第16話 診察室にて



 翌日すぐに三陽先生が俺を呼び出し、診察してくれた。

 昨日異変があったことが、今日になって先生の耳に入ったらしい。


 あの三陽先生が刑務官を怒鳴り散らして、俺は病院を受診することになった。

 俺は目隠しと手錠をされ、刑務所外の病院に移送され、頭部の画像検査を行った。


 幸い、脳血管に明らかな変化は見られず、経過観察となった。


「外に出るからと言って脱獄なんか、考えるなよ」


 刑務所外に出たとたん、俺にそんなことを言うデクノボウ。


 このまま逃亡できる手段はもちろんあったが、そんなことはしない。

 アリルンを置いていく脱獄など、俺にとってなんの意味もない。


 戻った俺を安堵の表情で出迎えたのは、三陽先生だった。


「心配したわ。でもよかった」


 先生の顔は心なしか、蒼いままだ。

 どうやら結果は問い合わせたのか、すでに知っているようだった。


「心配してくれてありがとう」


「本当は昨日すぐに診察したかったのだけど」


 刑務官さんがそそくさと帰ってしまって、誰一人動いてくれなかったそうだ。


「昨日のこと、覚えている?」


 先生が近づいて俺の目の前に立つと、俺の頬に右手を当てる。


「ああ。シェルターってのを見た。ネジ締めをやったんだ」


 俺が答えると、先生は少し驚いたようだった。


「……そう」


「先生がそれとなく教えてくれなかったら、普通に飲んでしまっていた」


 俺の言葉に、先生は小さな作り笑いを浮かべて、カルテに視線を落とした。


「先生は知ってたんだろ? あのシェルターのこと」


「………」


 先生は聞こえないふりをしている。


「先生?」


「……こら。私が口止めされていないと思っているのですか?」


 先生が困った子供をあやすように言う。


「先生、折り入ってお願いしたい。あれについて教えてくれないか」 


 先生は身体をこちらに向けているが、カルテに目を落としたまま、目を合わせない。


「俺にとって大事なことなんだ」


 大事、という言葉に、先生がぴくん、と肩を揺らして反応した。


「……そんなことを知ってどうするのですか」


 先生が脚を組んで俺をまっすぐに見つめると、予想通り訊ねてくる。


「………」


 言葉を発しない俺に、先生が立ち上がった。


「……ねぇ喬くん。もしかして、いけないことを考えていないかしら」


 目の前から、座っている俺を見下ろす先生。

 その瞳が、俺を捉えている。


「………」


 俺は何も答えず、先生を見返す。


「そうした時点で命の保証はなくなるわ」


「………」


 俺は彼女の前でそれを認めてはならない。

 それは先生を巻き込むことに他ならないからだ。


「ねぇ、喬くん。私に相談してみて。何か困っていることがあるなら、相談にのれる」


 先生は両手を俺の膝にのせると、俺の顔を覗き込んだ。


「……あんたには世話になっている」


 俺はそれだけを言った。


 世話になっている。

 だから巻き込んで、危険にさらすわけにはいかない。


 先生が小さくため息をつくと、机に戻り、またカルテに視線を落とした。


「……シェルターは確かに知っているわ。だって毎日出入りしているもの」


「そうなのか」


「でもそれ以上は教えられないわ」


 私にも守秘義務というものがあるのよ、と先生は俺に横顔を見せたまま言う。


「先生の薬の実験台になる。好きに使ってくれ」


 だが先生は無言のまま、すらすらと高価そうなボールペンを動かす。


「先生の言うこと、なんでも聞く。教えてくれないか」


 俺の言葉に、先生の手が、ぴくんと止まる。


「……なんでも?」


 先生が振り向いて、俺を見る。


「ああ。教えてくれるんなら構わない」


 俺はその視線を真正面から受け止めた。

 しばらく、絡み合う視線。


 そこで先生が視線を逸らし、すっと窓に向ける。

 そこは俺たちが知っている、何も変わらない窓だ。


 電気の流れる鋼の線が張られ、数話のカラスがこちらを覗き込むように張り付いている。


「……採血の日に、また呼びます。今日はもう、戻っていいわ」




 ◇◆◇◆◇◆◇




「随分と寒くなってきたよな」


「はい。厚着しています」


 なんだかんだ言って、もう12月。

 世間は師走なだけに忙しいのだろう。


 俺とアリルンはまったりと平和に過ごしている、さまを装っている。


「図書館は暖房があるので、なかは暖かいんですよ」


「よし、じゃあ本をカートに載せたら中で座って話そう」


 そんな俺の言葉に、はい、と頷きながらにっこりするアリルン。


 もしこの笑顔が見れなくなったら、俺はどうなってしまうのだろうと不安になってしまうほど、俺は心からアリルンを大切に感じていた。


「今日はこれにします」


 アリルンがいつものように本を渡してくれる。

 しかし。


「……アリルン、推理ものばかりになってるぜ」


「え」


「童話と歴史資料をいつも載せてるじゃないか。今日はそれがないが?」


「あっ、すみません」


 アリルンが口を押さえて顔を真っ赤にする。


「珍しいこともあるもんだな」


 アリルンの本への愛情は半端ではない。

 それは借りて読む人にも向けられ、カートの内容は各分野を押さえておきながらも、毎日必ず変わる。


「あの、甘えてもいいですか? トリスさんに選んでもらえると……」


 アリルンが扉を開けて、俺を中に招き入れる。


「いいよ。アリルンには敵わないけどな」


「そんな」


「俺は本に愛情を傾けるアリルンを見るのが大好きでな」


 俺の言葉に、アリルンがまた頬をリンゴのように真っ赤にした。

 そしてくるんと背を向けて俯いた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 そして約一週間が過ぎた。


 腕を駆血していたゴム駆血帯が、ぱぁん、という音を立てて外される。


「じゃあここ、押さえててください」


「はい」


 今日の採血が終わった。

 前回の二点評価はまずまずの値だったそうだ。


「この薬はあまり若い人に使う機会がないから、学会に出せそうなの」


「発作も全くないよ」


「うまくいってるわね、嬉しい」


 先生が笑顔で手をかざし、俺たちはハイタッチする。


 黒タイトミニを直しながら立ち上がり、「じゃあこっちよ」と笑った先生が、俺を診察ベッドに案内する。

 いつものように服をはだけた俺が、ごろりと横になる。


「それで、私の言うことをなんでも聞いてくれると言いましたね」


「ああ、言ってくれ」


「じゃあちょっと、そのままでいてください」


 そういうと、先生は前かがみになり、俺の胸に自分の頬をのせてきた。

 内巻きの茶色の髪が俺の胸元をくすぐっている。


「直接心音を聴いているのか」


「………」


 しかし先生は答えない。

 聴診器を使わない理由はなんだろう、と思っている間に、ギシッと診察ベッドがきしむ音。


 先生は無言のまま、ミニスカートの股を開いて俺の上にまたがってきた。

 彼女のハイヒールが、カラン、と音を立てて床に落ちる。


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