第2章 語り手 星野雄一

第20話 鷲(おおとり)神社

 鷲神社の鳥居を潜ると大きな箱が置いてあり、中に古い熊手が沢山放り込まれている。私は藤吉佐和子とその娘の恵美と共に、去年買った熊手を箱に放り込んで手を合わせた。

 この歳、一九九十年も年が押し詰まってきた。十一月の中旬、風が肌寒くなってきた中で、竜泉の鷲神社で酉の市が開かれている。毎年その年の熊手を収め、来る年の商売繁盛を願って新たに熊手を買う人々で賑わう。

 酉の市の二の市が始まったと聞いて、佐和子が提案した。

「熊手を病院中に飾ったらどうかしら。下町の医療を支える病院には相応しいでしょ」

 すると恵美が答えた。

「商売繁盛の熊手なんか病院中に飾ったら、がめつい悪徳病院みたいでよくないよ」

 二人とも譲らないので、それでは人を呼び込む意味で、玄関と院長室に飾り、後はそれぞれ自分の家用に買おうと私が提案した。経営者の意見であれば文句ないようで、三人意見一致して歩いて十分ほどの鷲神社に出かけてきたのである。

 参道から奥の鷲神社の本堂に向かって歩くと、参道には数列に並んだ参拝客が鳥居の外までまっすぐに並んでいる。その両側にはぎっしりと出店が並んで色々な熊手が飾られ、半被姿の男たちが参道を行く客たちに呼び込みをかけていた。

 縁起物の熊手は、かつては柄の長い実用品の熊手におかめの面をつけたものや、宝船や御所車といったものが主流だったが、現在は人気アニメのキャラクターを取り入れたものなど、多種多様だ。

 長蛇の列を成す本堂のお参りを済ませた後、私たちは、どこかに通院患者の武山雅夫の姿が見えやしないかと数多ある出店を見回した。雅夫が鳥居に近い方のどこかの店で売り子を手伝っていると聞いていたからである。

 果たして境内を歩いていると間もなく、隅の方の店から聞きなれた大きな声が聞こえ、客を呼び込んでいる半被姿の雅夫の姿が見つかった。私たちが近づいて行くと、雅夫は目敏くこちらを見つけ、いつものおどけた調子で声をかけてきた。

「おや、院長先生、もういらした、看護部長さんも。へっへっへ」

 白髪を黒々と染めた雅夫は伊達男風で、六十を過ぎた肝臓病患者とはとても思えない。

 私は熊手の品定めをして、院長室に飾るために古典的な太夫の柄の熊手を買った。

あとは佐和子や恵美と相談しながら、玄関にはどれ、待合室にはどれと決めて行った。雅夫はいかにも商売人らしく、揉み手で「ありがとうござい」を繰り返している。

 佐和子は熊手を買った勢いで、雅夫の隣にいるテキ屋風の親爺と掛け合いをした挙句、駄菓子などの小物を巡ってじゃんけんで勝ち負けになった。

 じゃんけんぽんで最初は負けたが、「あんた今の後出しでしょ」などと言いつつ、再戦に持ち込み、その次は勝って、子供向きの駄菓子の小物を沢山せしめた。

 群馬出身とはいえ、今ではすっかり東京下町の間合いに馴染んだ下町気質の彼女ならではだ。その手際に私は舌を巻いた。テキ屋の親爺もあんたにゃかなわんといった風で、「持ってけ、ドロボー」と気前よく小物をくれる。

 雅夫は肝臓の炎症を抑える注射を受けに週二回通院している。自分の病状についてあれやこれやと私と話を交したが、ふと何か見つけたらしく、目つきが急に険悪になった。

「ほら、あそこにマザコン野郎がいらあ」

 そちらを見ると、少し離れたところに、この頃病院でしばしば顔を合わせる高橋貞一郎がいた。山谷の安アパートから毎日のように面会に通ってくるので、私も彼の顔をよく知っていた。やせた小男で、山谷界隈の多くの人間と同じく、苦労しているせいで実際の年齢より著しく老けて見えるが、まだ五十を越したばかりだ。顔色が悪く、顔のしわは深く、眼光のみ炯々としている。

 人の噂話が三度の飯より好きな雅夫は、にやにやしながら、貞一郎の噂話を始めた。

「あいつの母親は元女郎で、あいつ自身はあれで元はボクサーなんだ」

 貞一郎は雅夫と私らに気付いたようだったが、自分について話をしている気配を感じたのか、顔を背けると、ついと人混みの中を向こうの方へ行ってしまった。


 私、星野雄一は泪橋にある鳳病院で院長を務める外科医師で、四十一歳、独身だ。

この業界で歳を取ってない、ましてや独身なるものはどうしても人生経験に欠ける面があって仕事をこなす上で不利である。病床数が百床の小さな病院で、厚生労働省から経営面で不利な扱いをされることもしばしばだ。

