第12話 お気に入り
「こ、こいつら二人にございます!」
所長がゴードンの頭を殴ると、作り笑いを浮かべ直して俺たちの方へ手を向ける。
アリルンはぺこん、とお辞儀をしたが、俺は直立不動で応じた。
「女は故障しておりますが、奉仕型アンドロイドです。男は懲役28年を受けた囚人で、更正目的に図書館の雑務をさせています」
「28年……」
富角知事が、あからさまに眉をひそめた。
そして俺の前に立つと、上から下まで舐めるように視線を這わせた。
「……へぇ。この人、今までで一番まっとうな囚人に見えるけど。ねぇあなた。いったい何をしたの」
知事は俺に問いかけていた。
「――はっ。殺人です」
「……」
無感情に告げた俺に、知事が言葉を失う。
「ま、まあこれでも罪を悔い改めて過ごしている数少ない模範囚でございまして」
そばにいたデクノボウが冷たくなった空気を取り繕う。
「これで凶悪犯とは……。私は直感には自信があるのだけど……世の中には信じられないこともあるものね」
そして知事は隣のアリルンに視線を移すと、頭に手をのせて、よくやってくれていますね、と褒めてくれた。
アリルンは少し恥ずかしそうにしながらも感謝の言葉を述べると、知事が頷いて口を開く。
「『風からも光る雲からも諸君には新しい力が来る』ですよ。それはアンドロイドとて同じです」
「はい」
アリルンがこくんと頷く。
そこで知事が、きょとんとしている刑務官たちを振り返る。
「あぁ全く。言葉の意味がわからないといった顔ですね。あなたたちは……」
知事は、これだから勉強会に参加しない刑務官は……とうんざりしたような表情を浮かべた。
「――宮沢賢治『パラーノの広場』」
そこで、知事がはっとして振り返る。
言葉を発したのは、俺だ。
「あ、あなた……?」
知事が再び俺に近づくと、俺の前に立った。
「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す――」
知事が俺を試すように、言葉の続きを訊ねてくる。
なんのことはない。昭和の名作家の言葉である。
「―― 楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」
俺がその続きをすらすらと述べると、知事の顔がみるみる笑顔になる。
「あなた、なんと素晴らしいこと! ここの模範囚とはこんなにも学んだ存在なのですか」
一気に機嫌のよくなった知事を見て、刑務官たちの顔にも緩みが見られ始める。
「あなた、好きな言葉は?」
知事が俺に興味を持ったのか、所長そっちのけで訊ねてくる。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです」
「太宰治『パンドラの匣』ね」
知事はにっと笑って即座に反応する。
「……失礼ですが、知事様のお好きな言葉は」
所長や刑務官が無言で見守る中、俺は訊ねる。
いや、正確には訊ねざるを得ない状況だった。
知事はそういう顔で、俺の言葉を待っていた。
訊かれるのを待っていたに違いない。
知事は歌うように、その言葉を口にした。
「運命は我々に幸福も不幸も与えない」
「フランスの哲学者モンテーニュ」
俺がたやすく答えると、知事は俺の手を両手で握り、少女のように飛び上がって喜んだ。
「なんと、なんと! 今日は嫌なことばかりだったけれど、こんなに素敵な日はなくてよ!」
それから知事は俺を案内役に指名すると、図書館の中で1時間近くあれこれ訊ね、しゃべりまくっていた。
どうやら知事は世界レベルの設備を持つこの刑務所の下見に来たらしい。
「以前の知事の指示で作ったプラネタリウムがあるのに、使っていないというのは本当?」
「ええ、まあ実は法務大臣の……」
所長が作り笑顔で話に入ろうとする。
「あんたみたいなごみクソには聞いていない」
そう言って知事は所長をあっさりと切り捨て、俺を見る。
「どうなんですか、神酒坂さん」
「いえ、今年からまた囚人に見せてはどうかという話を、所長が大臣にしてくださいまして」
法務省に掛け合ってくださっているはずです、と所長を巻き込んだ嘘をつくと、よくやったという顔で所長が頷く。
