第21話 下町の病院

 寒い季節になると、東京屈指のドヤ街の近隣に位置する場所柄、鳳病院の患者は生活保護受給者や路上生活者が増えてくる。救急車で病院に搬送される路上生活者はほぼ例外なく不潔な身なりだ。全身汚物まみれで来院する者もときにはおり、こうした患者はどこの病院でも歓迎されるとは言い難い。

 受け入れる病院でも、建物の中に入れる前に、まず駐車場等で患者の全身を洗わなければならない。毛じらみの巣になった頭から足先までを十分に洗って汚物や臭いを落としてからでなければ、他の外来患者の手前からも、病棟の院内感染の危険性からも、病院の中には入れられない場合がしばしばだ。

 そういう患者を洗うとき、特に冬の場合は水をかけて洗うのが常である。私は初めてその光景を見たときは、いくら浮浪者でも、真冬に駐車場で頭から水をぶっ掛けて洗うのはどんなものかと思ったものだった。

 しかし、懇意にしている竜泉救急隊の佐々木隊長から聞いたところによると、冬だからこそ、彼らを洗うときは水でなければならないそうだ。厳寒の中で長期間路上生活して弱っている彼らをお湯で洗うと、全身の血管が拡張することによって急に血圧が下がり、重大事態を招く。

 佐々木自身、一度このような患者を浴槽につけてお湯をかけてやりながら、「ほら、あったけえだろう」と声をかけて洗ってやったことがあったそうだ。うん、うんと気持ちよさそうに頷いているうちに返事をしなくなったので、どうしたことかと思ったら瞳孔が開いてしまっていたという。その失敗以来、冬場の路上生活者は、水で洗うことこそが思いやりだと思い知ったということだった。

 高橋貞一郎が私の外来診察室にやってきたのは、鷲神社の参の酉も終わって、めっきり冷え込むようになった十二月のある夕方のことだった。

 貞一郎は、うつむいていてときどき上目遣いに見たり、やや横を向いて斜視気味に見るので、いかにも拗ね者といった印象を与えた。

「金もねえ、仕事もねえ、先生、お医者なら治してくださいよ」

「そうだなあ。医者が世直しもできるといいんだけどね」

「先生はいい収入だろうけど、こちとら、おまんま食いあげなんだ」

「とんでもない。院長だった親父に死なれて慣れない病院商売に行き悩んでいるんだ。病院は客商売だけれど、僕は才能がなくてね、食べていくのに困らないって程度ですよ」

「食べていけりゃ、いいじゃないですか。俺なんて生活保護ですよ。ドヤ街の貧乏長屋暮らし。何もいいこたありません」

「考えようですよ。それで、今日はどうされましたか?」

 貞一郎の愚痴話の相手になっているときりがないので、私は話を本来の診察に戻した。すると貞一郎は、急に冷え込んで風邪ひいたので、風邪薬がほしいとのことだった。

「先生、いろいろ聞いて申し訳ないが、俺、腎臓が一つしかないんだよ。いやなに、暮らしに困って売ったわけじゃないよ。昔ボクサーやっててさ。そのとき試合でパンチを浴びて左側の腎臓が破裂しちまったのよ」

 その話は、勇からも聞いて知っていた。酉の市で、武山雅夫も言っていたから、この界隈では知られた話なのかもしれない。

「左の腎臓は手術して取られたんですね」

「そう、この病院に運ばれて、昨年亡くなった先生のお父さんに手術してもらったんだ。もう三十年以上前の話だけどね」

 貞一郎をノックアウトしたのが浪川勇だそうで、すると勇は腎臓破裂を起こさせた相手の母親と結婚したことになる。世の中複雑なものだと思った。

 貞一郎はまだまだ話足りないらしい。根は人懐っこいのだろう。

「腎臓って、一つでも普通に生きていけるのかね」

同じ質問を多くの医者にしたろうけれど、私は丹念に答えた。

「個人差があります。肝臓や腎臓は予備能力の高い臓器で、一部が損傷しても残りの部分で機能を補えるようになっています。腎臓は片方を失っても、もう片方が余計に働くので、困らないはずだけれど、実際は片方だけだと三分の一から四分の一に落ちるとも言われています。でも片方だけで三十年も四十年も持つ方もいますから、本当、人によりますよ」

