第29話 八紘一宇

 私はいつものように、土手の天辺に座って川を眺めていた。

 この景色がこよなく好きだ。

 荒川放水路は一九一三年から一九三〇年までの十七年間かけて、江戸東京を苦しめてきた繰り返す洪水に対する対策を目的に、隅田川の分流たる人工河川として造成された。

 川幅は五百メートル、河川敷も都心側の広い方は幅百メートル以上になる。海に近い下流まで行けば、川幅は一段と広がって両岸には堤防がそそり立ち、「荒川放水路」という人工的な名称が相応しい。しかし、水戸街道が渡る橋から上流は、河川敷は一つの自然を作り出している。

 私もどれだけの回数、この土手に上がり、河川敷の風景に心癒され、生きる元気を与えられたか分らない。造成後、長い月日が経った現在、荒川はもはや自然の川として下町の日常の景色となりきっている。


 飽きもせず川の流れを見ていると、横に立った人がいる。浪川勇だった。

 いつものランニングシャツに白ブリーフ、草履をはいている。

 美千代の葬式以来、久しぶりに見る。挨拶をしてから勇は、美千代について世話になったこと、昨日墓に収め、喪が明けたことを話した。それから勇は意外な話を始めた。

「喪が明けてから話そうと思ってたんだが、前の女房の知り合いで、あんたにどうかって人がいるんだ」

「どうかって、なんですか? 嫁にってことですか?」

 勇は頷いた。本当はそんな話をするのは柄でもないと思っているが、佐和子にどうしてもと押されて、渋々話していると勇は打ち明けた。

 佐和子が知っている石川県出身の三十代の女性で、麻酔科医だそうだ。仕事場で毎日顔を合わせているんだから、佐和子自ら言ってくれたらよさそうなものだが、勇の口から勧めた方が佐和子としては納得が行くらしい。男性を立てようとする佐和子らしい話の進め方かもしれない。

「しっかりもんらしいよ。あんたはちょっと気が弱そうだから、丁度いいだろう」

 余計なお世話だが、確かに私ももう落ち着くべき歳だ。川ばかり見ていないで現実に取り組み、前に進もう。

 景気づけに一杯やろうと勇に誘われ、私たちは土手の石段を下りた。

 浪川家へ戻ると、犬小屋に犬たちが、いない。

 そう言えば、この頃、犬たちを見ないなとは思っていた。

 警察に再調教に預けているのかと思ったら、そうでもないらしい。小屋に引き籠っているのかと思ったが、砂場で遊んでもいないから、本当にいないようだ。

「次郎と三郎はどうしましたか」と尋ねたところ、勇は悲し気な表情で顛末を話してくれた。

 私は太腿の後ろに噛みつかれたことがあったが、もっとひどい目に遭った人がいる。

 それは勇が共同経営する運送会社の会長の権藤で、彼が浪川家を訪ねてきたとき、シェパードが後ろから飛びかかり、何と権藤のアキレス腱を噛み砕いてしまった。よく調教されている故だが、その結果、権藤は手術を受け、半年以上松葉杖に頼る重傷を負った。

 烈火のごとく怒った権藤から、今回を最後にして、もう警察犬を飼わないと約束させられたそうだ。

 会長を納得させるために、シェパードを手放さなければならなくなったと、勇は珍しく泣き言を言った。がらんとして妙にきれいに掃除された犬小屋は、おさまる主をなくして寂しい感じがした。

 私はビールをグラスに注いでもらい、勇には彼の希望でウィスキーのオンザロックを作った。私たちの今後の幸福と健康を願って乾杯した。

 勇は自宅の菜園で採れた胡瓜や茄子を私の家にお裾分けしてくれるので、そのお返しに患者から貰った高級銘柄のウィスキーや日本酒をあげていた。しかし、美千代を喪って以来、ただでさえ酒豪のところ、ますます酒量が嵩んで、最近は慢性アルコール中毒の患者のような赤ら顔をしている。

