第2話 没落令嬢と骨董品店

 ゾディステラ帝国帝都アレルシハ郊外。裏路地にぽつりと建つさびれた骨董品店が、本日のリュリディア・アレスマイヤーのアルバイト先だ。


「では、店の掃除から始めておくれ。棚の上からハタキを掛けて、最後に床を箒でくんだ」


「はい」


 店主の初老の男性の指示に頷き、少女は掃除道具を手にする。

 お嬢様育ちの彼女は、勿論掃除などしたことがない。だが、屋敷のメイド達の仕事は見たことがあるし、手順を教えられた作業をこなせないほど無能ではない。

 踏み台に乗って言われた通りに棚のてっぺんから埃を払っていく。

 今日の彼女の衣装は、白いコットンブラウスに葡萄色のコルセットスカートにショートブーツ。つい先日までフリルたっぷりの絹のドレスを普段使いしていたとは思えないシンプルさだ。

 もっとも、従者によってレースのリボンと共に丁寧に編み込まれて後頭部で一纏めにされた腰まである金髪と、長い睫毛に彩られた透明度の高い空色の瞳。高く小さめな鼻と瑞々しいさくらんぼの唇とポラウス山の新雪より白く澄んだ肌に、細く柔らかい顎のラインを持つリュリディアは、何を着ていても『美少女』であることに変わりはないが。

 実家の大豪邸を追い出された時に身につけていたドレスと装飾品は、早々に売ってしまった。お陰で長屋の家賃と数枚の着替えと当座の生活費が賄えているのだが……このままでは蓄えが尽きるのは時間の問題なので、早く定職に就きたいところだ。

 この店は骨董品屋らしく雑然としているが、直射日光が当たらない間取りになっていることや、高価な品はさり気なく奥に配置されていることから、店主の手腕が知れる。

 珍しい工芸品や美しい芸術品に囲まれていると、実家の蔵を思い出して心が踊る。

 リュリディアは貴重品の取り扱いに慣れているし、無茶な値引き交渉をしてくる客をガツンと断る度胸もある。寡黙な店主とは上手くやっていけそうだ。


(このまま長く続けられるといいわね)


 昼休憩に店の奥でサンドウィッチコウの手作り弁当をパクつきながら、そう考える。今の彼女に必要なのは、従者との安定した生活だ。それから実家の件を――。


「もう少し、お願いできませんか?」


 不意にか細い声が聴こえてきて、リュリディアは店内に顔を覗かせた。店の隅では、初老の店主と二十代とおぼしき女性が向かい合って何やら話をしている。女性は腕に乳児を抱えていた。


「どうかしましたか?」


 リュリディアが声をかけると、店主は振り向きもせず手でシッシと追い払う仕草をした。


「なんでもない。あんたは休憩してなさい」


 むかっ。

 邪険にされると首をつっこみたくなるのが、このお嬢様の性分だ。

 リュリディアは命令を無視して彼らに近づいていく。どうやら骨董品を売りに来た女性との交渉が難航しているようだ。丸眼鏡を掛けて店主が鑑定している手のひらサイズの鈍色にびいろの円盤は、天体観測器アストロラーベだ。


「これはよくある量産品だね。出せても銀貨一枚だよ」


「そこをなんとか! 私の母から受け継いだ家宝なんです。本当は手放したくないのですが、夫に先立たれ、もうこの子を育てていくお金がなくて……」


 女性は涙ながらに訴える。若いのに髪は艶もなくボサボサで、店主にすがる指先もあかぎれで血が滲んでいる。服だってあちこちほつれている。ただ、腕の中で眠る赤ん坊の頬は艷やかで、自分の身を削っても我が子を大切にする母の愛が伝わってきた。

 店主はやれやれと首をすくめた。


「じゃあ、大サービスで銀貨二枚だ。これ以上の値はつけないよ」


「ありがとうございます。ありがとうございます!」


 仕方ないとため息をつく店主に、女性は地に着くんじゃないかというほど頭を下げる。


「ほら、銀貨二枚。まいど」


「ありがとうございます!」


 店主が右手で代金を渡す、寸前。リュリディアは見た。彼が隠すように背中に回した左手に握られていた、太陽と月の意匠の金属盤を。


「待って!」


 銀貨が女性の手のひらに載るのを、リュリディアは二人の間に入って体で阻止した。


「え?」


 驚く客の前で、アルバイト店員は店主から商品をひったくると、


「……やっぱり」


 碧眼を険しくしてそれを様々な角度から確認する。


「この天体観測器アストロラーベ、シャウラト家の魔道具よ」


「シャウラトって……?」


「魔導五大家と呼ばれる魔法使いの名家の一つよ。一般の方には馴染みが薄いかもしれないけど」


 混乱する彼女に、リュリディアは滔々と説明する。


「シャウラト家は錬金術に特化した家系なの。見て、この合金の波模様の美しいこと! 常に魔力と磁力を放っていて正確な方位を指し示しているわ。ほら、ここ」


 言いながら、観測器を裏返す。少女が細い指でなぞると、ボウっと金色の光の文字が浮かんだ。


「なにこれ!? 私が触った時はなんとも……」


「この魔道具は魔力に反応して製作者のサインが浮かび上がるの。これは三代前の当主の名前ね」


 リュリディアは母子に向き直る。


「シャウラト家は数十年前の恐慌の際に多くの魔道具を流出させてしまって、現当主がそれらを探して回収しているの。今なら入手経路は問わず、適正価格で買い取ってもらえるわ。この品なら、そうね……金貨五十枚にはなるかしら」


