第24話 からみあい

 翌朝、青山博子と石和紘一が、武山雅夫と共に、星野病院の外来入り口にやってきた。

 私は雅夫が彼らの先頭にいるので吃驚したが、雅夫は私に向かって真直ぐに歩み寄ってくると、いつもの愛想のよさで、にやにやしながら挨拶した。

「先生、おはようございます。今日はうちの女の子を引き取りに上がりやした」

「うちの女の子?」

「そうですよ。吉村由香里はうちの売り上げナンバーワンの子なんです。大切な売れっ子ですから、私が自ら引き取りに上がりやした」

 そうだったのか。つまり吉村由香里は雅夫の店に勤める風俗嬢で、博子と紘一は同僚なのかと私は内心驚いた。

「武山さん、お酉様の時しか普段の姿にお目にかかったことはありませんでしたし、外来でもお仕事の話を伺ったことはありませんでしたが、なかなか艶っぽい世過ぎでいらっしゃるんですね」

「いや、先生にゃとても話せない裏稼業ですが、これでも百人から養う一家の主でごぜえましてね」

「そうなんですか。色気にまるっきり縁のない私なんかから見れば、御艶福そうで羨ましい限りですよ」

「何なら先生、いい女の子をお世話しましょうか。見目も、気立ても、もう一つも、三拍子そろった女の子をいくらも御用立てできますぜ」

「いやいや、御厚意だけはありがたく受け取らせていただきます」

私は笑って挨拶を返した。

 丁度その時、昨夜亡くなった膀胱癌の患者が一階に降ろされてきた。私は彼らに「失礼」と断ると、裏玄関で遺体が霊柩車に運び込まれるのに付き添い、佐和子と共に遺体が葬儀場へ運ばれるのを見届けた。

 御遺体の見送りは医者の常日頃の仕事の一つだが、霊柩車が去っていく道の角を曲がったら、我々はお互いに「御苦労様」と声をかけあって、すぐに次の仕事に移る。

今日は朝の外来もあるし、その前に浪川美千代の今後について話し合うことになっていて、この話に高橋貞一郎を呼んでいた。

 医者が患者について家族に話をする場合、家族の希望により、説明相手としてのキー・パーソンを一人だけ決める。そして、その人以外の家族、親族には説明はせず、キー・パーソンから説明してもらうようにする。複数の家族が説明を求めるのに応じていると膨大な時間を要するし、家族によって立場、希望が異なる場合も少なくないからだ。

 美千代に関しては、当初は勇だったが、貞一郎が見舞いに通ってくるようになってから、貞一郎がキー・パーソンとなった。

 区の社会福祉課の担当者の山本健司はすでにやって来ていた。

 もうじき貞一郎も来るだろうと思っているとき、駐車場の方から激しく言い争うような声が聞こえた。

 外来ブースの窓から、玄関前から駐車場にかけて眺めると、何と高橋貞一郎と武山雅夫が、つかみあいになりそうな勢いで言い争っている。

 母の転院の件で相談にやってきた高橋貞一郎と、武山雅夫が玄関前で鉢合わせしたのだろう。少し離れたところで青山博子と吉村由香里が様子を見守り、石和紘一が横に立って腕組みをしている。

