第3話 終戦
それから数日の間に、広島と長崎に新型爆弾が落とされ、莫大な数の市民が殺されたとのラジオ放送があった。遥か彼方の南洋の、取り残されたラバウルで米軍機に追い回される身にとっては、遠い異国の話のようで、どんな爆弾か想像もつかなかったが、あとから聞いて驚いた。出征も地獄、内地も地獄だ。
そんな兵器を発明するなんて、すげえ開発力としか言いようがねえし、そんな国を相手に戦争始めちまったのが間違いだった。しかも陰謀まで大得意と来てる。真正直な日本人相手なんて、赤子の手を捻るようなもんだったろう。
大統領のローズベルトの指揮下に、国務長官のコーデル・ハルにあからさまな挑発文書を作られ、プライドにかけて戦争を始めちまったのが間違いの元だった。
しかしそれにしても、いくら戦争だって、死に体の相手に対して、何てひでえ話だ。
被害にあった人たちには何とも慰めようもねえ。一瞬で紙になっちまったり、全身の皮膚が剥がれちまったりで死んでいったんだからな。
連中のやったことは、卑劣以外の何だ?
ボクシングだったら、ノックアウトされて倒れて動けねえ敗者相手に、馬乗りになって死ぬまで殴り続ける悪魔の仕業だ。その頃の米国の指導者たちが、日本に対して明らかにジェノサイドを行うつもりだったという印象を否定することは難しい。
だがそれはいずれ歴史が裁いてくれる。誰が、どういう組織が動いてこんなことになったか。どれほど悪辣非道だったが、いくら隠したって、永遠に隠せるなんてこたあ、ありゃしねえんだ。悪が勝ち通せる、隠し通せるなんてことは、絶対にない。
だからこそ、特攻目指して志願兵になった自分の過去に、俺は誇りを持っているよ。
さらにその一週間後の八月十五日には、天皇陛下による玉音放送があった。
重大な発表だというんで、皆ラジオの前に集まって聞き耳を立てたが、ラジオの雑音が大きくて、誰も聞き取れねえ。お互いに顔を見合わせるばかりだった。
一方、いよいよ米軍がラバウルにも上陸してくると噂になり、俺は猪瀬、小野滝とともに洞窟に隠れることにした。いざ米兵に見つかったら、弁当箱の紐を引いて、敵諸共自爆し果てる覚悟だ。
俺たちは兵舎から森の奥へ入ったところにある、かねてから目をつけていた洞窟の奥に陣取った。夜は三人で順番を決めて見張りに立った。
農耕生活の一方、湾の魚やナマズを獲り、焼いたり煮たりして食べた。バナナやマンゴーなどの果物も豊富だから、食べ物には不自由しなかった。もはや軍服などなく、青く染められた上着、ズボン、靴のみの生活さ。
あるとき、洞窟の傍に開いた畑で農作業をしていたところ、兵舎のほうで激しい爆発音が聞こえた。どうやら米軍が上陸してきたらしい。いよいよ殲滅作戦か。捕まってたまるかと思った俺たちは、さらに奥地のジャングルの中の洞窟に移った。
米軍の探索はそこまでは及ばず、俺たちは見つからずに済んだ。
南洋の最前線まで来たものの、逃げ回った挙句、兵舎も焼きだされて銃と爆弾を持っての隠遁生活。
特攻の志は空振りに終わったが、命あっての物種かもしれねえ。頑丈な体のおかげでジャングルの環境を生き抜くことができ、五体満足で生き残ったんだから。
洞窟生活はいつの間にか半年を越えた。
ラバウルは万年夏だ。日付を記録してはいたが、今がいつなのかも分らなくなりそうだった。そのまま見つからなければ、グアム島の横井庄一さんやルバング島の小野田寛朗さんと同じ運命を辿ったかもしれねえ。
昭和二十一年の三月のことだった。俺は眠りについていたところを突然、突き起こされた。はっと飛び起きようとするところを、たちまち抑え込まれた。
目の前に数人の米兵が銃を構えている。弁当箱の紐を引こうと思ったが、敵はこちらがどうするつもりか分っている様子で、弁当箱はたちまち外されて取り上げられた。
猪瀬と小野滝も、数人がかりで押さえつけられている。敵は総勢十人ほどいるようだった。抵抗しようとすると、銃の台尻で殴られ、抑えつけられた。日本人らしき奴が一人ついていて、「抵抗するな。もう戦争は終わったんだ」と告げられた。
俺たち三人は縄で縛られて捕虜となった。日本人はガダルカナルから来た将兵ということで、その男から、第二次世界大戦は日本の無条件降伏で終わったと聞かされた。
敗戦かと思うと、俺は気が抜けて座り込んじまった。
猪瀬と小野滝は突っ伏して泣いていた。
それから連中に命じられるままに引き立てられ、連中の基地となった場所へ連れて行かれた。バナナやマンゴーの林の中の掘っ立て小屋だったかつての日本軍基地は驚くほど立派で新しくなっていた。
今思うと一つ一つが奇跡だよ。自分から死ぬつもりで軍隊に志願したのに、特攻に出撃しそこない、敵の駆逐艦だらけの海でよくまあラバウルまで行き着いた。特攻隊転じて南方戦線、運命だったんだろう。
そのあとも、南方戦線に見事散り果てましたって結果になるのが当然の運命だったろうが、弁当箱爆弾で自爆することにもならなかった。どうしてこれだけ生き延びたのか、神が俺を生き延びるべき人間だって思ったんだろうか、つくづく不思議だ。
でも俺は神に感謝しているよ。勢いだけで生きてきた俺が、長い人生を生きることになるとは皮肉なもんだ。
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