第16話 没落令嬢は家庭教師(1)

 ゾディステラ帝国帝都アレルシハ。中央部に位置する閑静な高級住宅街に並び建つ一軒の邸宅が、今回のリュリディアのアルバイト先だ。


「宅の息子は魔法学院を受験する予定ですのよ。なので現役の魔法使いの方にお勉強をみていただきたくてお呼びしましたの」


 ゴテゴテと金装飾の多い邸宅の廊下を、やたらとフリルの多いドレスを着た中年女性に連れられ歩いていく。

 女性はステンジー夫人。少し前に輸入業で一山当てた商家の奥様だ。成金趣味な服装や屋敷の調度品が鼻につくが、リュリディアはそれをおくびにも出さない。個人的感情を抜きに仕事に徹するだけだ。

 本日の仕事内容は、魔法学院を目指すお坊ちゃんの家庭教師。これは、求人酒場の依頼票から見つけてきたものだ。

 本来、魔法使いの育成には魔法協会が携わるものだ。普通だったらこんな仕事が得体の知れない冒険者――ましてや反逆者一族の令嬢リュリディア――に回ってくることはまずないのだが……。


「あなたの前に魔法協会から派遣してもらった家庭教師が五人いたのだけれど、みんな一日でやめてしまいましたのよ。みんな宅のガデナスちゃんの才能に嫉妬しているのね! だから仕方なくあなたのようなフリーランスの魔法使いに来てもらいましたの」


 ……すでに正規ルートから匙を投げられた案件だった。


「あなた、一応魔法学院を卒業してらっしゃるのよね?」


「はあ、一応」


 早期入学、飛び級主席卒業だ。


「冒険者風情が受かるのだから、宅のガデナスちゃんは余裕でしょうけど。実は一昨年・去年と試験会場に入れてもらえなかったんですのよ。だから今年はなんとしても合格させてあげたいのですのよ」


 勝手に事情を説明してくれるステンジー夫人。

 ……試験会場に入れない?

 なんかもう、嫌な予感しかしない。

 リュリディアは後悔し始めたが、遅かった。

 夫人が息子の部屋のドアをノックしてしまったから。


「ガデナスちゃん、入るわよ」


 シャンデリアに毛足の長い絨毯。天蓋付きベッドと猫脚のチェストやテーブルの置かれた室内は、美術様式を無視して高価な家具ばかりを並べた印象で、ちょっと居た堪れない気分になる。

 安楽椅子で足を組んで分厚い本を捲っていた少年は、チラリと母を一瞥した。年齢はリュリディアより二つ三つ下だろうか。


「ガデナスちゃん、新しい家庭教師の方ですわよ。お名前は……何だったかしら?」


「ディアです。よろしくお願いします、ガデナス坊ちゃま」


 スカートの端を摘んでたおやかに挨拶するリュリディアに、少年はフンッと鼻で嗤った。


「うるせぇ、ブス」


 ピシッ。

 リュリディアの秀でた白い額に青筋が浮く。彼女は優美な笑顔を絶やさぬまま、ステンジー夫人に向き直った。


「お母様。坊ちゃまにはお勉強より先に眼鏡を作ることをお勧めしますわ」


「え?」


「だって、わたくしの顔がよく見えてらっしゃらないようですから。よっぽど視力がお悪いのかと」


 超絶美少女リュリディアも負けてはいなかった。


「は? ブスをブスって言って何が悪いんだよ、ブス」


「坊ちゃまとわたくしの美的感覚には大きな隔たりがありそうですわね。残念なことです」


「はぁ? 底辺冒険者の癖に僕にそんな口を聞いていいと思ってんのか?」


「あら、その底辺にしか相手にされないな……」


「ディアさん!」


 母親の声に、二人は口喧嘩をやめた。


「あなたはお勉強だけ教えていればいいの。今度ガデナスちゃんに口答えしたら、お給金は払いませんからね!」


「……はい」


 殊勝に身を縮める金髪美少女の背中を、生意気坊ちゃまがニヤニヤ満足げに眺めている。


 堪えるのよ、リュリディア。


 心の中で拳を握って我慢する。彼女には扶養家族がいるのだ。短慮を起こしてクビになるわけにはいかない。


「では、アタクシはお紅茶の用意をしてきますから、よろしくお願いしますわね。ディアさん、くれぐれも粗相のないように」


「……はーい」


 閉まったドアにこっそりため息をついてから、リュリディアは気を取り直した。


「何のご本を読んでらっしゃるのですか? 坊ちゃま」


 訊かれたガデナスは膝の本を床に投げた。彼女は拾わず表紙にだけ目を遣った。どうやら、魔法学院の過去の入試問題集のようだ。


「くだらない。こんなの簡単すぎてクソだ」


 商家の坊っちゃんがお上品なセリフを吐く。

 しかし、ガデナスの発言はもっともで、魔法学院の筆記試験は読み書きと簡単な算術ができるかを確認するだけの作業なので、まず落ちる者はいない。

 肝心なのは……その前だ。


「失礼ですが、坊ちゃまは今おいくつですか?」


「十二だよ、ババア!」


 いちいち暴言を織り込んでくる少年に眉間にシワを寄せつつ、リュリディアは考える。

 名家出身の彼女は別枠だが。一般的に、魔法学院への入学年齢は七歳から十歳までの間だ。これは、その年頃に魔法の能力が安定しだすからだ。

 魔法使いは純粋な才能職。どのような家柄でも、どんなに金持ちでも、『魔力』がなければ魔法は使えない。この職業に必要なのは、その一点だけなのだ。

 魔力というものは、乳児期から幼年期に発露し、成長過程で消えてしまうことが多い。稀に外的要因で能力を授かることもあるが、ほぼ先天性だ。

 人智を超えた能力を保有する子供達に、正しい魔力の使い方を教える機関が『魔法学院』だ。この学院に入る条件は二つ。年相応の知識があることと、魔力を持っていること。

 魔力の有無は、測定器で調べることができる。入試試験の会場前には魔法協会が用意した大玉水晶が設置されていて、それに手を翳すことで測ることができるのだが……。


「ガデナス坊ちゃまは、何か魔法が使えるのですか?」


「使えるにきまってんだろ。見せてやるよ。ここじゃ狭いから庭に出ろよ」


 尋ねたリュリディアに命令口調でガデナスが席を立つ。

 うんざりした気分を押し殺し、彼女は渋々年下の少年の後をついていった。

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