第26話 没落令嬢の兄(3)

「あと、リュリに知らせておくことがあるんだけど」


 マルセリウスはふっと瞼を閉じて息をつくと、開いた青空の瞳で妹を見つめた。


「父様と母様の目撃情報があったよ」


「え! いつ、どこでですか!?」


 途端に前のめりに食いつくリュリディアに、困ったように目を細める。


「半月ほど前、メリエス地方の山岳地帯で。情報はその一件だけで、以降の足取りは掴めてないんだけど」


 メリエスといえば、隣国イェードとの国境がある地方だ。アレスマイヤー夫妻はイェードで開かれる学会に行く途中で行方不明になった。

 夫妻が消息を絶ち、リュリディアが長屋で生活を始めるようになってから、すでに三ヶ月が経過していた。半月前に目撃されたというのなら、夫妻はずっとメリエス地方に居たのだろうか?


「政府の連絡官はなにも教えてくれなかったわ」


 嫌味な眼鏡を頭に思い浮かべて憤慨するリュリディアに、マルセリウスは苦笑する。


「これはボクの独自情報だよ。命令がないと動けない官吏と違って、冒険者はあらゆる場所にいるからね」


 冒険者ギルドの情報網を使って調べていたというわけか。情報共有システムの開発者にして組織の総帥と友人であるなら、コネクションとしては最強だ。


「二人は無事なんですね! 私、迎えに行ってきます」


 色めき立つ妹に、兄は穏やかに微笑んだ。


「ねぇ、リュリ。母様達はどうして姿を消したのだと思う?」


「え?」


 意図が分からず首を傾げる彼女に、畳み掛ける。


「二人が誰かに囚われているのなら、今すぐにでも助けたい。でも、自分の意志で所在を隠しているのなら、ボク達は捜していいのかな? 政府が早々に母様達を国外逃亡したと決めつけたのはどうしてだと思う?」


「それは……」


 リュリディアだって不思議に思っていた。アレスマイヤー家は伝説の邪獣を封印し、ゾディステラ帝国の建国を支えた英雄の末裔だ。千年の忠誠を誓ってきた家系が何故こんなにあっさり切り捨てられたのか。

 もしかして……父母には国を裏切る予兆があった……?


「兄様は、なにか知っているの?」


 頬の血の気の失せた妹に、兄は「ううん」と金糸の髪を揺らす。


「分からない。でも、目撃情報では二人は拘束されているわけでもなく、二人きりで歩いていたって。ボク自身が見たわけではないから、本当にそれが両親だったかも怪しいのだけど」


 マルセリウスの氷細工のような繊細で冷たい指がリュリディアの手に重ねられる。


「リュリ、ボク達の両親は一流の魔法使いで、ボク達以上に強い。母様も父様もすごい人だけど、二人揃うと最強だ。だから二人はきっと大丈夫。ボクはボクで二人を捜し続ける。新しい情報は逐一リュリに報告する。確信が持てたらリュリに迎えに行ってもらうよ。だから今は、自分のことだけを考えて日々を大切に過ごして」


「兄様……」


 病床の中でさえ、兄は妹を励ましてくれる。アレスマイヤーは家族の絆が強い。リュリディアはマルセリウスを信じている。彼が「待て」というのなら、リュリディアは闇雲に動くべきではないのだ。


「分かりました。マリス兄様もご無理をなさらないでくださいね」


「うん」


 そっと指を握り合う。肉体年齢は越えてしまったけれど、マルセリウスはずっとリュリディアにとって頼れる兄だ。


「そこの箱を取ってくれる?」


 不意に言われて兄の視線を辿ると、サイドテーブルに手のひらほどの箱が載っていた。


「リュリへのプレゼント」


 開けてみると、そこには小さなツバメのマスコットが入っていた。


「ボクが作ったんだ。お守りとして身につけておいて」


「可愛い。ありがとうございます」


 リュリディアは丸っこいフォルムの鳥のぬいぐるみに微笑むと、早速普段使いのショルダーバッグに取り付けた。


「さて、ボクはそろそろ休むよ。リュリはゆっくりしていって。リョク達が張り切って離れの掃除をしていたから、泊まっていってよね」


「はい。おやすみなさい、兄様」


 枕に後頭部を落とすマルセリウスの額に、リュリディアはそっとキスした。

 伏せられた瞼を彩る長い睫毛、透けるほど白い頬。彼女は兄ほど美しい人間を他に知らない。家族思いで美貌にも才能にも恵まれた彼から健康な身体だけを取り上げるなんて、神様は意地悪だと思う。

 兄の細い肩に毛布を掛け直すと、リュリディアは極力足音を立てぬよう部屋を出た。

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