第29話 没落令嬢と求婚者(2)

「礼?」


 聞き返すリュリディアにラルフは頷く。


「この前は助けてくれてありがとう。君が通りかからなかったら、俺は死んでいた。言葉にしつくせないくらい感謝してる」


 胸に手を当て帝国騎士の敬礼をする若者に、少女はドアを大きく開いた。


「とりあえず、お茶でも飲んでいったら? コウは紅茶を美味しく淹れる名人なの」


 じゃあ遠慮なく、と普段着姿の騎士は部屋に足を踏み入れる。さり気なく辺りを観察すると、漆喰も塗られていない簡素な造りだが、壁板の木目は新しいことが判った。


「最近、建て替えたばかりなのよ」


「ああ、こないだの火事か」


 何ヶ月もこの地域で潜入捜査していたというラルフは、長屋の件も知っていた。

 ダイニングテーブルに向かい合って、二人の人間がお茶を飲む。従者は座らず主の斜め後ろに控えるだけだ。


「あの時刺されてたのって、先日の摘発絡みなの?」


「まあ、そうっちゃそうだけど……」


 ラルフは気まずそうに紅茶を啜りながら、


「情報を聞き出そうと近づいた女が、俺を刺したヤツの情婦イロでさ。ちょっといい雰囲気になってるところを見られちまって」


「危うく痴情のもつれで殺されかけたのね」


 色男が名誉のない殉職を遂げるところだった。


「でも、潜入捜査ってことは最後までバレなかったから、摘発に成功したんだけどな」


 あっけらかんと締める騎士は、大雑把な性格のようだ。


「ところでさ、お嬢ちゃん」


 ラルフはティーカップをソーサーに戻すと、テーブル越しにずいっと身を乗り出した。


「俺と結婚しないか?」


 突然のプロポーズにぎょっと目を見開いたコウの傍で、リュリディアは不思議そうに首を傾げる。


「何故?」


「俺がしたいからだよ」


 ラルフはさっぱり笑う。


「うちに越して来いよ。 王都の第二区画だから高級住宅街とはいかないが、ここよりは治安が良い。出会ったばかりだし、君の気持ちが固まるまで清い関係で構わない。俺、こう見えて誠実だぜ?」


 痴情のもつれで刺された男が、よく言う。

 リュリディアは上目遣いに考えて、


「ラルフ。あなた、私の名前を訊かないわね?」


 まったく別の質問を返した。


「特務部隊って、諜報が専門よね。当然、私のことを調べ上げてから今日の訪問に臨んだのでしょう? 政府軍の騎士がわざわざ私と縁を持とうなんて、裏があるとしか思えないわ」


 聡明な少女に、青年はため息をついて、


「確かに君のことは調べたよ、リュリディア・アレスマイヤー。名家の大魔法使い。他国に魔法技術を売り渡し亡命した反逆者の娘」


「両親は国を裏切ったりしないわ」


「かもな。だが公文書にはそう記載されている」


 ラルフは冷たく切り捨てて、それから表情を緩める。


「君はここにいたらいつまでも反逆者一族のままだ。だが、俺と結婚すれば家名が変わって新しくやり直せる。悪い話じゃないだろう」


「命を助けてもらったお礼に、私に新しい姓をくれると? 家名が変わっても出自が変わるわけじゃない。私を伴侶とすることは、確実にあなたの出世にマイナスに響くわよ」


「俺はもともと庶民の成り上がり騎士だから、貴族出身の同僚には出世レースで敵わない。だから、俺のことは気にしなくていい。俺が欲しいのは、君の気持ちだ」


 無骨な騎士の手が、テーブルに置かれた少女の細いそれに重なる。


「リュリディア、君は一目惚れを信じるかい?」


 緑の熱く潤んだ瞳に、金髪の自分が映っている。


「私は……」


 リュリディアが唇を開いた……瞬間。


「ごきげんよう、リュリディア嬢!」


 バァンッ! と派手な音を立ててドアが開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る