第5話 没落令嬢と連絡官
早朝の来訪者に警戒して眉を顰める令嬢に目礼し、コウはドアを開けた。
そこにいたのは、モスグリーンの髪色の青年だった。年は二十歳前か。紺糸の刺繍の入った白い詰襟ローブを身に纏った彼の正体を、コウは知っていた。
「これはこれは。おはようございます、カクトス様」
「おはようございます、コウさん」
恭しく頭を下げるコウに慇懃に返したのは、カクトス・ミースター。赤毛の従者は客人に困ったように眉を下げた。
「カクトス様、コウのことはどうか敬称なしでお呼びくださいませ。敬語も恐れ多いです」
「この言葉遣いは癖みたいなものなのでお気になさらず。コウさんも僕に『様』なんて付けなくていいですよ、そんな身分ではありませんから」
「これはコウの基本仕様ですので」
「では、お互いそのままで」
表情を変えず話す彼は、少し前からアレスマイヤー家の主従とは顔見知りだ。どのような間柄かというと、
「政府の役人が朝っぱらから何の用よ?」
コウの背中から憮然とした顔を覗かせたリュリディアに、カクトスは銀縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら淡々と返す。
「当然仕事です。用もないのに貴女方に会いに来るほど暇ではありませんよ、リュリディア・アレスマイヤーさん。僕は政府の連絡官ですから、住所変更届が出ていたので居住確認に来ました」
シワ一つない白を基調としたローブは、下級文官の制服だ。
この国で連絡官といえば、政府と協力関係にある個人や団体との情報伝達係のことだ。アレスマイヤー当主夫妻が行方不明な今、政府と娘リュリディアが情報を共有するために担当連絡官がつくのには不思議はない。……のだが、
「連絡官なんてまどろっこしい言い方しなくていいわよ。要するに監視役ってことでしょう」
リュリディアはズバッと斬り返す。
『アレスマイヤー夫妻は他国へ亡命した反逆者』という大前提がある以上、リュリディアは『反逆者の娘』であり『反逆者予備軍』として政府の監視対象になっているのだ。
「解釈はご自由に。僕は与えられた職務を遂行するのみです」
令嬢の敵意などどこ吹く風。カクトスは何気なく彼女たちの部屋を覗き込むと、食べかけの料理の載ったテーブルに目を留めた。
「随分と質素なお住まいですが、ちゃんと居住実績はあるようですね」
「誰のせいよ?」
政府に接収された旧アレスマイヤー屋敷に比べたら、どの家だって物置小屋だ。
「少なくとも、僕のせいではありません」
カクトスはしれっと眼鏡の弦の角度を直しながら言う。確かに政府の采配は役人個人の裁量ではないが、口調が限りなく嫌みったらしくて癇に障る。
「ところで、今はどちらで働いていますか?」
手のひらサイズのノートを開いて、役人が訊いてくる。
「それ、あなたに関係ある?」
「収入源を把握しておけとの上層部からのお達しです。逃亡や違法行為に手を染める恐れもありますので」
ストレートに失礼な質問だった。
「私は善良な帝国民よ。悪いことなんかしないわ」
「では、今は何を?」
「私は物心ついてからこれまでずっと魔導の発展に従事してきたのよ。少しは羽を休めてもいいと思わない?」
ふんぞり返る魔法使い令嬢に、役人はあっさり、
「つまり『無職』ですね」
「ちょっと待ちなさい!」
万年筆でノートに書き込もうとするカクトスを慌てて止める。
「ちゃんと働いてたわよ、飲食店とか骨董品屋で! ただ、事情があって続けられなかっただけよ!」
「で、今は無職と」
「……っ」
ぐぬぬと唇を噛む令嬢に、役人が更なる追い打ちをかける。
「そういえば先日、この近くの飲食店で憲兵が出動する騒ぎがあったそうですが、何かご存知ですか?」
「ぎゅっ!?」
リュリディアの喉から変な声が出る。この男、絶対事情を知っていてわざと訊いてきた。
憲兵まで呼ばれていたのかとこっそり呆れるコウの前で、カクトスはノートを閉じた。
「では、今日はこの辺で。また後日、様子を見に伺います」
「カクトス様、せっかく来られたのですから、お茶でもいかがですか?」
儀礼的に従者が誘い文句を口にするが、
「生憎、これから役所に出勤しなくてはなりませんので。僕の業務はリュリディアさんの連絡官だけではありませんから。ここで時間を浪費して、他の仕事が終わらず残業になるのは御免です」
役人はにべもない。
「二度と来なくていいわよ」
「来ますよ、
令嬢の見送りの言葉にレンズ越しの目を細めて一礼すると、カクトスは去って行く。
「なんなのあいつ、腹立つぅ! 他の連絡官に変えてもらえないかしら!?」
「こちらが選べる立場にないですからねぇ」
地団駄を踏むリュリディアに、コウは苦笑するしかない。
「見てなさい、カクトス・ミースター! 今日こそ凄い働き口を探してやるんだからっ!」
テーブルに戻ったリュリディアは、食べかけの朝食にザクッとフォークを立てた。
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