これから

 アトランティスの案内をしてもらいながら、いろいろな領民を見て、表面上だけでも生活の様子も見れて心が軽くなった。


 窮屈さを全く感じない、自由で優しくて心地よい世界。


「どうする? ここに住んだらきっとずっと幸せになれるよ。君にはこの世界に住むどの種族の特徴もないけど、ここなら受け入れてもらえるよ。誰も変な顔しなかったでしょう?」


 ウンディーネからの提案はとても魅力的だったけれど……。


「きっと幸せになれると思う。でも、僕は夢から覚めないといけないんだ」


 決意を胸にした言葉だったけれど、ノームとウンディーネはゆっくり顔を見合わせ、困ったような顔をした。


「あのね、ここは夢じゃないんだ。空中庭園の人たち誰も教えてくれなかったの?」


 哀れむような顔で言われたのも相まってショックはでかかった。


 夢じゃ……ない?


 ジニアが何か言いかけてやめていたのを思い出す。どうして教えてくれなかったの?


 事情はわからないけれど、割れたガラスの欠片を突き立てられたかのような痛みが胸に走る。


「どういうこと? じゃあ、ここは一体どこ?」


 鎮まっていたはずの心が再びざわつきそうになったが、ウンディーネとノームが左右それぞれの手を握ってくれて、なんとか落ち着きを取り戻すことができた。


「ここは冥界なんだ。ヒロくんは死んじゃったんだよ。あ、でも、領民の特徴がどこにもないってことはまだ戻れる可能性はあるね。昏睡や植物状態、仮死状態みたいに、意識が戻らない人たちがこっちに紛れ込んでくることがあるんだ。そういう人たちは体になにも特徴がないの。まだ死んだってわけじゃないの」


 死んだと聞かされた時はショックだったけれど、まだ希望があるとわかって少しだけ前向きになれた。


 じゃあ、あのとき見た夢は現実世界の出来事だったんだ。池で見たのは現実世界にいる真くんで、泣いてたのはそういうことだったんだ……。


 腑に落ちることの連続で落ち込むというより、頭に良い刺激として伝わってきた。


 ああ、そういうことだったんだ。


 じゃあ、モモは双子だったってことだろうか?


 頭がじんわりと温かくなり、新たな疑問が頭に浮かぶ。


 うまく言葉にできない心地よい刺激。


「つまり、ヒロくんは元の世界に戻りたいわけだ。ここが冥界ってわかってからもそういう気持ちに変わりない?」


 ノームからの問いかけに迷わず頷いた。


「いなくなられる悲しさを真くんに味わってほしくない。それから笹倉くんに資料を渡したい」


 自分の気持ちを素直に吐き出すと、ウンディーネが難しそうな顔をしながら口を開いた。


「人はいつか必ず死ぬんだよ。早いか遅いかの違い。資料を渡したいという心残りはまだわかるけれど、いなくなる悲しさを味わってほしくないって理由はちょっと弱いんじゃないかな。あっちに戻りたいならもっと強い理由がないと厳しいよ」


 戻るために何か特別なことをしないといけないのだろうか?


 もっと強い理由……なにがあるだろう。


 ああ、あるじゃないか。自分の本当の、剝き出しの欲望が。


「……僕は仲良くなってくれた真くんとのこれからを見てみたい。真くんともっと一緒にいたい。僕を、僕の心を一人にしないでいてくれた彼ともっと一緒に過ごしたい」


 ノームとウンディーネが真剣な顔でこちらを見ている。


 なんだかそれがとてもプレッシャーに思えて、思わず目を逸らしそうになるけれど、じっと見つめ返す。


 ウンディーネは優しそうな微笑みを浮かべ、ノームはにこっと笑って口を開いた。


「わかった。もうしばらくアトランティスで療養したら出発しよう。本当は君に他の精霊を解放してほしかったんだけどさ」


 最後の言葉に対してウンディーネがやんわりコラッと言ってノームを叱っていた。


「精霊の解放?」


 思わず聞き返してしまった。


「うん。君ならできそうな気がして。あ、でもただの暴力で壊せるのがわかったから多分大丈夫だよ。気にしないで。私たち二人でショベル持ってみんなを探しに出ようかなーなんてね!」

「ただの暴力って……」


 ノームがいたずらっぽく笑うと、ウンディーネは珍しく大笑いした。


「いいかもね! 次はイフリートかな? アルカディアってどこからいくんだろうねえ」


 あんまり楽しそうなので精霊の解放に協力したい気持ちが芽生えてくる。


 本当にそれでいいのだろうか? 帰るという強い決意をしたじゃないか。


 揺れる気持ちに鞭を打ってしゃんとさせる。僕は帰るんだ。


 そんな様子を見ていたノームはゆっくり口を開いた。


「一緒にきたいなら止めたりはしないし軽蔑もしないよ。正直になっていいんだから。そうだ、帰り方はユグドラシルを登って月へとたどり着くことだよ。強い意志がないと途中で折れていろいろおしまいになっちゃう。精霊の加護があれば多少は楽になるから、私たちに協力するのも悪くはないと思うなあ」


 ますます気持ちが揺らいでくる。


 いろいろおしまいになると聞いて余計不安になってしまった。


 ウンディーネも責めるでもなく優しい顔で提案してくれた。


「久々にシルフに会いに行きたいなあ。私たちの加護とメッセージをついでに運んで行ってくれると嬉しいなあ。きっと悪いようにならないから。不安と迷いがあると登り切るのも難しいと思うしね」


 結果的に元の世界へ戻るわけだし、精霊の解放はその寄り道というだけだ。


 ウンディーネの言うように、不安と迷いがある状態で登り切れる自信もないのだった。


「わかった。できるかわからないけどやってみようと思う」


 自分の気持ちをすっきりさせるためでもあったが、本当のところ嬉しかった。


 誰かの役に立てるかもしれないことが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る