第35話 没落令嬢の従者の一日(3)
午後の早い時間には、私塾に通う十代前半の子や、早番の仕事の保護者が帰ってくるので、預かっていた子ども達を引き渡し。
それでもコウに休息の暇はない。
「こんにちは、ジェシカ様。本日は何かご入用な物はございますか?」
「ああ、コウちゃん。いつもすまないねぇ」
ドアを叩くと、杖をついた老婦人が顔を出す。
ワケアリ長屋には独居老人も多い。自宅用の夕食の買い出しついでにご近所に御用聞きに回るのも、コウの日課だ。
「最近、足が痛んで外出も億劫でねぇ。コウちゃんが買い物に行ってくれて助かるわぁ」
「いえいえ。ご近所は助け合うものだと我が主も申しておりますので」
さりげなくリュリディアを上げておくが、嘘ではない。アレスマイヤー家は『
「今日は大根がお安いそうですよ。麦もこれから値上がりするとのことで、多めに買っておきましょうか?」
「まあ、気が利くこと。でもそんなに買ったら荷物が重くなって、コウちゃんが大変じゃないかい?」
「心配ご無用です。コウは力持ちですから」
にっこり笑う執事服の優男は、見た目は細身だが災害級の魔物を簡単に制圧する能力を秘めている。
「おやまあ、若い子は元気だこと」
老婦人はコロコロと笑うと、思いついたように部屋の奥に戻ると、両手に何かを抱えて戻ってきた。
「そうだわ、この間の火事でコウちゃんの部屋はすっかり焼けちゃったでしょう? うちは家財は殆ど残ってたから、これをあげるわ」
彼女が差し出したのは、縁に花模様がついた数枚の食器。
「そんな、いただけません」
恐縮する従者に、老婦人はぐいぐい食器を押し付ける。
「いいのよ。昔、趣味で集めてた物だけど、今はすっかり食が細くなってお皿を使う機会が減ってね。物は使ってあげなきゃ可哀想でしょう?」
……かくいうコウも食器を使って食事をしない存在なのだが……。
「では、お言葉に甘えて」
結局押し負けて、老婦人の好意を受け取ってしまった。
買い物から戻ったら、共同浴場を掃除して湯を沸かす。これは
燃えて建て直された後、トイレだけは各部屋に一つ取り付けられたが、浴室までは予算が回らず共有スペースとなっている。ちなみにリュリディアが「めんどくさい」と言うので、『善意の寄付』で再建された長屋はエレーン名義のままだ。
ちなみに、コウは風呂には入らない。魔力を有機合成している彼らは、いつでも身体を作り直すことができるし、表面の汚れは水で流せば十分なのだ。更に、衣類も魔力でできているので、基本的に脱ぎ着も洗濯もしない。一応、脱ぐことはできるが、
「感覚的には蛇の脱皮ですかね。素材が魔力なので、脱いだ衣類は時間が経つと消えます」
とのことだ。
追い焚き用の
夕暮れが近づくと、外での作業はおしまい。いよいよ本業であるリュリディアの夕食作りが待っている。
今日は魚をメインに大根サラダと汁物をと考えていると、
「……おや?」
彼の敏い聴覚に、か細い声が聞こえてきた。
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