「三十年、四十年か。俺もそうあやかりたいものだ」

 貞一郎は納得して頷いたが、そこで急に話を変えた。

「この間、奴は俺のことをなんか言ってましたか」

「え?」

「あの武山ですよ。お酉様のとき、俺の悪口をなんだかんだと言ってたでしょう。先生、あいつのところでなんか熊手買っちゃいけませんよ。却って描き込める物も掻き込めなくなりやすぜ。ろくでもねえ悪党なんだ。家の店を乗っ取った奴さ」

「そうですか。何か込み入ったお話があるようですね。またお伺いするとして、お体に気をつけてください。入院中のお母様も、よく診させて頂きますから」

「そうだ、先生はお忙しいのに無駄話ばかりして申し訳ない。天涯孤独の俺にとっちゃ母はこの世で唯一の肉親なんで。これからも一つよろしくお願いしますよ」

 貞一郎は挨拶して診察室を出た。いつものように三階病室に入院している母の見舞いに寄るのであろう。


 鳳病院は三階建てで一階が外来、二、三階が病棟になっており、患者は玄関で靴を脱いでスリッパに履き替える。今どき珍しい古いスタイルの病院だ。まあ自分の病院について忌憚のないところを言えば、ボロ病院である。

 三階には畳敷きの大広間のような病室があって、廊下でさらにスリッパを脱いで靴下で部屋に上がり、医者も看護婦も患者の診察、治療に当たるときは、片膝をつくか正座して、回診に回ったり、低い点滴台の点滴を取り替える。

 雑魚寝のたこ部屋のような病室だったが、この部屋は下町のお爺さん、お婆さんの患者たちに案外に評判がよく、積極的に和室を希望する患者も多かった。

 それは患者たちが和室の環境で暮らしてきた世代であり、また、靴を脱いで畳に胡坐をかいたり、横になれたりする和室の心癒される居心地のためもあるようだった。窓が大きくて全体が明るく、町を見渡す眺めがいいこともあって、私はこの畳部屋の回診に回るのが好きだった。

 この和病室の一番隅に寝ているのが、貞一郎の母の高橋美千代である。

 私がその日回診に回っていくと、貞一郎は病室にいた。

 そろそろ面会時間をきっちり守るよう言わねばならない。そうでないと、今日のように朝から受診に来て、そのまま母の病室に上がってしまうからだ。美千代は七十を越したばかりだが、くも膜下出血の後遺症で左半身が麻痺し、問いかけには表情で応じるが、発語は呂律が回らないので理解することは難しかった。

 美千代について今後の治療方針の話をした後で、貞一郎は身の上話を始めた。

「俺は、生まれ育ちは吉原なんですよ。この母は吉原の福吉楼っていう置屋の芸者で、俺はその不義の子でね。実の親父のことはこの歳までとうとう知らねえんだ。そんなわけで、福吉楼の楼主の大阿久政芳親父が、まあ俺の父親代わりだったな。角刈り着流しで背中一面倶梨伽羅紋々のいなせな男ぶりでね」

 よくもまあ、あっけらかんと話すなあと感心しながら聞いていた。

 まあ信用してくれているわけで、医者としては誇るに足ることかもしれない。

「お袋は吉原の芸者だから、子供のころは親が仕事に行くときは、北浅草あたりの親戚の家に預けられてさ。それで飯を食わしてもらうんだけど、いつも小さな器に一杯盛りと味噌汁と沢庵だけ。育ち盛りがそれっぱかりじゃ腹が減ってしょうがねえってんで、よく母親の勤める伎楼へ行っては、裏口から入って賄いで食わせてもらってたよ」

 貞一郎は昔を懐かしむような口調で話した。

「お袋は、今はこんなよいよいになっちまったが、若いときは一世風靡した売れっ子芸者だった。昔は福吉楼の美千代姐さんったら、吉原から竜泉界隈じゃ知らぬものはない、助六に出てくる揚巻花魁みたいなものだったさ」

 私は改めて美千代の顔を見た。少し頬のこけた剣の立った顔だが、鼻筋が通り、やや吊り気味の大きな目の、きれいな顔立ちをしている。今でこそしわくちゃお婆さんだが、かつては美形の花魁だったのだろう。

「芸者の歌や踊りなんて知れたもので、出世は早い。器量が良くてちょっと頭が働けばたちまち出世で、二八歳くらいで『上がり』。遣り手婆に様変わりだ」

 どこか世をすねたようで斜に構えているが、裁けた調子の貞一郎の話は聞いていて飽きないもので、私は思わずその話しっぷりに引き込まれていた。

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