第27話 腎臓手術
私が高橋貞一郎の襲撃事件について知ったのは、星野病院の院長外来で患者を診ている時だった。浪川勇から病院に電話がかかり、是非とも貞一郎を診てくれるように頼まれたのだ。状況を訊いた私はすぐに救急車を呼ぶように言った。本来なら管轄外だが、馴染みの泪橋救急隊の佐々木隊長に頼めばすぐに飛んで行ってくれるだろう。
だが勇にそのような考えはなさそうだった。
「そっちから救急車呼んでたんじゃ、間に合わねえ。今からすぐ俺が車で運んでいく。ワンボックスカーの後ろを平らにして、そこにベッドを作って運ぶから、先生、待っていてくれよ」
「分った。待ってる」
勇の一本気な頼みに、私はそれ以外の答えを持ち合わせなかった。
星野病院で対応できるかどうか、正直、十分自信があるわけではなかった。今どきまずは経腎動脈的に血管塞栓術を行うところだろうが、経験や技術に差があるので、由一としてはよくなれている腎臓切除のほうが手堅い治療法だった。
脳外科などの三次救急が必要であれば、私が救急車に乗って、然るべき病院へ運ぼうと思った。もし傷害部位が右腰に限られているのであれば、私の力、技術でも何とかなり得よう。
私はなるべく貞一郎の頭を低くして、足を持ち上げるようにして運んでくれと頼んだ。
勇は、「警察と一緒に、すぐ行くから」と言って電話を切った。
十分ほどして、私とさつきが待ち受ける救急外来に貞一郎が運ばれてきた。私は勇と五月と協力して貞一郎をストレッチャーに乗せた。
「高橋さん、高橋さん!」
私は大きな声で貞一郎を呼んだが、貞一郎は朦朧とした表情をしており、視線も定まらない。顔色や眼瞼結膜の色から、一目で酷い貧血に陥っているのがわかった。血圧も低下しており、脈拍は毎分一五〇回の高値を示している。
勇からどんな状況だったか話を聞く限り、右の腎臓破裂に違いなく、即座に手術しなければ命に関わる状態と思われた。
顔面や体幹は痣だらけで、特に右腰は肋骨の下の方が折られていて、皮下に大きな血腫ができている。早速画像検査を行ったが、CTで明瞭な腎臓の損傷が疑われた。尿道カテーテルを挿入して採尿したところ、尿は真っ赤だった。
私は、初めて外来で貞一郎の診察をしたとき、残りの一つの腎臓はよくよく大切にするように言ったことを思い出した。しかし、今そんなことを考えても始まらない。
貞一郎の名をもう一度、大きな声で呼ぶと、私のほうを見て、笑顔を作った。まだ笑顔を作る気力がある。だが、手術承諾書にサインできる状況ではなかった。
血縁はこの病院に入院している母の美千代のみで、意識障害があって息子の治療について説明しても理解できない。この状況では、日本赤十字に輸血のオーダーをし、すぐ準備を整えて手術するのみだ。
「高橋さん、これから手術をするよ。分るね」
私が大きな声で声をかけると、貞一郎は頷いた。私はいつも手術の手伝いに来てくれる大学の後輩の工藤洋介に連絡し、すぐ来てもらうことになった。
私が気管内挿管を行って全身麻酔をかけ、さつきが器械出し、看護部長の佐和子が私の指示を受けながら麻酔の管理を行うよう、手配した。
右の鎖骨下静脈に中心静脈ルートを確保して、輸血や濃い栄養点滴ができるようにする。
点滴を急速に行い、昇圧剤も加えながら、患者の全身状態をコントロールすると、ようやく血圧が上がってきた。
患者を手術室に運び込み、手術台の上に乗せた。
「これから全身麻酔をかけるよ、分るか?」
貞一郎は意識が混濁しているらしく、目を半分閉じた状態で頷いた。
私は貞一郎に静脈麻酔薬を注射し、マスクを当てて酸素を吹き込み、気管内挿管チューブを挿入した。入ったことを確認すると、吸入麻酔薬と酸素の混合麻酔に切り替える。
手術の体位は左腰を下にし、右腰の下に枕を入れて斜めに右側が上がるようにした。皮膚切開は右の肋骨弓の下縁にそって腹側から背側にかけて大きく切るつもりだ。
手洗いをして手術着を着る間、さあやるぞと気合が入る。
その頃、洋介が大学からやってきて手術室に飛び込んできた。大変早い到着だったが、「すみません、遅くなって」と恐縮している。