 まだこんな歳で院長を務めるはずはなかったのだが、昨年、創業者にして理事長兼院長だった父が心筋梗塞を起こして世を去った。気の弱い私はすっかりしょげてしまい、早々に病院の売却を考えたが、母は父の死を受け入れ、前向きに現実と向かい合った。

 医師でなくても病院経営者の一族であれば、理事長になれた時代のことで、母が理事長に就任した。さらに、母の指令の元、臨床、運営の指揮を執ったのが、看護部長の藤吉佐和子だった。私は気丈な母と佐和子に尻を叩かれたような形で、望まず、自信もないにかかわらず、病院長を襲名することになった。

 佐和子は新人看護婦時代から鳳病院に勤めてきて、二十五年、今年五五歳になる。すっかり古参看護婦となり、看護部長として臨床に、病院運営に腕を揮っている。数年前からは娘の恵美も母と同じく鳳病院に就職し、早くも中堅どころとして病院になくてはならない存在となっていた。

 私は昨年、父が突然に亡くなる少し前だったが、両親から金を借り、南千住にある実家を出て、荒川の土手下に家を建てて住むようになった。

「前の旦那が隣に住んでいるんだけれど、先生ももう家庭を持つ歳、お子さんを育てることまで考えたら、自然が豊かで打ってつけよ」という佐和子のすすめで、売りに出ていたその土地を見に行った。荒川の土手下の土地だが、雄大な河川敷の風景は地元の人たちにこよなく愛され、老若男女の憩いの場である。

 すっかり気に入った私は、ここに住みたいと思い、早速土地を買うことにした。

 私の新居の区画には家が二軒しかなかったが、そのもう一軒が浪川家だった。シェパードを二匹飼っている家で、見るからに強面の五十がらみの主人が浪川勇、優しい感じの美貌の奥さんが美千代夫人だった。私が日曜大工で自前の庭園作りを始めたところ、隣家の主人は毎回やってきて手伝ってくれた。

 庭といっても、道路との間の僅かな土の部分なのだが、そこに大きな石や瓦礫がまだ庭に埋まっていた。以前工場だった土地で、いわゆるガラが土の下に沢山埋まっていたのだ。これを撤去するのが一苦労で、私が鍬を振るっていると、勇は早速自分の家から工事道具を持ってきて、これで掘れと言って貸してくれた。

 鶴嘴で大きな瓦礫を掘り起こしたところ、勇は自分が経営する運送会社の若い衆を動員して、地表に出てきた数多の石や瓦礫を全部トラックに乗せて撤去してくれた。こういう廃棄処分には意外に金がかかるので、彼の心遣いは全く有難いことだった。

また、雑草が生えてくると、早朝からわざわざ家の庭の草取りをしてくれるので、私は恐縮するばかりだった。


 付き合いが長くなるうちに、勇は何でもざっくばらんに話すようになった。

 彼が送ってきた人生の話、軍隊入隊と出征の話、ボクサーとなってデビュー戦で美千代の息子高橋貞一郎と対戦した話、美千代、佐和子との馴れ初めの話など、興味深い話ばかりだった。大変感銘を受けた私は、この人の人生を記録に残そうと思った。

ところが生憎、私が勇から話を聞くようになった頃と相前後して、美千代夫人がくも膜下出血を起こしてしまった。上野にある大病院に入院し、その後容態が落ち着いたところで、最近鳳病院に再紹介されて転院してきたところだった。

 転院当初は夫の浪川勇が連日のように見舞いに来ては美千代の世話を焼いていたが、間もなく息子の高橋貞一郎が、勇と入れ替わったように見舞いにやってくるようになった。上野の病院では勇が見舞いに通い、貞一郎は美千代の入院を知らされておらず、見舞いには来なかったそうだ。

 貞一郎は傷害罪で刑務所に入っていたそうだが、出所してから、傷害を起こした当の相手の勇の世話で色々な仕事に就いた。だがどこでもとかくトラブルを起こしがちで長続きしなかった。そのため、勇は貞一郎が来ないことにむしろ安堵を感じていたらしい。

 ところが世間の口に戸は閉てられないもので、貞一郎は風の便りを聞いて美千代の見舞いに鳳病院へやって来た。それ以来、貞一郎が連日母親の見舞いに訪れることになった。実の息子の気持ちを思い遣ってか、勇は美千代の見舞いを貞一郎に任せるようになった。勇が追い出されたような格好といえようか。

 私は、勇のためにも、自分が美千代の診療に力を入れてやろうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る