第6話 没落令嬢と大家さん

 ――そして。


「ぜーんーめーつーだーわー!」


 絶望の言葉を吐き出しながら、リュリディアはテーブルに突っ伏した。

 今朝の連絡官カクトス来訪後、意気込んで職探しに出掛けた彼女ががっくりと肩を落として帰ってきたのは、夕暮れ時だった。


「たまにはそういう日もありますよ」


 落ち込む主に、執事姿のコウが湯気の立つティーカップを差し出す。


「『たまに』じゃなく『連日』なんだけどね」


 自嘲気味にため息で冷ましたハーブティーを一口飲むと、ピリピリ張り詰めていた心が少し柔らかくなるが、心の底にわだかまる不甲斐なさは消えない。


「これから夕食の用意をしますので、リュリお嬢様は先にお風呂に行かれては?」


「そうね、共同浴場は遅い時間は混むから」


 カップをソーサーに戻し、リュリディアが立ち上がりかけた、刹那。本日二人目の来訪者がドアをノックする音が聞こえた。


「こんばんはー! リュリちゃん、コウ君。ご飯食べたー?」


 従者が開けたドアから居住者の了承も待たずにズカズカと入ってきた女性はエレーン、この長屋の大家だ。襟ぐりの大きく開いたチュニックから豊満な胸の谷間を覗かせ、彼女は持ってきた大鍋をテーブルの上にドンッと置いた。


「うずらの煮込みをいっぱい作りすぎちゃって、おすそわけ。食べて、食べてー!」


 ほんわかしか雰囲気のエレーンは、ゆるく巻いた栗毛が似合う美女だ。見た目は二十代後半というところだが、リュリディアは彼女の実年齢を知らない。しかし、十件目のアパルトメントを断られ途方に暮れている令嬢と従者に声を掛け、住処すみかを提供してくれたことから、面倒見の良い女性だというのは確かだ。


「あ、ありがとうございます。でも、いただいていいんですか?」


 こちらには返せるものがないのにと困惑する美少女に、美女は魅力的なウインクをした。


「気にしないで。昼間にコウ君にうちの棚を直してもらったの。そのお礼よ」


 主が仕事探ししている間、従者も色々していたのだ。


「では、エレーンさんも夕食をご一緒にどうですか?」


「えー、いいの? 嬉しい。独りじゃ寂しくって!」


 店子の誘いに、大家はうきうきと椅子を引く。

 エレーンは長屋の一室に一人暮らしだ。どうして妙齢の女性がこんな怪しげな場所で独りで大家業を営んでいるのかは謎だ。ただ、訳ありな長屋の住民達は、誰も彼女に逆らわない。

 リュリディアの対面にエレーンが座り、食事が始める。


「コウ君も食べなよ」


 テキパキとパンや副菜を並べていく従者に大家が声をかけるが、


「私は先に食事をしてしまいまして。後ほどいただきますね」


 彼はにっこりやんわり辞退して、給仕を続ける。リュリディアは気にする様子もなくうずら肉のトマト煮をつついている。


「そういえば、聞いたわよリュリちゃん。セーヒ商会のセクハラオヤジぶん殴ったって!」


 うぐっ!


 どうやら飲食店での騒動の相手は、大店おおだなの会長だったらしい。

 エレーンの不意打ちに、リュリディアは煮込みを吹き出しそうになるのをすんでで堪えた。だが、


「あと、骨董屋のオヤジにも一泡吹かせたって」


 げふっ!


 追加情報に今度こそ思いっきりせた。


「お、お嬢様、大丈夫ですか!?」


 ゲホゲホ咳き込む主の背中を、従者がオロオロしながらさする。

 飲食店の件はエレーンの紹介だから耳に入ってもおかしくはないが、骨董品店の話まで回っているとは。


「申し訳ありません。せっかく紹介していただいたのに、あのような結果で」


 珍しくシュンと項垂れるご令嬢を、大家はケタケタ笑い飛ばす。


「気にしないで。むしろ痛快! ここ最近では一番の楽しいニュースだったわ」


 リュリディアの暴挙はご近所さんの娯楽になっていた。


「でもね」


 エレーンは真顔に戻して、


長屋うち的には全然問題ないんだけど。商工会の繋がりで、この近隣でリュリちゃんを雇ってくれるお店はもうないと思うわ」


「……そうですよね」


 今日だって、軒並み断られてしまった。


「リュリちゃんて魔法使いなのよね? そっち方面のお仕事は? 医療魔法が使えるなら診療所とかでも」


「魔法協会の息がかかっている施設は厳しいですね……」


 なにせ魔法使いは狭い世界だ。アレスマイヤーの家名は敬遠されてしまう。


「リュリちゃんって、けっこう有名人なの?」


「多分、一部では」


 魔法と無縁の一般人には、魔導五大家の影響力がピンとこない。

 苦笑する少女にエレーンは上目遣いに考えて、


「それなら、名前が関係ない歩合のお仕事してみたら?」


「歩合?」


「求人酒場って知ってる?」


 ふるふると首を横に振るリュリディアに、エレーンは得意げに説明する。


「個人取引の斡旋所のことよ。依頼主に必要な人材を紹介するの。仕事は色々。隣町に物を届けたり、畑を耕したり。ゴブリン退治なんてお仕事もあるのよ」


 王都は高い壁に囲まれていて安全だが、街の外には魔物が徘徊する森もあるのだ。


遺跡を探索するダンジョンクエスト仲間の募集もあるんですって! ちょっとワクワクしない?」


 前のめりなエレーンに、リュリディアは微妙に後ずさる。


「それって、傭兵ってことですか?」


「最近はこういう仕事を引き受ける人を、職種関係なく『冒険者』と呼ぶんだって」


 冒険者……都会育ちのリュリディアには非現実的な話だ。

 リュリディアは魔法学院で戦闘職の実習を受けたことがあるが、単位を取るためだけの単純作業だった。

 魔物とも接触したことはあるが、安全な結界に護られての範囲だ。


「冒険者か……」


 腕を組んで思案する主に、従者は眉を顰める。


「コウは反対です。ゴブリン退治だなんて危険な仕事は」


「でも、配達や畑仕事もあるんでしょ? ちょっと覗いてみるのもいいかも」


「しかし、お嬢様に何かあったら、マルセリウス様がどんなにお心を痛めるか」


「あー、兄様の名前出すのは卑怯。そもそも黙っていればバレないことなのに」


「そういう問題では……」


「コウ君は過保護ね」


 主従のやり取りを愉快そうに眺めていたエレーンはフォークを置いて立ち上がる。


「そんなに心配なら、一緒についていったらいいじゃない。女の子を守るのは、男の使命でしょ」


 そして、ウインクを一つ残して踵を返す。


「ごちそうさま。あ、今月分はもらってるからいいけど。基本的に長屋うちは家賃滞納は一ヶ月まで。それ以上遅れたら退去だからね。じゃ、がんばって!」


 言うだけ言ってさっさと辞去した大家に、店子二人は顔を見合わせた。

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