第8話 本にまみれて!?



 そんなことがあってから、俺たちの心理的な距離はぐっと狭まったと思う。


 言葉も、自然と相手を気遣ったものになるのは、いつもアリルンのことばかり考えているせいか。


 あくびが多く感じる日の午前。

 図書係になってはや3か月が経つ。


 時折、感じの悪い刑務官が顔を出して、嫌がらせとばかりに仕事ぶりに口出ししていったが、それ以外は基本的には穏やかに時間が流れていた。


「あー並んだ本、俺も見てみたいな」


 俺はいつものようにカートから本を返却しながら、つぶやいた。

 アリルンの背後には赤い絨毯の敷かれた広大な図書館が広がっているのが見えるのだ。


 一度でいいから、あそこに入ってみたい。


「見ます?」


 が、アリルンがあっさりと言う。


「……え、できるの?」


「トリスさんには図書の整理も手伝ってもらっていい決まりですから、入れますよ」


「なぬ」


「あは」


 アリルンがクスクス笑いながら、ポケットからいろいろついた鍵を取り出す。

 どうやら最初に説明してくれたデクノボウが誤解していたようだ。


「なんだ、早く言ってくれよ」


「だって……トリスさん言わなかったですよ」


 ガチャ、と音がして、受付のクリアパネルの隣にある扉を内側から開けてくれた。


「おお!」


 夢見ていた世界に歓喜しながら、扉をくぐる。

 胸が躍るとは、まさにこのことだ。


「うへぇ、広いなぁ……」


 そこは本の香りが宿る、荘厳な世界だった。

 深紅の絨毯の上に立ち並ぶ本棚は、名立たる本をいくつも抱えていて、それだけで独特な威厳があった。


 俺は大きく深呼吸して、その香りを楽しんだ。


「だいたい50メートルプールと同じくらいですよ。それが3階まであります」


「マジか」


 棚は数えて下から上まで12段あり、それぞれぎっしりと本が詰まれている。


「すげぇ、『イリアス』のオディッセイアが全24巻並んでるぞ」


 もちろん英語の原著で、だ。


「これは8年前に京都におられる実業家の方から、ご寄付で頂きました」


 どうやら重犯罪者には、金持ちが多かったらしい。

 その実業家とやらもここで懲役をこなし、世話になったからと所蔵していた大量の本を寄付してくれたそうだ。


「しかし、あのオディッセイアだぞ」


 俺が厨二のころ、住んでいた市の図書館で同じものを探したことがある。

 もちろんそんなものはなかった。

 そこは約150万人が住む市だったのに。


 俺の高校の図書館になかった、『宇治拾遺物語現代語訳』も、第十五巻まで揃っている。

 これも、この刑務所を出て行った人が寄付してくれたらしい。


「いったいどこの図書館だよ、格が違うだろ……」


「ふふ……だって日本一ですし。トリスさん、お読みになりたい本はありますか」


 アリルンが後ろで手を組んで上半身を傾げ、微笑む。

 黒髪がさらりと揺れて、流れていく。


「ありすぎて困ったな。これは当分この刑務所を出ていけないぞ」


 俺は図書をぐるりと眺め回す。


「あと22年あるから全然大丈夫ですよ」


「ちくしょう。いいツッコミ来た」


 アンドロイドとは思えない奴だ。


「……お、トールキンの『指輪物語』現代語訳だ、手始めにあれ読みたいな」


 見上げた先で、俺の視線が釘付けになる。

 これも結局、厨二のころに読みたかったが、読めずに終わった本だ。


「あ、私も好きです。じゃあとりますね」


 アリルンが近くから脚立を持ってきて、俺の前に置いた。


「やろうか」


「いえ、私の仕事です」


 とんとんとん、と軽そうな音を立てて、脚立の一番上に上るアリルン。


「んっ……」


 上から2段目にある本を、脚立の上で背伸びする感じで取ろうとする。

 おいおい、アンドロイドなのにずいぶん危なっかしいことを……。


「きゃっ」


 と思ったら、本当に脚立を踏み外した。

 その落ち方は、背中を強打するパターンだ。


 背中に手を伸ばして横抱きにしようと思ったら、アリルンは空中でくるん、と振り向いて落ちてきた。


 いや、なぜ振り向く。

 今のは無駄にアンドロイドな動きだ。


「――きゃあぁ!」


「ぬっ」


 ドサドサドサ……。


 捉える重心を見失い、アリルンに折り重なるようにして倒れた。

 俺たちの上に、たくさんの本が重なっている。


「………」


 俺の頬にかかる、さらさらしたもの。

 首元にかかる、アリルンの吐息。


 抱き合うかのように、いや、抱き合って密着している身体。

 胸がどくん、どくんと激しく打ち始める。


 アリルンは、信じられないほどに柔らかくて、温かい。


「怪我はないか、アリルン」


 平静を装った俺は、声をかける。


「………!」


 俺の声で我に返ったのか、アリルンは飛び退くようにして離れる。


「ご、ごめんなさい! 私ったら――!」


「アンドロイドでも足を踏み外すんだな」


「ごめんなさい! 普段はこんなことないのに」


 慌てて身なりを整えて、2回謝るアリルン。


「と、とと、トリスさんは大丈夫でしたか」


「ああ、慣れててな」


「……え?」


「いや、なんでもない」


 指輪物語をカートに積み、入り口に持って行ったはいいものの、お互い無言。

 さっきのを変に意識してしまって、話しかけられない。


(………)


 アリルンの身体は、全然アンドロイドらしくなかった。


 温かく、柔らかい。

 本当は人間なんじゃ、と勘違いしたくなるほどに。


 ちらりと見ると、アリルンもちらりとこちらを見て、思いっきり目が合う。


「………!」


 そしてお互い目を逸らす。


 ちくしょう、俺たち中学生かよ。


「アリ――」


「――じ、実は!」


 そして、二人同時に口を開いていた。


「どうした、アリルン」


「じつはここの最上階の4階には、プラネタリウムがあるんですよ!」


「……なぬ」


 刑務所の図書館に、プラネタリウム?


 5年も居て、刑務所のことは熟知していると思ったが。

 確かに刑務所外作業では、角度的に図書館棟はバビロン棟の陰になっていて見えない。


「『星空は心を洗うから』と、建設当時の鈴木里佳子知事が増設してくださったんです。ただ今の法務省様はお好きじゃないみたいでお許しが出ず、結局囚人の皆さんには公開していないんです」


「ほうほう」


「お仕事中ですけれど、もしよかったら、ちょっとだけ行きますか?」


「ふむ」


 俺は腕を組んで、思案する。


 第一感では、少々危険な気がした。

 図書館の3階だから、刑務官には掃除の延長で説明がつきそうだが、相手が悪ければ……。


 だがアリルンがこんなふうに誘ってくれるなど、今までなかったことだ。

 もしかしたら、親しくなりたいという気持ちで誘ってくれているのかもしれない。


 心底嬉しいものだった。

 男として、断る選択肢はない。

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