことも、この世界の住民のことも深く恨んでると思ってたから。最後に会った時大泣きしてたの……」
表情がまた沈むかと思えば、ちょっと切なそうに微笑んだので少しだけ安心した。
いや、もしかしたら笑おうと頑張っているだけなのかもしれない。
「ちゃんと、届けるね。……ショベルもついでに持っていく?」
少し茶化すようにショベルを持ち上げて笑いかけてみると、吹き出しながら笑ってくれた。
「ドライアドの分も用意しなくっちゃね! ショベル! 金ピカの派手なやつでも用意しよっかな! 太陽みたいな黄金色!」
いつものように元気な笑みを浮かべてくれて心から安堵したけれど……。
「ヒロくん、パンツ一丁で言うから余計におかしくって!」
まさかからかわれるとは思ってもみなかった。
大笑いされながら顔を真っ赤にしていると、ミケとシロがどこからともなく体を拭くためのバスタオルと入浴用のバスタオルを用意してくれていた。
「ささ、おのろけはそこまでで」
「温泉に入りましょうね!」
温泉は皮膚が痒くなるほど熱々だったけれど、火傷をせずにすむ程度の熱さだった。
ミケとシロが言うには44度はあるそうだ。
お湯につかっていると体がふにゃふにゃになったような錯覚がある。
結局混浴になったけれど、なるべく離れた場所に陣取っているから湯煙で三人の姿はよく見えない。
入る前はあんなに大胆にからかい続けていた三人は、いざお湯へ入ると近寄ってきてからかうこともなく大人しくしていた。
お湯が気持ちよくてぼうっとしてるのかな?
その方がこちらとしても好都合だ。だって、照れくさいから。
空を見上げると半分だけ夜になっていた。
温泉から見上げる夜空は湯気があるおかげもあって、うまく言葉にはできないけれどちょっとだけ違って見えた。良い意味で。
そっと月へ手を伸ばしてみる。
涼しい夜では暖かかった月の光は、今は体が熱いからか、ひんやりしていて心地よく感じられた。
必ずたどり着いてみせる。
いつもは悲壮感に満ち溢れながら手を伸ばしていたけれど、今は決意に満ちながら月を見つめた。
温かいお湯が体にぶつかってくるのを感じ取り、伸ばしていた手を引っ込めて顔を向けると、ノームがお湯の中を歩いてきていた。
「どうしたの?」
湯煙で表情がよく見えなかったので心配で尋ねてみた。
また泣いたりしていないかが心配だったけど、それも取り越し苦労だったらしい。
「えへへ。お父さんに手を伸ばしてるの見ちゃった。どうだった?」
見られたことを恥ずかしく思いつつ、精霊にとっての父親は月だったのを思い出した。
「メッセージもなにもわからなかったけれど、優しい月の光は感じ取れたよ」
事実をありのまま伝えてみた。
寒い時にはあったかく、暑い時には涼やかな光だったと。
「お父さんらしいや。ほんとはね、月にも行きたいんだ。でもね、お母さんが勘違いして癇癪起こしちゃうと思うの。私とウンディーネとイフリートは地上に残る予定なんだ。相性の問題もあるんだけどね。レヴィンはきっと空へ、月へ向かうと思う。ドライアドはどっちかしか選べないのも、木が伐採されていくのをほったらかされ続けるのも、何もかも嫌だったからユグドラシルの中に引きこもっちゃった。お母さんの顔色うかがうのも、お父さんが寂しくないかどうか気遣うのもうんざりだって言って。そんなことしたところで守ってもらえることなんて、愛なんて一つももらえないのにって」
ノームの表情がまた沈んでしまった。
引きこもってしまったドライアドの気持ちが痛いほどわかってしまった。
顔色をうかがって気遣っていても、愛なんてもらえない、利用されて終わるだけなんだ。
胸がずきずきと痛んできた。
ドライアドと会ったらたくさん話をしてみたいな。一体どんな精霊なんだろう。会ったことはないけれど、似たところがあるような気がして期待してしまう。
ドライアドがどんな精霊なのか想像していると、ミケとシロがこちらに歩いてきているのが煙越しに見えた。
「ノーム様が傍に行かれるのが見えたので」
「私たちもお邪魔しに!」
お湯の温度と違った理由でのぼせそうになりながら温泉でゆったりとした時間をすごし、お湯から上がると泊まる場所へと丁寧に案内してもらえるのだった。
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