第9話 ガードマン

 そんなとき、思いがけない話が飛び込んできたことから、俺のボクサーとしての経歴は突然終わることになった。ボクシングのプロモーターの権藤という人物から、代議士のガードマンをやってみないかと誘われ、その申し出を引き受けたのだ。

 権藤さんはある日千住の猪瀬ジムを訪ねてきて、代議士の身辺警護の仕事をしている者だと名乗り、体を張って国政を守る仕事をしてみないかと俺に持ちかけた。

 どこで調べたか、俺の経歴をよく知っていて、「特攻隊に志願してお国のために散る気概を持っている君に惚れているんだ」と言った。発足して三年になる衆議院の原川議長のガードマンにならないかと打診された。

 権藤さんは貞一郎との俺の試合も観戦していたし、どこで見ていたか、荒川土手や河川敷でシャドーボクシングをしているところを写真に撮ったりしていたようだ。

 ボクサーとしての将来を投げうって、議長の身辺警護につくのは大いにやりがいのある仕事だという。

 報酬は吃驚するような額で、提示された月給は新米ボクサーが得られる金とは桁が違っていた。ファイトマネーとして試合のときのみ金が入るのと違い、高給の定収を得られるという話はこの時代、何より魅力的だった。

 議長のガードマンなんて仕事、俺なんかでいいのかと半信半疑で話を聞くうちに、具体的な転向話はとんとん拍子で進んで行った。

 デビューの頃は、ボクサーとして精進を続ければ、あるいはチャンピオン・ベルトを締められるかもしれないと自分も思い、周囲もそう期待した。だがボクサーとしての狡さや駆け引きの上手さが欠けている俺に、先は見えている気がした。

 そこで俺は決意を固めた。一度心を決めると行動が早いのはいつものことだ。

 俺は猪瀬に打ち明けた。

「俺は特攻や南方戦線で死ぬはずだった命を、九死に一生を得て生き永らえた。国の神様が守ってくれたんだと思ってる。議会の議長を護衛をする仕事は、軍国少年だった俺としちゃ、天命だと思うんだよ」

 猪瀬は同期の桜を裏切るのかと未練たっぷりだったが、サムはあっさりと理解してくれ、猪瀬もサムに説得されて渋々折れた。かくして俺は権藤さんに先を託して、ガードマン稼業に転向することになった。

 国鉄をやめるわけだから官舎は出なきゃならねえが、俺が荒川の土手下に住み続けたいと言ったら、権藤さんが不動産屋を紹介してくれて、家付きの格好の土地に住めることになった。六十坪の土地で、三方道路、言うことのない家だったよ。


 当時の日本は米国の統治下に新たな議会政治が始められていたが、いつになったら世の中が落ち着くのか、誰も分らなかった。代議士たちは、殺伐とした風潮が続く中で自らの身の安全を守るために、屈強のガードマンを雇って身の回りの警護に当たらせていた。

 政治家に対するテロ事件が起こるのは珍しくなかった。一九六〇年、社会党の浅沼稲次郎書記長が日比谷公会堂で演説しているとき、右翼少年山口乙矢が匕首で襲って刺殺した事件が世間の耳目をにぎわせたことは知っているだろう。

 原川衆議院議長の護衛を奉った俺は、警察学校へ通い、各種格闘技、護身術を学んだ。柔道は予科練で鍛えられて黒帯だったが、空手にも磨きをかけた。

 一方で警察犬の調教について学び、警察学校でよく調教されたシェパードを二頭飼い、太郎、次郎と名付けた。原川さんが外出する時、俺はサングラスをかけ、シェパードの手綱を握って必ずお供をした。

 太郎は俺が初めて仕込んだ警察犬だ。ちょっとどじでお調子乗りだが、一途で可愛い奴だ。次郎は対照的に落ち着いていて、軽はずみな攻撃はしないが、いざという時は一度噛みつくとブルドッグのように離さない。

 警察犬にもいろいろ種類があるが、俺はやはりシェパードが好きだ、他の犬より愛情が多くてなつっこいと思う。性分が俺に似てるんだよな。太郎と次郎は主人の俺を守り、身代わりになって死にもする、最も信頼に足る同志だったよ。

