第25話 美千代の手術
次の月曜日の朝、私が病院へ行くと、高橋美千代の病状に異変が起こっていた。
その日、二階病棟のナースステーションでは丁度当直看護師の申し送りが始まろうとしていた。看護師たちは立って申し送りを聞いており、私はその輪のさらに外側に立った。
当直看護師の申し送りによると、美千代が昨夜から腹部を痛がっているという。普段は痛みを訴えたりしないし、問いかけても答えないので悪いところがあっても分りにくい。
ところが、昨日から彼女はお腹をさすっては、あーあーと言ったり、呂律の回らない声で何やら訴える様子で、今朝はそれがさらに頻繁だということだった。
私はその日、真っ先に美千代の診察に行った。
畳に座って、「高橋さん、少しお腹を触るよ」と断り、美千代のお腹の触診をした。
上腹部が張っており、下腹部の方は圧しても反応しないが、上腹部やや右寄りを軽く圧すと痛がり、少し押し込むと、美千代はびくんと跳ねるようにした。血圧が下がり、かつ心拍数は一二〇程度に上昇している。
くも膜下出血の後遺症で反応が鈍い筈だが、その割に十分に強い反応である。
腹膜炎を起こしているようであり、消化管の穿孔を起こしている可能性がある。
そこで放射線検査室へ運び、座位にしてレントゲン写真を撮ったところ、腹膜の下に、細くはあるが、ガス像がくっきりと認められた。消化管に孔があいて内部のガスが腹腔に漏れ出ていることを示しており、潰瘍の穿孔に間違いない。
潰瘍の穿孔を起こした場合、かつては緊急手術で胃と十二指腸を切除したが、最近は、抗潰瘍剤が著しく進歩したために、単に穿孔部を縫い閉じるか、大網という周囲の脂肪組織を穿孔部に詰めて塞ぐ手術が多い。
抗潰瘍剤の点滴だけで穴が塞がり、手術せずに治療できる場合もある。
しかし、その日の美千代の様子は症状が強く、白血球も炎症反応タンパクも高い値を示していた。高齢でもあるから、放っておけば腹膜炎が進行して、命を失う可能性が高い。そこで私は貞一郎に電話して呼び寄せた。
美千代の病状について説明し、何か特別な差し入れでもしたか、または最近何かストレスがかかるようなことがなかったかと質問したところ、貞一郎は、最近武山雅夫といざこざになっていることを美千代に話したということだった。
美千代には分らないだろうと思い、自分の気持ちを整理するために、いわば母の前で、自分に話しかけるように話したという。ところが美千代は、視線は定まらないながら、苦しげな表情をして溜息をつき、一筋の涙を流したそうだ。
自分が病院に入院している間に、息子が福吉楼を乗っ取った相手によって苦境に落とされているのを心配しているのだろうか。意識があるかないか微妙なレベルのように見えるが、大切な息子のことなら十分に感じ、考える力が残っているのかもしれない。
済んだはずの話をこじらせて息子が危機に陥っているのを理解して、母は心を痛めたのだろう。福吉楼をみすみす乗っ取られたことは、くも膜下出血になってもなお覚えている深い悔恨の経験だったのだろう。
心痛、ストレスのあまり、胃か十二指腸の潰瘍を起こし、穿孔してしまったようだ。
「薬を点滴して潰瘍の穴が閉じるのを待つか、手術するかですが、今日の美千代さんのご様子では手術が必要だと思います。その場合、この病院で手術するか、他の病院へ転送するかです」
私が説明する間、貞一郎は、いつものように斜視気味に上目遣いに私を見ながらきいていた。
それから下を向いてじっと考え込んでいたが、やがて顔を上げると、「この病院で、先生に手術してもらうわけには行くまいか」と媚びるような目つきできいた。
私は考えられるリスクを全て話し、悲観的見込みが高いことを強調した。
「先生、それならそれでいいよ。俺も先代院長にこの病院で手術して救ってもらったし、俺たち親子はここで長くお世話になってきた。お袋もくも膜下出血であんなだし、どうせだめな命なら、最後はせめて先生に診てもらいてえ」
