没落令嬢はアルバイト中【改稿版】

灯倉日鈴

第1話 没落令嬢、はじめてのアルバイト

「もー! あのオヤジ、思い出すだけで業腹だわっ!!」


 リュリディア・アレスマイヤーは、怒りに任せて振り上げたフォークを鶏むね肉のソテーに突き刺した。そして憮然とした表情のまま流れるようにソテーをナイフで切り分け、優雅に口に運んでいく。

 絹糸のような光沢を放つ金髪と澄み切った青空色の瞳が印象的な彼女は、御年15歳。コズバース大陸随一の大国、ゾディステラ帝国の『魔導五大家まどうごたいか』と謳われる名門アレスマイヤー家のご令嬢……であった。ごく最近までは。

 彼女が現在住んでいるのは、帝都アレルシハの郊外。すねに傷持つ訳あり者が集うオンボロ長屋の一室だ。

 帝国屈指の資産家の末娘であるリュリディアが、なぜこのような場所で暮らしているのかというと。

 答えは簡単、実家が没落したからだ。


「――で、クビになったのですか?」


 テーブルクロスもない白木の机で夕食を頬張る少女にグラスの水を差し出したのは、鮮やかな赤髪に琥珀色の瞳を持つ二十歳前後の青年。

 黒のテールコートに揃いのベストとトラウザーズ。一目で執事と判る衣装の彼はコウ。リュリディアの専属従者だ。律儀な彼は、アレスマイヤー家の没落後も彼女の傍を離れない。

 着の身着のまま豪邸を追い出され、紆余曲折ありながらこの長屋に流れ着いたリュリディアは、面倒見の良い大家の紹介で近所の飲食店でアルバイトをすることになった。

 今日はその初出勤日だったのだが……。

 勤務を終えて帰ってきた彼女に従者が成果を尋ねたところ、返事はこれだ。

 彼のご主人様は客とトラブルを起こし失業していた。


「だってあのオヤジ、私のお尻を触ったのよ! 万死に値する蛮行。殴られて当然だわ!」


「殴ったのですか?」


 目をまんまるにする従者に、あるじは自信満々で、


「打撲はちゃんと治癒魔法で治してやったわ!」


 そういう問題ではない。

 アレスマイヤー家のご令嬢は、とかく気位が高く鉄火な性格なのだ。

 なんにせよ、リュリディア本人に怪我がなくて良かったとコウはこっそりため息をつくと、気を取り直した。


「人には向き不向きがございます。リュリお嬢様は長くお屋敷で引き籠も……魔法研究に勤しんでおいででしたので、民間で働くのに慣れていないのは仕方がないこと。ここはやはり、コウが外へ仕事に出た方が……」


「それはダメ!」


 言い終わる前に、リュリディアは机を叩いて立ち上がった。


「コウは私の従者よ。私があなたを雇用しているの。わたしを養うために従者あなたが働きに出るなんて本末転倒じゃない。それに、兄様に心配をかけないためにも私が自立できてるって証明しないと」


 それは名家の令嬢としてのプライドだ。


「本当は帝都の邸宅が政府に接収された時に、コウも兄様と別邸に避難していれば……」


「リュリお嬢様」


 後悔の滲むリュリディアの声を、今度はコウが遮る。


「お嬢様と運命を共にすることは、コウが選んだ道。今更捨てようとしても遅いです。一生逃しませんから」


 爽やかな笑顔で生涯ストーカー宣言されて、お嬢様は思わず噴き出した。


「望むところよ」


 リュリディアだって、この厄介な従者を手放したくはないのだ。


「明日は違う仕事を探すわ。二つ先の通りの骨董品屋で店員募集の張り紙見つけたの」


「それはいいですね。お嬢様は目利きですから」


 他愛もない会話をしながら、リュリディアはふと気づく。


「あ、早く行かなきゃ長屋の共同浴場がしまっちゃう。ご馳走様!」


 料理を綺麗に平らげて、着替えを持って部屋を飛び出していく。

 残されたコウが空の皿を下げていると、コンコンとドアをノックする音がした。


 こんな時間に誰だろう?


 警戒しつつ執事がドアを開けてみると、そこにはリュリディアと同じ年頃の少女が立っていた。


「なにか御用でしょうか?」


 内気そうな彼女は長身の美青年に驚き一歩後ずさってから、おずおずと口を開いた。


「あの……リュリディアさんいますか?」


「生憎、不在でして。伝言があれば承りますが」


 慇懃な執事に、少女は両手をずいっと差し出した。掌の上にはハンカチの包みが載っている。


「あ、あの! あたし、そこの料理屋で働いてるんですけど。今日、たちの悪いお客さんに絡まれてるところをリュリディアさんに助けてもらって。でも、そのせいでリュリディアさんがクビになっちゃって……」


 少女は瞳を潤ませながら、


「それで、お詫びとお礼がしたくて。ありがとうございました! あたし、今度からは自分でちゃんと嫌だって言えるようにがんばります!」


「確かに伝えておきます」


 手を振って去っていく少女を見送って、ドアを閉めたコウはハンカチを開いた。まだ温かいクッキーの山に思わず笑みが零れる。

 彼の主は、気位が高く鉄火で……とびきり優しいのだ。


「これでもう少し世渡り上手だとよいのですが」


 それはアレスマイヤー家の血筋なので、致し方ないこと。

 コウはリュリディアの帰りを待ちながら、クッキーに合う紅茶を淹れるための湯を沸かし始めた。

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