私を執刀医、洋介を手術助手として手術の準備が整った。私は患者の右側に立った。
「よろしくお願いします」と手術開始の挨拶をすると、手術室内の人間全員が「よろしくお願いします」と応じた。
まず右脇腹の皮膚を肋骨の一番下に沿って切開したところ、右の肋骨下端が折れて、腎臓に刺さったらしいことが分った。
皮下の血の塊を除いて開腹すると、左側の腹腔内が赤黒い血の海になっている。私は凝固した血液を除き、新たに腎臓から噴出してくる鮮血を吸引しながら、左の腎臓を捜した。それが血の固まりの下にあり、腎門部で臓器が裂けている。
これは出血部を縫合閉鎖して腎臓を残せる状態ではない。残したところでこの腎臓はもう機能しないだろう。右の腎臓は切除するよりほかはない。そうしなければ出血で命が危険だ。
かつて私の父が切除した左の腎臓に次いで、今度は私が右の腎臓を切除しなければならないのは運命の皮肉だが、迷っている時間はなかった。
「橘先生、腎門部の出血をガーゼで圧迫して押さえてくれ」
洋介は数枚のガーゼで腎門部を圧迫し、それ以上の出血を抑えた。
腎臓切除をする際に何より重要なことは、出血をコントロールするために、腎臓の下に自分の左手が入るようにスペースを作ることである。
上からガーゼで圧迫止血していると術野が見えないので、剥離、縫合がしにくく、いつまでも堂々巡りになってしまう。手をこまねいているうちに腎静脈に続く下大静脈が裂けでもしたら、血が湧いてきて腎臓周囲が血の海になる。
そうなると先が見えなくなり、絶望的な状況になってしまうから、それだけは避けなければならない。だから後腹膜の下に埋まった状態になっている腎臓を剥離するために、慎重な捜査が重要だ。
後腹膜を腎臓の裏側で剥離すると、容易に腎臓全体が術者の左手の中に入るようになる。
すると、腎臓の太い動静脈も手の内に入り、背側から腹側へ押し上げられるようになるので、腎臓の出血を抑えるすることができる。
手が下に入り、術野を上から見ることができるので、たとえ腎静脈が裂けて大量出血していても、左手の指で微妙に持ち上げてコントロールしながら針糸で縫合閉鎖したり、腎臓摘出したりできるようになる。
右の腎臓の裏側を剥離した上で、私は左手の指を閉じ、かつ平らにして、用心深くその部分に差し入れた。指を腎臓に沿って這わせながら、さらに奥へ手で剥離を進める。後腹膜から直接腎臓に流入する血管はほとんどないから、用手的剥離でも新たに出血することはない。
折れた肋骨を腎臓から外し、腎動脈、腎静脈の順を、それぞれ大動脈、大静脈の分岐部で丁寧に結んで閉め、その腎臓側を切離した。これを結紮切離という。
私はここまで到達し、ほうっと安心の大きな息をついた。洋介も同様の様子だ。
これで腎臓への決行は遮断され、出血の危険性はなくなった。
残るは尿管である。これも下方へ剥離して膀胱への流入部を露出し、結紮切離した。
この頃漸く日赤から送られた輸血の交差試験が終わり、問題ないとのことで輸血が始まった。何とか失血をカバーできそうだ。患者の血圧も安定しており、どうやら命を救うことができたようだった。
腹腔内を温めた生理食塩水で洗浄する頃には、私と洋介の会話は重苦しさがなくなって快活になり、器械出しのさつきに軽口をかける余裕も出てきて、手術室は明るい雰囲気になってきた。漸く手術が終わりに近づいてきた。
腹膜を縫合し、その上の筋層、皮膚も順に縫い合わせて、「どうもありがとうございました」の挨拶で手術は終わった。
手袋を外し、手術着を脱ぐと漸く人心地がついた気がする。
だが、今回の場合、これで問題は終わりではない。両方の腎臓を失った貞一郎はこれから生きるために、血液透析を行わなければならない。
しかし幸いなことに、かつて貞一郎が左の腎臓を失った頃と較べ、血液透析の器機、治療方法は著しく進歩し、腎不全患者の治療法としてスタンダードになっている。
今日から早速にも透析を始めるべきだ。私は洋介に、右鼠径部の大腿静脈に透析用の二穴カテーテルを挿入してくれるよう頼んだ。
術後何日かは気管内挿管したまま人工呼吸器管理をして経過を診たほうがよさそうだ。