 と、見る間に雅夫が貞一郎の胸倉を突き飛ばした。

 貞一郎は仰け反ったが、百戦錬磨だけあって、続けて出てくる二の手を跳ね除け、雅夫の頬に一発ストレートをかました。

 昔取った杵柄だけあって、雅夫はきりきり舞いしてその場にひっくり返った。

 すると横で見ていた紘一が無言で割って入り、貞一郎を突き飛ばした。

 これは拙い。福吉楼の売買以来の因縁を蒸し返す喧嘩になりそうだ。障害沙汰になる前に止めなければならない。

 事務長の青木康夫と社会福祉課の担当者の山本が飛び出して行って、二人の間に割って入った。私もその様子を見て、白衣のまま玄関から出て駆けつけた。

 引き離されながら、雅夫は大声で吼えている。

 貞一郎はかっと目を見開いて相手を睨みつけているが、顔の筋肉が怒りで震えている。積もる恨みのためか、言葉も出ないようだ。

 私が大股で近づいて行くと、間に立って声をかけた。

「高橋さん、武山さん、やめてください。病院は殴り合いをするところじゃないですよ」

 私の言葉に、貞一郎は雅夫を睨みつけながらも黙って手を収めた。

 私は雅夫と紘一の顔をそれぞれ見てから、「貴方達も今日は帰ってください」と言った。

「先生、俺は何もしてねえよ。こいつが絡んできたんで帰るに帰れなくなったのさ」

雅夫は不貞腐れたような声で言い、紘一は感情のない目で私を見た。

 貞一郎が「いちゃもんつけてきたのはてめえだろう」と言うと、雅夫はにじり寄ろうとする。私は勇を鼓して、さらに間に割って入った。

「お互い事情はあるだろうが、お二方ともこの病院には馴染みの方だし、お願いですから折り合ってください」

 すると雅夫と貞一郎は、まだお互いに捨て台詞を言い合った。

「全く拳闘家の端くれのくせして、病院に来る患者に暴力振るうってんだから上等だよ」

「何だと、女衒野郎が」

「てめえのお袋なんざ、その女衒に面倒見てもらった口だろうが」

すると目をむいた貞一郎は雅夫に飛びかかろうし、雅夫も応戦しようとして、二人はまたしてもつかみ合いになりかかった。

 怒りで錯乱している雅夫は目が座って凶悪な顔をしており、誰にでも飛びかかりかねない様子を見せたので、青木と山本も割って入った。

 すると雅夫が青木の二の腕に噛み付いた。

 青木は「この馬鹿野郎!」と叫んで振りほどき、雅夫を突き飛ばすと、雅夫はひっくり返った。雅夫は立ち上がると青木の胸倉を掴もうとして、再び貞一郎に殴られた。

 すると今度は紘一が貞一郎を押さえつけ、胸倉を掴んでつるし上げた。

 私は叫んだ。

「皆さん、やめてください。高橋さん、武山さん、ここは丸く収めてください。これ以上やりあうなら警察を呼びますよ」

 雅夫は倒れたままじろりと私を見て、ふんとふくれっ面になった。

 立ち上がると、貞一郎に向かい、「野郎、どうするか、覚えてやがれ」と捨て台詞をはいた。「もうこの病院には来ねえ」と言い捨てて、帰って行った。

 紘一も感情のない目でじろりと貞一郎を見て、かすれた声で、ぼそっと「そのうちお礼参りに行ってやるから楽しみにしてな」と不気味な捨て台詞を残し、吉村由香里と青山博子を連れて去って行った。

 落ち着いてから事情を聞くと、口の減らない雅夫が美千代について貞一郎をからかって挑発したらしく、元をただせば馬鹿馬鹿しい子供のような原因で喧嘩になったのだった。

「あの石和の奴は、福吉楼を乗っ取って俺と俺の母親を追い出した武山雅夫のお気に入りの子分で、今は店名を変えたソープランドの番頭兼用心棒やってやがるんだ。俺とお袋が福吉楼を追い出されたのは、あいつらのせいだ」

 まだ興奮しながら貞一郎は吐き捨てるように言った。

「あの野郎、人の面見るなり。『何だ、おめえ。腎臓片方しかねえくせしてまだ生きてやがったのか、早く片付け』なんて言いやがった。あいつらこそ早々に片付きやがれ。今あいつらが牛耳っている店こそが、昔の俺たちの店の福吉楼だったんだ。恩知らずの人でなしめらが」

 とばっちりは青木事務長で、私は彼の貢献に大変感謝した。

 しかし肝硬変患者に噛まれたので、免疫グロブリンとワクチンを注射し、ストリート・ファイトで怪我すると、後で心内膜炎を起こすことがあるから当分飲むようにと説明して経口の抗生剤を二週間分与えた。

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