貞一郎の訴えかけるような眼差しに、私は拒みがたいものを感じた。
「分りました。では美千代さんの手術をしましょう、大学病院から助手を呼びます」
手術承諾書にサインしてもらうと、私は緊急手術のために着替えて一階の手術室に入った。私は非常勤として週一回星野病院の診察に来てくれる若手外科医師の橘洋介に電話した。洋介は大学の後輩で、かくかくしかじかと頼んだところ、大学での仕事を同僚に任せて手伝いに飛んできてくれるそうだった。実際、二十分後には飛んでやってきてくれた。
貞一郎は手術室の前で、なおも真剣な眼差しで言った。
「できれば、お袋を助けてやってください。唯一の身内なんです」
「わかりました。できるだけのことをします」
高橋美千代は既に手術台に上に寝かされ、末梢の点滴ラインや尿道カテーテルが挿入されていた。私は早速気管内挿管を行うために美千代の頭の上側に回り、声をかけた。
「高橋さん、これから麻酔をしますよ。すぐ気持ちよくなって眠くなりますからね」
こうして声をかけると自分自身が落ち着くことができる。私は全身麻酔をかける手技、特に気管内挿管が好きだった。左脇と肘を締めて左手の頭鏡を持ち上げると、声門が見える。この瞬間が気管内挿管手技の醍醐味である。
大学病院の病棟で患者が呼吸不全に陥ったりすると、医者が多数駆けつけて来るが、そんなときは私も一緒にかけつけて、ひょっとすると自分にお鉢が回ってこないかと期待して先輩医師の横に立っていたものだった。
私は、左手で美千代の鼻と口をカバーする吸入マスクを固定し、右手でレスピレーターのバッグを押して酸素と笑気ガスを送った。筋弛緩薬によって十分に声門が開いていることを確認すると、素早く気管内チューブを挿管して固定した。
静脈麻酔薬を注射し、適正な呼吸量と呼吸回数を設定すると、手術の準備OKだ。
手術衣を着、手術用手袋をつけて、執刀医として患者の右側に立ち、左側に手術助手を務める橘洋介が立った。
「よろしくお願いします」
私の声に洋介と周囲が応じ、私は美千代の上腹部正中線に沿ってメスを入れた。
腹膜を切開して腹腔に入り、これを調べると、真正面の濃いピンク色の壁に径一センチ弱のきれいに穴のあいた胃が見えた。胃潰瘍穿孔だった。
周囲組織は漿膜が削れて白い漿膜下層が見え、著しく浮腫状になっている。まだ穿孔して時間がたっておらず、周囲組織がしっかりしていれば、穿孔部を縫い閉じることができる。そこで私が縫合閉鎖を試みたところ、胃の壁の組織が結紮糸によってグズグズと切れてしまい、その結果、穿孔部はさらに拡がった。
認知症の進んだ高齢者や、路上生活者の患者にしばしばあることだが、痛みの感覚に強く、発症してから時間が経っていることがある。美千代も胃壁が消化液に洗われ、さらに感染が重なって脆弱になっているのだった。
そこで私は大網充填術に方針を変えることにした。それは胃の周囲についている大網と呼ばれる栄養膜の一部を使って孔に詰め物をするように塞ぐ方法である。
穿孔部を大網で塞ぎ、さらに針糸で胃に固定し、何とか無事手術を終えた。この状態で経過観察すると、消化液の漏れがなくなり、感染が治まるにつれ、胃壁は強度を回復し、穿孔部は縮んで塞がるのである。
手術が終わってから、血圧は一一〇程度に落ち着き、心拍数も七十ほどになった。とりあえず腹膜炎によるショック症状からは脱出したようだ。
その後の美千代の経過は、悪いことは何事も起こらずに過ぎ、彼女は一命を取り留めた。
「先生、どうもありがとうございました。これで安心して年を越せます」
貞一郎にも感謝され、私は外科の医者として貞一郎と美千代母子の役に立ててよかったと思った。
ところが、案に諮らんや、武山雅夫との喧嘩沙汰はこれで終わりはしなかった。
貞一郎はほどなくして武山雅夫一味による襲撃を受けたのである。
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