第9話 没落令嬢の素材集め(1)
鬱蒼と生い茂った木々が暗く青空を遮り、蛇のように地面を這う根が歩調を乱す。
「ま……まだ着かないの?」
帝都からほど近い山林に足を踏み入れて小一時間、新米冒険者は未だ依頼人の家に辿り着くことができていなかった。
リュリディアは肩で息をしながら、白い額に浮かぶ汗を拭う。藪を掻き分けて進む舗装もされていない獣道は、都会育ちのお嬢様には未知の領域だ。
「だから山は険しいと申し上げたでしょうに」
コウが呆れた声を返す。忠実な従者は、先に立って主が通りやすいルートを探しながら歩いている。
「せめてもう少し動きやすい服装でいらしたら良かったのに」
今日のリュリディアの衣装は茜色のワンピースに焦げ茶色のエプロンドレスにショートブーツ。
「仕方ないじゃない。アウトドアな外出着は持ってないし、買うお金もないんだから。それに、この服似合ってるからいいでしょう?」
「似合いますとも!」
即答するコウは親馬鹿ならぬ従者馬鹿だ。かくいう彼も、普段と同じ三つ揃えの執事スタイルなのだが。
「やはり、戻りましょうか?」
「いえ、ここまで来たら前進あるのみよ」
差し出された水筒の水を一口飲んで、リュリディアは意気込みを新たにする。
「アレスマイヤーの家訓に後退の文字はないわ!」
「無茶をしろって家訓もないですけどね」
苦笑しながら従者は左手を差し出した。
「……何よ?」
「リュリお嬢様はこれからお仕事ですから、体力を温存しておかないと」
少女はちょっとだけ躊躇ってから、青年の手を取った。背の高いコウに引っ張られるように、リュリディアは歩き出す。
十年も傍にいるが、手を繋ぐのなんて幼少期以来だ。なんとなくこそばゆい気分になりながら、彼女は解けないよう握った手に力を籠めた。
しばらく斜面を登ると、急に木々が拓け赤い屋根の家が見えてきた。規模は小さめだが、外観は気品ある貴族屋敷風だ。
「あれが『山の管理者』の家かしら?」
リュリディアは扉の前に立つと、手櫛で前髪を整えスカートの埃を払った。淑女は身嗜みが大事である。それから、鷲の意匠のドアノッカーに手をかける。
コンコンコンと三回叩くと、中から「どうぞ」と返ってきた。
「失礼いたします」
リュリディアとコウがドアを引いて足を踏み入れると……。
そこには、ドアがあった。
「え?」
人が二人入るのがやっとな正方形の白い部屋。リュリディア達の三歩先には、先程開けた玄関ドアと同じ造りのドアがある。バタン! と音がして振り返ると、そこにも閉まった同じドアが。
――閉じ込められた。
リュリディアは正面のドアを開けてみた。すると、次の部屋にも同じドアがあった。開けたドアが閉まり、また二人は白く狭い空間に閉じ込められる。
何度ドアを開けても白い部屋で、戻っても白い部屋。
「リュリ様、これは……」
腰を折って耳元で囁いてくる従者に、主は頷く。
「“
魔導書で読んだことがある。狭い空間内で人を
この幻覚を破るには、術式の
今回の場合はドアが鍵だ。きっと、前後のドアを正しい法則で開ければ、出口が現れるのだろう。通常、法則を見つけるまでには何十回も扉を開け閉めしなければならないのだが……。
短気なお嬢様には、それが我慢できなかった。
「ええい、小賢しい!」
リュリディアは吐き捨てると、タンッとその場で靴の踵を踏み鳴らした。
――刹那。
「ぎゃうん!」
「きゃふぅ!」
素っ頓狂な悲鳴が二種類上がり、白い部屋にヒビが入った。天井も壁もホロホロと崩れ、床に落ちる前に掻き消えた。
そして……気づいた時には、リュリディアとコウは臙脂の絨毯の敷かれた瀟洒な玄関ホールに立っていた。
「何をしたのですか?」
怪訝そうに眉を顰めるコウに、リュリディアは不敵な笑みを閃かせる。
「私の魔力をぶつけて、迷宮彷徨陣を内側から破壊したの」
迷路を道順通りに攻略するのではなく、壁をぶち抜いて出口を作ったわけだ。
相手の支配空間内でこんなルール無視の荒業を成し遂げられる魔法使いなんて、ゾディステラ帝国中を探してもそうはいないだろう。
「あなた達ね? この迷宮魔法を使ったのは」
金髪の美少女は、玄関ホールの隅で蹲っている二つの影に目を向けた。どうやら魔法陣を壊された反動でふっ飛ばされたらしい。
「そうだ」
「そうよ」
悔しそうにリュリディアを睨みつけ立ち上がったのは、一組の男女。
黒髪に赤目。男は細身の筋肉質、女は凹凸の激しいしなやかな体つき。二人共よく似た美しい顔立ちで、面積の狭い黒革の衣装で申し訳程度に魅力的な肢体を覆っている。尖った耳と背中に生えたコウモリ羽、先端の尖った黒い尻尾は、彼らが人間でない証だ。
「
夢を操る低級悪魔。雄をインキュバス、雌をサキュバスという。
彼らの正体を一目で見破り、コウはリュリディアを背に庇うように前に出た。
「なぜ、このような罠を? 我が主を危険に晒した罪、返答次第では容赦いたしませんよ」
赤毛の従者の剣呑な声に、サキュバスは唇を尖らせた。
「アタシ達だって、ご主人様のご命令のままに動いてるんだから」
「そうだ。お前達がご主人様のお眼鏡に適うかのテストだ」
インキュバスも同調する。
「……テスト?」
リュリディアが不審げに聞き返していると、屋敷の奥から男性の声が響いた。
「イース、サース。お客様を奥へお通ししてください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。