第23話 吉原の女たち

 美千代は、くも膜下出血の麻痺症状から徐々に回復を見せたが、自宅でケアを受けることには貞一郎が反対した。然るべき施設に入れてほしいという。

 そこで転院入所の方向を検討され、三月のある日、その段取りに区の社会福祉課の職員が来院することになっていた。その前日は私が当直をしていた。

 その夜の当直看護婦は、二階が藤吉佐和子だった。佐和子が当直だと思うとホッとする。彼女は一番頼りになるのだ。申し送りでは、三階の膀胱癌の末期患者が血圧が下がっていて、今夜あたりがいよいよ危ないとのことだった。

 夜中も二時を過ぎた頃、当直室で寝ていた私は、竜泉救急隊の佐々木隊長からの電話で起こされた。水商売の女の子が睡眠薬で自殺を図ったのだが、お宅が一番近いから診てくれないかという。意識レベルを尋ねると、現在のところ、はっきりしているが、何しろ睡眠薬を一度に百錠飲んだそうだから、一刻も早く胃洗浄をした方がいいと思うとのことだった。私は承知して救急車の到着を待った。

 間もなくピーポーの音とともにやってきたのは、吉原のソープランドに勤める二二歳の女の子で、自殺目的で睡眠薬を百錠飲んだばかりという。いかにもそれらしい非常に派手ないでたちの若い女性が二人同乗していて、患者に続いて救急車から降りてきた。

 患者本人は軽装でストレッチャーに寝かされているが、一緒についてきた女性達は、対照的な装いだった。まだ肌寒いこともあって、上着はフリルの一杯ついた豹柄のコートやふさふさの毛皮のコートを着込んでおり、下は丈の極端に短いスカートをはいている。

 一人は長い髪を金色に染め、太腿も露わで茶色の長いブーツ、もう一人は茶色に髪を染めて黒の網タイツに黒のブーツをはいている。ヒールが非常に高いからか、二人とも背が高く見える。

 救急隊もこんな姐さんたちに乗り込まれてよく運転を間違えなかったものだと私は思った。気も漫ろで救急車を電信柱にぶつけなくてよかった。

 患者を救急外来処置室に入れると、私の指示で、直ちに佐和子が酸素吸入と胃洗浄の用意を始めた。救急隊長の佐々木が言った。

「先生、この患者、血管が異様に細くて点滴が入らなくて。一からお願いして申し訳ない」

 私は頷いた。恐らく覚せい剤の常習者なのではないか。シャブ漬けになっていると血管が細くて点滴ラインを入れるのに非常に苦労する。

 同伴の女性たちに聞いてみると、吉村由香里という名のこの患者は、これまで何度も同様の睡眠薬自殺を図っており、そのたびに五十錠とか百錠とかの量を飲むのだが、いずれも命は無事だったということだった。そういわれてみれば、容量依存を起こして薬の効きが鈍くなっているのか、患者の意識はほぼ清明であり、血圧や脈拍も落ち着いている。

 どこでどうやってそんなに頻繁に百錠の睡眠薬を手に入れるのか、私は医療従事者、病院経営者として、よからぬものを感じた。

 もらった睡眠薬をこういう目的のために貯めているのか、それともどこかの病院から横流しされているのか。うちは信用できる優秀な薬剤師だし、薬剤管理はいつも目を光らせているから大丈夫なはずだと思いながら、私は首をふりふり由香里を診察した。

 何にせよまずは胃洗浄だ。ところが、患者は胃洗浄のチューブを入れるのはいやだという。私と佐和子は強く説得したが、由香里は大丈夫だと言ってきかない。一緒についてきた姐さんたちも傍で由香里を懸命に説得するが、由香里は答えない。

 そのうちに、遅れて一人の男がやってきた。店の男であろうが、ヒモでもあるのだろうか。背が高くやせていて、顔色が青白く、落ち窪んだ目に髭剃り跡の濃い、これまたいかにもそれらしき風貌の男である。二人の女性はその男が由香里に近づくのを阻止しようとするが、男は強引に救急外来に入って来た。