輸血は手術翌日までで終わらせたが、人工呼吸器は手術の翌々日には外すことができた。
しかし、透析は今後ずっと行わなければならない。
意識を回復した貞一郎は、落ち着いた表情をしていた。私を見て、疲れた笑顔を向けた。
何も言わなかったが、握りこぶしを作って親指を立てた。まだ声を出す元気がないらしい。私は彼の肩に手を添えて言った。
「これからはずっと透析しなきゃいけないから大変だけれど、あんたなら大丈夫だ。さすがは吉原の生まれ育ちだ。吉原七福神が救ってくれたのかな」
吉原七福神は、浅草七福神ともいわれ、浅草寺、浅草神社、待乳山聖天、今戸神社、橋場不動尊、石浜神社、吉原神社、鷲神社、矢崎稲荷神社の九か所の寺社を称した呼び名だ。それぞれ奉ずる神様がいるが、福禄寿と寿老人は二か所ずつあるので計九か所である。
「治ったら、吉原神社の弁財天様にお参りしてきますよ」
貞一郎はぼそぼそと言葉を返した。
数日後、私が外来診察をしていると、吉原福吉楼の姐さんの青山博子がやってきた。
「差し出がましいとは思いますが」と前置きして、彼女が話したところによると、石和はある病院に運ばれたが、頸椎損傷を起こしており、脳死状態になったということだった。
武山雅夫は傷害扶助罪で警察に拘留されたという。
ところが、武山雅夫はまだ諦めず、拘置所から指示を出して、貞一郎に復讐しようと手下に探し回らせているそうだ。
こんなにどこまでもしつこく、諦めないところが、やくざのやくざたるところなのかもしれない。
「この上迷惑をおかけしてもいけないのでお伝えにきました」ということだった。
私は感謝を博子に伝え、手元にあった患者家族からの差し入れを彼女に与えて帰らせた。
病院に入院していれば基本的には安全なはずだが、雅夫が捜しまわっている以上、この地域では貞一郎の身柄は必ずしも安全とは言えない。
千住のアパートにしても、どういう手段を使ったか知らないが、早々に捜し出した雅夫のことだ。星野病院に貞一郎が入院していることなど、たとえ隠しても容易に分ってしまうだろう。
病院を襲いに来ないとも限らないから、貞一郎が星野病院に入院している間は警察についていてもらうほうがいいかもしれない。
病院スタッフと、都の福祉課の山本担当員とで相談した結果、福祉課に頼んで、貞一郎をどこか遠い場所に転院できるよう手配してもらうことになった。
本当は母子の強い絆でお互いが支えられている美千代と貞一郎を、二人とも星野病院で診てやりたいのは山々だったが、何と言っても安全第一だ。それについて私は貞一郎に状況を説明した。
「また安全な状況に落ち着いたら、あなたのことは必ず星野病院で引き取るから」
「先生、きっとまた、よろしくお願いします」
貞一郎は納得した表情だった。
腎臓切除の大手術後だし、両腎がなくて隔日の血液透析治療を行う状況だから、救急車による移動も細心の注意を要する。そこで、手術後二週間の五月後半に他の病院へ転送することになった。
転院の日、貞一郎はいつもの斜めに人を見上げるような物腰で私に尋ねた。
「母に挨拶していきたいんですが、よろしいでしょうか」
「勿論です」
貞一郎は車いすを押してもらってエレベーターで三階へ行き、畳部屋の前で車いすから降りた。手術後二週間が経って、何とか歩けるようになった貞一郎は、支えられながらそろそろと美千代の布団まで歩いていき、母の枕元にひざまずき、その手を取った。
貞一郎はしばらくの間、母の手を両手で握っていた。俯き、肩を震わせている。
「母さん、本当にありがとう」
切れ切れに言葉を絞り出すと、美千代はもう片方の手を貞一郎の手に重ねた。
私を始め、病院スタッフは、思わず貰い泣きをしていた。
抜けるような五月晴れのその日、貞一郎は救急車でどこかの土地に転院して行っ た。
彼を追う連中の手がかりになるといけないとのことで、転居先転院先については、区からは星野病院にさえ具体的には知らされなかった。
だから私は貞一郎の転院先を知らない。
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