第33話 没落令嬢の従者の一日(1)

「リュリディアお嬢様、お弁当をどうぞ。今日はお嬢様のお好きなマスタードチキンのサンドウィッチですよ」


「ありがとう、お昼が楽しみだわ。じゃあ、いってくるわね!」


「いってらっしゃいませ」


 ランチボックスを手に意気揚々とドアを出ていくあるじを、従者は腰を直角に曲げて見送る。

 予定のある日もない日も、リュリディアは毎朝早い時間から家を出て、一日の糧を得るために忙しなく動き回っている。現実問題として家計が逼迫していることもあるが、元々彼女は勤労意欲に溢れじっとしていられない性分なのだ。

 今日も金銭授受の有無を問わず、仕事に纏わる大きな土産話を抱えて帰ってくるのだろう。


「あまりご無理をなさらなければいいのですが……」


 心配げに独りごちてから、ドアを閉める。ふっと息とつくと、気持ちを切り替える。


 ――さて。ここからはコウの時間だ。


 アレスマイヤー家の従者である彼は、リュリディアに外で働くことを禁じられている。だから主が帰って来るまでの間、をこなす。

 まずは家のことから。

 二部屋しかない室内の掃除を手早く終えると、令嬢のベッドのシーツと昨日着た衣類を持って外に出る。

 長屋の井戸の共同洗濯場には数人の男女がいて、わいわいと話に花を咲かせながら汚れ物を洗っていた。


「おはようございます、皆様」


「おはよう、コウちゃん!」


「今日もリュリちゃんは出掛けたのかい?」


「ええ、先程」


 長屋の住人とはすっかり顔見知りだ。


「そういえば、今日は大根が安くなってたよ」


「西地方が長雨で麦の出来が悪いって」


「ジョンさんとこのロビンが昨日から帰ってきてないらしくて」


 何気ない会話に耳を肩抜けながら、丁寧に衣類を揉み洗いする。住人の噂には貴重なお得情報が混じっていることもあるので、家計を任されている身としては気が抜けない。


「さぁて、アタシもそろそろ店開けなきゃ。コウちゃん、今日もよろしくね」


「畏まりました」


 洗濯物を物干しに吊るし終えた恰幅のいい中年女性が長屋に「おーい!」と声を掛けると、六人の子どもたちが駆け出してきた。下は二歳から上は六歳まで。コウの周りで元気にはしゃぐ彼らも長屋の住人だ。

 この長屋には家族で暮らす者も多いが、その殆どの世帯が共働きだ。まだ私塾にも仕事にも通えない幼い子ども達の預け先に困っていた大人達に、彼らの世話を買って出たのはアレスマイヤー家の従者だ。


「それじゃ、頼むな!」


「あんた達、コウちゃんに迷惑掛けちゃダメよ!」


「はい。お仕事がんばってください」


 親達が職場へ向かうのを見送って、今度は子ども達に向き直る。


「さて、今日は何をしましょうか?」


「かくれんぼしよー!」


 一人の子が提案するが、


「えー、コウが鬼だとすぐ見つけられちゃうし、隠れると見つけられないからイヤだよー!」


 もう一人の子が却下する。


「コウは皆様の所在を常に確認するために個別生体感知機能を使用してますし、擬態も隠遁も得意ですから」


 悪びれもなくコウは微笑む。

 合成魔獣には手加減が難しかった。

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