 これは酒なんぞ持って行った自分の失態だったと私は内心後悔した。だが、酒にしても何にしても、止めて止まる人でもない。

 一生を元気者で通してきた彼の話しぶりは、愛妻を失っても雄々しさと快活さを失ってはいなかった。今では生き残りのほとんどいない元特別攻撃隊員である。

 一人暮らしになった勇は、なおも意気軒昂に自身の人生哲学を語った。

「俺は個性のないような奴は大っ嫌いなんだ」

 その言葉を聞いて、佐和子がしばらく前に、回想しながら言った言葉を思い出した。

「良くも悪くも強い人でしたから、家族は振り回されて大変でした」


 まだ矍鑠としてはいるが、美千代の死以来、かつての暴れん坊ぶりは影を潜めたようでもある。それでも、勇の口吻からは、まだまだこの一帯の用心棒として幅を利かせている気概が感じられた。

 勇は家の隣に車数台分の駐車場を持っていて、いつも満車になっている。

「この間、得体のしれねえ奴が、自転車を振り回して駐車場の車を壊してやがるんだ。向かいの家の人が見ていて警察に通報し、すぐにお巡りが二人飛んできたが、俺も聞きつけて、玄関に置いてある日本刀のうちの一本を抜いて飛んで行った。何しろ人が管理している駐車場の自動車を傷物にされちゃ、俺の責任にもなるし、信用にも関わるからな」

 勇は首を竦めながら続けた。

「ところがお巡りの奴、自転車で車壊してる奴には見向きもせず、両手を頭上で大きく横に振って俺に向かって来る。『俺に構うんじゃなくて、車壊してる奴を捕まえろ』って言ったが、聞きやしねえ。銃だって持ち出しかねねえ勢いだ」

 それはそうかもしれない。

 自転車で車を壊している人間は、おそらく器物破損罪で刑務所に入ってただ飯にありつきたいだけの男なのだろう。お巡りさんから見れば、白ブリ、ランニングで、抜き身持って走ってくるやくざのような爺さんのほうが、よほど危険に見えたに違いない。

 車の持ち主には災難だし、勇の怒りももっともだが、お巡りさんとしては抜き身を鞘に納めてもらわなければ、捕まえるのはまず勇のほうだろう。

 勇は特に感心した風でもなく、ウィスキーのグラスをあけた。

 それでも私の言葉を聞いて気が入ったのか、いつものように気炎を上げ始めた。

「もし十年早く生まれてりゃあ、あるいは真珠湾へ行ったのは俺だったかもしれねえ」

 その言葉は勇自身の希望を表現しているように聞こえた。零戦に乗って択捉島単冠湾の空母から離陸し、真珠湾攻撃に加わっている自分を想像しているに違いない。

 現実の戦争体験では、特攻隊員を目指しながら出撃せずに終わり、ラバウル島で米軍の射撃から逃げ回ってばかりだった勇としては、ただ兵士としてもっと華々しく活躍したかったということなのだろう。

 勇が戦争の話を始めると、私はいつもあの有名な軍歌を思い出す。


   貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く

   咲いた花なら散るのは覚悟 見事散ります国のため


 予科練、青島基地、ラバウルと生死を共にした仲間たちと過ごした暮らしの話を聞くと、軍歌を地で行ったような勇の生き様を思い知らされる。

「浪川さんは同期の桜のお二人とは、今でも旧交を温めていらっしゃるんですか」

勇は肩を竦めた。

「小野滝は大分前に逝っちまったし、猪瀬も中風でよいよいになっちまって、人が訪ねて行っても誰が来たかわかりゃしねえんだ」

 何と。軍歌の世界からそのまま出てきたような三人の末期が、そんな風とは寂しいことだ。しかし時が来ればいずれそうなる。それもまた運命であり、仕方ないのかもしれない。

 戦後の日本の復興を支えた彼らであるが、それもまた、同期の桜の現実であろう。

「この何年か、人生の最後の記念でもねえが、俺に縁があった筈のところを、観て回ってるんだ。三年前は沖縄、一昨年はグアム、そして去年はハワイといった具合さ。ハワイじゃ、パール・ハーバーに行ったら、アメリカ兵に身体検査されて、危うく丸裸にされるところだったよ。俺くらいの年代の日本人というと、ケツの穴に爆弾入れて自爆するんじゃねえかって、今でも連中は警戒するらしいや」

 勇は人懐っこい笑顔を浮かべながら話したが、何かを貫くような目つきに変わった。

「連中との戦争は避けられなかった。何しろローズベルトが日本と戦争したくて仕方がなかったんだから。奴らの挑発に対して、日本政府は我慢し、忍耐しなきゃならなかった。それができなかったところで、負けは決まったようなもんだ。奴らが望むように戦争しちゃあいけなかったってことだよな」