 どうやらこの男が患者の自殺未遂の元凶らしい。その男が性質の悪い男であることを同僚の女性は分かっていて、妹分を守ろうとしているのだが、男はものともせずに女に近づいているという風に見えた。由香里は男がやってきてくれたのに感激し、早くも手に手を取って見つめ合っている。「愛と死を見つめて」とでもいった感じだ。

 私と佐和子は呆気に取られてこの様子を見ていたが、馬鹿らしいことこの上ない。

私はその男と姐さんたちに、処置をするから部屋の外で待つように言って救急処置室から追い出すと、再び真剣に患者を説得した。由香里は男に会って気分が落ち着いたのか、今度はおとなしく胃洗浄を受け入れたので、気が変わらないうちにと私は早速胃管を鼻腔から挿入し、催吐剤を胃に注入しながらひとまず胃洗浄を行った。

 生理食塩水を合計三リットルほど入れては出し、一方で佐和子が点滴ラインを挿入し、抗潰瘍薬の入った輸液を続け、重炭酸ソーダを注射する。この細い血管にラインを挿入するとは、流石は佐和子だ。

 一通り処置してから、私が患者に入院する必要があると言うと、由香里はまたしても絶対いやだと言う。まるで駄々っ子だ。それ以上は強要できないが、時間が経てば気分も変わるだろうと思い、ここはひとまず佐和子に任せることにした。

 私が救急外来処置室を出ると、前のベンチに座っていた派手な姐さんのうち、金髪の方が立ち上がって、由香里はどうでしょうかと尋ねてきた。

「よく胃を洗ってできる限り薬は胃から除去しました。意識もしっかりしてるし血圧なども安定しているから大丈夫だと思います。今日のところは入院した方がいいが、本人が帰ると言い張るので今説得しているところです」と私は話した。

 するとその姐さんは、後から来た男は石和紘一という名で、吉原でも知られた助平男だ、由香里は騙されており、彼に任せておくと危険だと話した。

 そこで私が救急外来処置室に戻ってみると、いつの間にか処置室に入り込んだか、その紘一と由香里が再び手を取り合っているところだった。男は低い潤んだ優しい声で、女は甘えた声で、語り合っている。

「絶対入院はいや、もう帰る」

「入院しなきゃ駄目だ」

「院長先生がいいって言ったもの」

「先生がいいって言ったって、俺がさせないよ」

 私は「入院しなくていい」などと言っていないし、この男は殊勝にも入院を勧めている様子だが、病院でまで格好つけているのはどうしたものか。付き添ってきた女性の言う通り、紘一は確かに性質の悪そうな様子を全身に漂わせている。

 女を食いものにして生きてるくせに御託並べるなと思ったが、そのとき佐和子が近づいてきた。

「注射するからどいて」

 そうやって男をまた追い出してから、佐和子は点滴ラインを入れてステロイド剤の注射を加えた。姐御肌の熟練看護婦の貫禄には男もたじたじである。

 しかし、由香里の病状について説明するキーパーソンを誰か一人に決める必要がある。明日、ケースワーカーの田伏に任せようと考えて私が当直室に戻ろうとすると、金髪の姐さんがついてきながら、説明を聞きたがった。

 当面の処置はしたから大丈夫だと言うと、「由香里の面倒見役で青山博子といいます」と挨拶し、名刺を出して、そこに名前を書き込んだ。渡された名詞を見ると、吉原の店のもので、源氏名が書いてある。

 客に来いというのか。「何かあったら私にご連絡ください」とのことだが、どうやって連絡したものか。折角亡き父の病院を継いで地元の名士たらんとしているのに、早々に岡場所の店にいくわけにも行くまい。

 今夜はもうこの現場には戻らない方がよさそうだと思って私は二階病棟に上がった。

 ナースステーションに入って行くと、新人の当直看護婦が三階病棟からばたばたと降りてきた。私の顔を見ると、「先生、ちょうど良いところへ来た、たった今、膀胱癌の患者さんの呼吸が止まった」と報告した。そこで私は三階に行って、死亡確認を行った。

 由香里は結局のところ、翌朝に退院することで納得棄て一晩入院し、同僚の三人は帰って行った。

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