第13話 没落令嬢の素材集め(5)
「リュリディア様!!」
木漏れ日の中に、従者の絶叫が響く。
少女の華奢な体は木の葉のように宙を舞い、雪樺の幹に打ち付けられてバウンドし、地面に落ちた。
……リュリディアには分からなかったが、コウは見ていた。ひっくり返ったままの茨陸亀がモーニングスターのような尻尾をしならせ、彼女を薙ぎ払った瞬間を。
「リュリ様、リュリ様!」
駆け寄ったコウは、額から血を流す少女の肩に手を置き呼びかける。頭を打っている可能性があるので、迂闊に抱き起こせない。
「リュリ様、治癒魔法を! 早く!」
ぼんやり薄目を開けたリュリディアに、必死で訴える。
魔法使いの不便なところは、集中力が欠けていると術が使えないところだ。リュリディアは間違いなく治癒魔法の名手だが、意識が朦朧とした状態では詠唱もままならない。
「リュリ様、どうか制限の解除を。私がお守りします」
「コウ……」
少女が泣き出しそうな青年の頬に手を伸ばしかけた、その時。
ドスッドスッ!
緑の棘がコウの体を貫いた。自力で起き上がった茨陸亀が、また棘と飛ばし始めたのだ。
「いや……、コウ……」
背中から胸を串刺しにした棘を凝視したまま声を震わせる主に、従者は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫です。私が片付けます。リュリ様はご自分の回復を」
リュリディアの血の流れ落ちるこめかみにそっと口づけるコウに、彼女は観念した。
「我、リュリディア・“レージーナ”・アレスマイヤーは、血の契約によりて我が従者コウ・“アンブロイド”の制限を解除する」
「……ありがとうございます」
唇を離したコウは、口の端に残ったリュリディアの血を舌で拭うと、静かに立ち上がった。
そして空に向かって一声唸ると、その身を変化させた。
きっちりと整えられた赤い髪は爆発するように湧き立ち、手足からも真っ赤な獣毛が噴き出した。額には槍のように尖った角。肉球と鉤爪のある四本の脚で大地を踏みしめたのは……、燃えるような真紅の一角狼だった。
風になびく優美な毛並みに、リュリディアは一瞬状況も忘れて見惚れてしまう。
普通の狼の十倍はあろうかという巨大な赤い獣は少しだけ少女を振り返ると、すぐに標的に目線を固定した。そして、頭を低くし耳を伏せて低く唸ると、棘を放ち続ける茨陸亀に飛びかかった。
ゴウウゥゥ!
全身に棘が突き刺さるのを物ともせず、狼は亀の喉笛に噛みついた。暴れる魔物の頭を前足で抱え込み、ギリギリと力を籠めて厚い皮膚に牙を立てる。
「コウ……」
意識のはっきりしてきたリュリディアは、痛む頭に手を当てて詠唱を始めた。傷が塞がるのに比例して、滑らかに思考回路が動き出す。
……こんなこと、させたくなかったのに。
魔物と戦う化け物になった従者に、悔恨の念が滲む。
――リュリディアは、彼との出会いを昨日のことのように覚えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
『誕生日おめでとう、リュリディア。プレゼントよ』
五歳の誕生日に母からもらった贈り物は、赤髪の美しい青年だった。
『お母様、彼はだぁれ?』
『まだ誰でもないわ。リュリが決めるのよ』
当主は娘の肩に手を置き、優しく微笑む。
『これはアレスマイヤーの魔法技術の粋を集めた人工生物兵器。
『兵器? でも、彼は人間よ?』
『これの身は
『お人形さん? あんまり可愛くないわね』
不遜な幼女に母が笑う。
『アレスマイヤーの娘として、上手に使いなさい』
母に促されて彼女が赤髪の青年に視線を移すと、執事服の彼は無表情で膝をついた。
『初めまして、リュリディアお嬢様。どうぞ私に名前をお与えください』
『名前?』
『これがリュリディアの所有物だという証よ』
首をかしげる娘に母が答える。
『私の『スイ』やケーレブの『カイ』、マルセリウスの『リョク』のように、これにも便宜上『コウ』という名前がついているわ。でも、それは単に記号にすぎない。私達魔法使いは真名を与えることで、人形に魂を宿すの。あなただけが知る、あなただけの名前をこれに与えなさい』
リュリディアは赤髪の青年に向き直った。琥珀色の瞳がとても綺麗だと思う。
『お嬢様、お手を』
言われるままに右手を差し出すと、青年は人差し指に噛みついた。尖った犬歯がぷつりと皮膚を破って血が滲むが、あまり痛くはない。これが『契約』なのだと、彼女は本能で知っていた。
リュリディアは厳かに口を開いた。
『あなたの名前は……』
◆ ◇ ◆ ◇
「……アンブロイド」
自身の怪我を完治させたリュリディアは、その場で膝を抱えて二頭の魔物の戦いを眺めていた。
もう、結果は出ている。……コウが本来の姿に戻った時から。
メリメリと怖気立つ音が響く。
赤い狼の牙が亀の喉を食い破ったのだ。狼は肉塊をベッと吐き出すと、もがく亀の傷口にもう一度噛みつき、
ゴウッ!
炎を吹き込んだ。コウの体には火と風の精霊が組み込まれている。詠唱無しで火炎魔法を使うなど造作もない。
内側から灼かれた茨陸亀は、顔や皮膚、甲羅の隙間から大量の煙を噴いて地面に倒れた。狼は足先で造作なく亀を裏返すと、ダイヤの硬度の角で胸の甲羅を割り、穴に顔を突っ込んで心臓を完全に噛み砕いた。
その作業に慈悲は一切ない。
主の敵を殲滅する、それがアレスマイヤーの合成魔獣の存在理由だ。
亀が絶命したのを確認し、真紅の狼はリュリディアの元に戻ってくる。毛が赤いから、魔物の返り血が判りにくいのがせめてもの救いだ。
少女は、褒めてというように頬を寄せてくる狼の顎を撫でた。
「ご苦労様。戻りなさい、コウ」
仮初の名を口にすると狼は両前足を揃えて座った。そして伸び上がって後ろ足で立つ仕草をすると、そのままするりと身を縮め、赤髪の青年の姿を形作った。
「なんで執事服なの?」
黒のテールコートをかっちり着こなす彼は、恭しくお辞儀をした。
「これが基本仕様ですから」
「……変なの」
歴代のアレスマイヤーの趣味だろうか。
合成魔獣は体組織から自分の衣類を生成することができるので、どのような服を着るかは思いのままなのだが、何故か皆、従者の衣装を好む。
不可思議ではあるが、服が破れて裸のままよりはマシだ。
「歩けますか?」
「ええ、すっかり元気」
差し出された手を取り、リュリディアは立ち上がる。
「ご命令に背いて申し訳ありません。コウはお役に立てましたか?」
不安そうに上目遣いに窺ってくる従者に、主は思わず吹き出した。
「助かったわ。ありがとう、コウ」
背伸びして赤頭を撫でると、コウは蕩けるような笑顔を見せる。それは、リュリディアにとっても嬉しいことだけど……。
(それでも私は、
口にできない言葉を飲み込んだ分、胸に苦い思いが残った。
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