 勇は語り続けた。

「俺は米国人の価値観には同調できねえし、彼らのお題目である民主主義にも共感できねえ。民主主義なんて、口先ばかり上手な、ずるい人間ばかり作る考え方のような気がするよ。人間、いいことはいい、悪いことは悪いと教えないと、ろくでもねえ世の中になっちまう」

 勇は真剣な表情で私を見つめた。

「欧米人は死刑廃止だなんていうが、そんなことは間違ってやしねえか? 死刑を廃止したりしたら、悪い奴らはとめどもなくはびこっちまうことになる。人を殺したような人間には、命でつぐなわさせるのは当然だろ。でなきゃ、やった奴はやったもん勝ち、やられたもんはやられ損の世の中になっちまう」

 勇はまたグラスをぐっと傾けた。

「好き放題の一生で、何も悔いるこたねえが、八紘一宇を掲げた俺として、悔いが残ることがあるとすりゃ、この国が正義のない国になっちまったことだよ」

 私は深く頷いた。

 八紘一宇。強い国が弱い国を搾取するのではなく、天皇陛下のもとに八紘、すなわち世界が一宇、すなわち一家族のように睦み合うことを旨とした日本の建国の理想である。

 勇の口から出ると、いかにもその時代の、その人間の言葉らしく感じる。

 悔いることはないが、それでも今の日本が不満だという。志願兵に行った勇の思いを理解してくれる人間は少なかったということだろうか。

「山本五十六がブーゲンビルでやられたとき、負け戦は決まってたんだ。嘘で固めた連戦連勝。予科練で飛行機操縦の練習はしたが、いざとなってみれば乗る飛行機もねえって始末だ。ミッドウェイの後の出征兵たちは、ただ死ぬために戦争に行ったようなもんだよ」

 勇は溜息をついた。

「もう戦争は二度と御免だ」

 勇はじっと前方を見ながら、淡々と語った。

「志願兵になって、国のために命かけて戦場へ行ったってのに、頭がおかしいんじゃねえかって言われる。あんたは訊くから話すけれど、戦争の話はもうしねえよ」

 この浪川勇にして、そうか。

 そうだろうなと私も納得した。どれほど凄まじい経験をしているか、戦争、戦後しばらくの時代を知らない人間には想像もつかない。

 日米戦争も、特攻隊も、今や歴史の彼方に消えていこうとしている。

 過ぎて行く者は寡黙であり、何かを言い残していくことは少ない。口で言ったところで、殉教者のような運命を志願し、もしくは強制されて死んだ特攻兵たちの思いを代弁することなどできはしまい。

 勇の生きた日米戦争から戦後にかけての時代は、日本人にとって、かつてなく、その後もなかったような、生きるのが困難な時代だった。

 それでも考えようによっては、戦後五十年経ってやってきた閉塞の時代よりは、生きやすかったのだろうか? 戦中はともかく、戦後は生きる目標を持って無我夢中で生きられただけ幸せだったとも言えよう。

 いずれにしても、勇はある意味では日本の頂点だった時代を、自分の信じるがまま、まっしぐらに駆け抜けた男だった。

 勇としては、本当は戦争の話を語り継ぎたいのだろう。志願兵として予科練に入隊し、特攻基地、ラバウル島と転戦して戦い続け、九死に一生を得て日本へ帰ってきた。戦争のことは勿論、それ以外のことでも、日本へ帰ってきてから、荒廃した戦後の社会を生き抜いた自分の経験、生き様を語り残したいに違いない。

「聞けわだつみの声」を始め、特攻隊の非人道性を糾弾する書物や文献は数多ある。

しかし実のところ、自ら死にに行った志願兵たちには、下手な同情は必要ない場合もあるのだろう。勇のような人物の男伊達は、門外漢の下手な同情を超越しているように思える。

 まだ年端もいかない特攻兵たちは、最後の瞬間に「お母さん!」と叫んで敵艦に突っ込んで行く者が多かったと語り伝えられている。勇はそれを不満に思って来たようだ。

「『お母さん』なんて言ってる暇あるか。気がついたときにゃ、やられてんだから」

「男の中の男」は独り言のように呟いた。

                                     了

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