「ごじゅ!?」


 それは庶民の平均年収を優に超える額だ。絶句する女性の手を取り、リュリディアは天体観測器を載せた。


「シャウラト家の屋敷は大通りを西に行った先よ。門番から筆頭執事のグエナに取次を頼むといいわ」


「え? あの……」


「さあ、行って」


 リュリディアが手を離した時には、女性のあかぎれはすっかり治っていた。

 むずがる乳児をあやしながら、女性は何度も少女に頭を下げて街の雑踏に消えていく。

 その後ろ姿が見えなくなるのを待ってリュリディアが店内に戻った、瞬間!


「おい、お前! なんてことしてくれたんだ!」


 いきなり店主に胸ぐらを掴まれた。

 ブラウスの襟を締められ苦しさに顎を上げながら、少女は自分の四倍は生きているであろう男と睨みつけた。


「やっぱり、あのアストロラーベの価値を知っていたのね?」


「せっかくの儲けのチャンスをふいにしやがって、このクソガキが!」


 店主は広い額に青筋を浮かべて怒鳴り散らす。大人の恐ろしい剣幕にも、彼女は怯まない。


「正当な価値を知っていながら不当な安値で引き取るなんて詐欺だわ! 骨董家の風上にもおけない。恥を知りなさい!」


「うるせぇ、子供に商売の何が解る!?」


「商売は解らなくたって、善悪の判断はつくわ!」


「このっ!」


 ゆでダコになった店主が腕を振り上げる。握った拳がリュリディアの秀麗な頬に届く寸前。


 バチッ!!


「うおぉ!」


 突然飛んだ火花に、男はうずくまった。胸ぐらを掴んでいた店主の手に、少女が静電気を増幅させた雷撃魔法を放ったのだ。

 リュリディアお嬢様は、気位が高く鉄火で……一流の魔法使いなのである。

 男は火傷すらないが痛みの残る手の甲をさすりながら、少女を見上げる。


「で、出ていけ! お前の顔など二度と見たくない!」


 リュリディアは憐れな店主を見下ろし、悠然と形良い唇を開いた。


「それは――」


◆ ◇ ◆ ◇


「……で、クビになったんですか?」


 白身魚のフリッターの皿をテーブルに置きながら、コウが困った声を出す。


「違う! 私の方から辞めてやったの!」


 リュリディアはフリッターをザクッとフォークで虐待し、美味しく頬張る。


『──こっちの台詞よ!』


 が、彼女のとどめの言葉だった。


「なにが『商売を解ってない』よ。詐欺の片棒を担ぐなんてまっぴら。辞めて清々したわ!」


 ぶつくさ悪態をつきながら、もりもり食べ進めていく。

 自分は間違ったことはしていないと信じている。それでも口数が多くなってしまうのは……二日連続で一日で仕事を失った気まずさから。

 従者を養うのが主の努めと意気込んだ昨日の今日で無職になるなんて、プライドの高い彼女には堪え難い羞恥プレイだ。


 (コウに呆れられたら、どうしよう)


 態度では強がっていても、ネガティブな感情が湧き出し頭の中でぐるぐる回る。

 もっと上手く立ち回れていれば、仕事をクビにならなかったのに。

 もっと周囲に迎合できれば、こんな困窮した生活にコウを巻き込まずにすんだのに。

 もっと私が……。


「リュリお嬢様」


 うつむいた金髪頭に、赤毛の青年が優しく呼びかける。

 ハッと顔を上げた主に、従者はにっこり微笑んだ。


「今日はとてもいいことをなさいましたね」


 その声に、リュリディアはみるみる空色の瞳を見開いて、


「でっしょー!」


 自信満々に胸を張る。


「やっぱりいいことをすると気持ちがいいわ! ご飯も美味しい」


「ええ。さすがリュリお嬢様。コウも従者として鼻が高いです」


 途端に上機嫌になってパンをちぎるリュリディアに、コウはすかさずバターを差し出す。

 ――リュリディアの総てを全力で肯定する、それがコウの役目だ。

 世間の正しさなど関係ない。従者にとって、主こそが唯一無二の正義だ。

 そしてコウに肯定されることで……リュリディアはいつだって無敵でいられる。


「あの母子おやこも、美味しい物をお腹いっぱい食べられるといいわね」


「ええ」


 呟く少女に青年は頷く。

 明日からはまた問題山積みだ。

 でもとりあえず、今日の主従は幸せに一日を終えた。

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