 俺は二年ほどの間、衆議院議長のガードマンを務めたが、さらに権藤さんの紹介で荻原みち子という新進女性議員の護衛に付くことになった。

 俺は二六歳になっていた。


 当時は、女性の参政権が認められてからまだ数年しか経たない頃だった。

 大正末期の一九二五年に、日本で初めて普通選挙が実現致したとき、参政権が与えられたのは男だけだった。だが一九四五年、幣原喜重郎内閣で婦人参政権が閣議決定され、翌年の衆議院選挙ではじめて三九人の女性議員が誕生した。

 荻原みち子の政治目標は赤線防止法案を通すことで、連日のように演説に出かけていた。場所は、戦後の闇市だらけだった新橋駅前とか、両国の蔵前国技館前とか、浅草寺裏の空き地とかだ。

 俺は代議士のみち子先生をいつもねえさんと呼んでいたが、ねえさんは常に熱血演説だ。もっとも政治家はそれじゃねえと務まらねえが。

「青鞜者を結成して婦人参政権獲得を目指した平塚雷鳥先生は、『原始、女性は実に太陽であった』と謳われました。その言葉の通り、市川房江先生をはじめとする先駆者の先生方の御尽力により、女性参政権という大きな実りが今ここにもたらされました」

 ねえさんの演説を聞きながら、俺は護衛犬の引き手を持って周囲に目を光らせた。

「わが国の民主主義は、戦前の大日本帝国憲法に代わり米国占領下に定められた日本国憲法の下に、米国主導で始められたものです。主権在民の民主主義こそは、女性参政権の基盤となる理念です。わが国の民主主義はまだよちよち歩きの赤ん坊であります。これを私たちが全員で守り育てて行かなければならないことは言うまでもありません」

 正直、出征して米国と戦った俺は、連中のお題目の民主主義ってやつがあまり好きでない。どうも口先上手な奴らが人を騙くらかすために考え出した主義みてえな気がする。

 だがいつでもねえさんを命がけで守ろうって心がけでいたから俺は信頼されていた。太郎と次郎を連れて、上下黒のスーツにサングラス姿で演壇のすぐ横に張っていた。

 浅草公会堂での演説はなぜか特に気が入るようだった。婦人参政権獲得の成果について語って大きな拍手を浴び、主題目である売春防止法案について語り始めた。

「わが国には遥か昔から公娼制度というものが存在してまいりました。古くは日本橋人形町の元吉原、また、長崎の丸山遊郭や京都の島原遊郭、大阪の新町遊郭、江戸では明暦の大火の後、浅草日本堤に移転してできた新吉原、深川の洲崎に向島の玉の井といったところでしょうか。名を聞くだけで気もそぞろになる殿方たちもおられるでしょうし、女性でもこういう世界を描いた小説や舞台に馴染んだ方もいらっしゃるでしょう」

 男女の支援者たちの応援の声が響いた。聴衆者は男性が三割くらいで、残りは女性によって占められていた。

「でも皆さん、こうした世界は、現実には日本女性の悲惨な犠牲の上に成り立ってきた、決して存在を許されざるべき世界でした。売春は人として、女性としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の良俗を乱すものです。日本女性の、いや、世界の女性の長年にわたる被差別や屈従の歴史は、この人類史からなかなか消すことのできない売春という悪習に基づいていることに異論はないところです」

 聴衆席の女性から盛大な拍手が沸き起こった。さくらとして聴衆に混じっている男たちも野太い声で気合をかけた。

 演説を聞きながら、俺は複雑な気持ちだった。というのは、俺の家から歩いて五分くらいの場所に赤線街があったからだ。国鉄に勤めていた頃は、ボクシングの練習後に猪瀬と連れ立って赤線に行って、若い血を発散させていた。

 ボクシングってのは遊び根性でいたらとても這い上がって行けないような、ストイックな厳しい世界だ。しかしジムは千住柳町の遊郭前にあったんで、若い俺にとっちゃ、遊びに行くなというのが無理だった。ガードマンになって金回りがよくなると、勢い遊郭通いの回数も増えた。

 そんな俺だから、どうも姐さんの演説は聞き心地が悪い。いつも遊郭街にお世話になってる身としちゃ、有難かねえな。ねえさん、お手柔らかに頼むぜ、あまり手厳しいと、テロリストが襲ってきたら、ねえさんじゃなくてテロリストを助けちまうかもしれねえぞ。

 だが人の気も知らず、ねえさんの売春防止法まっしぐらは熱が上がるばかりだった。

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