「そうなんですよ! もし話に段取りがつきましたらと頑張ってまして」
知事は重々しく頷いた。
「わかりました。今の法務大臣は私の叔父ですから、私からも働きかけてみましょう」
その言葉を聞いたアリルンの顔が、ぱっと輝いた。
「ではその時には、よければ知事にも」
所長の口をついたのは、思い付きの社交辞令だったに違いない。
しかし。
「いいわ。今日という嬉しい日を忘れないために、この人に誓います」
俺の手を握り直し、にっと笑った知事。
終わってみれば、所長はとんでもない約束を取り付けてしまった。
知事が囚人とともにプラネタリウムを鑑賞するなど、前代未聞だ。
◇◆◇◆◇◆◇
そうやって、さらに一ヶ月ほどが過ぎる。
窓から見える外の木々は、葉が落ちて寒々しい。
暖房設備のない刑務所内は囚人服だけの俺たちにはつらくなる季節だ。
「ふむ」
冷え切った手で黙々と壁を調べ、音を聴いていた。
俺はプラネタリウムの操作室の中を念入りに調査している。
今日で同じ場所を調べて3日になる。
背の高い機器類が並んでいる隙間の壁に、なにか特殊に感じられる場所があるのだった。
「やはりここはわかりづらいな……」
そこは厚いようでいて、薄い音が返ってくる。
特別な構造になっているのかもしれない。
もうちょっと強い振動を与えなければ、後方まで評価できない。
俺は懐からかなづちを取り出し、それで叩いてみる。
しかしこれでは、どうにも衝撃が強すぎてわからない。
もう少し繊細に音を伝えられるものが欲しかった。
きちんと言っていなかったが、俺の懐にはいろいろなものを収容できるスペースがある。
そこには雑多なものが含まれているが、刑務所内でおいそれと取り出すことができないのは、わかってもらえるはずだ。
◇◆◇◆◇◆◇
そんなふうに計画が滞っていた、ある日。
定期受診日になり、俺は午前に診察室に向かった。
診てくれるのはいつもの三陽先生だ。
「最近調子がいいみたいですね」
「おかげさんで」
「胸の音、聴かせてくださいね」
頷いて、衣服を脱いで上半身を見せる。
「相変わらず、鍛え上げられた体ですね……」
俺の正面に座った三陽先生が、はぁ、と息を吐いた。
「そうでもない」
「すごく引き締まってますよ」
聴診した後、先生は一通り俺の体を触って調べてくれる。
そんな折、俺は三陽先生が手に持つ医療器具に目が行った。
医療用のハンマーみたいなものだ。
先端はゴムみたいなもので出来ている。
「大丈夫ですね」
一通り診察を終え、先生がカルテに何か書き残している。
先生のポケットからは、そのハンマーが小さく覗かせている。
理想的な器具だった。
あれなら、壁に的確に音を伝えられる。
壁の厚さや、質の把握も容易だろう。
「先生、それ、何て言うんだ」
俺は先生が白衣のポケットに仕舞ったさっきの医療器具を指さす。
「これ? あぁ。『打腱器』よ。腱反射なんかを調べるのよ」
こんなんでも医療用だから結構するのよ、と小さく笑う。
――ちょっと借りたいんだが。
言いかけたが、その言葉は俺の口をつくことはなかった。
勘のいい彼女のことだ。
俺がそれを借りたがる理由に気づくに違いない。
囚人がそんなものを必要とする理由など、そうそうないはずだ。
知られたところで黙っていてくれるかもしれないが、この人は巻き込みたくない。
万が一にも、彼女が「脱獄幇助」に問われるなど、冗談ではない。
「そうだ、喬くん」
俺はなんとはなしに見上げ、カメラの位置を確認する。
ちょうどこの診察ベッドはしきりがあって、カメラには当たらないようになっている。
女囚も来て脱ぐので、そのための配慮だろう。
――勝手に借りるしかない。
発情したふりでもして、襲わねばならないが。
「……」
発覚したあかつきには、この人は罰せられる俺以上にショックを受けることだろう。
誠心誠意尽くしてくれているこの先生を、正直こんな形で裏切りたくはない。
だが、俺には天地が逆さになろうと、助けなければならない人がいる。
「ねぇ喬くん。聞いています?」
組んだ素脚をこちらに見せるようにしながら、先生が俺に話しかけていた。
俺は急いている自分に気づき、大きく深呼吸をした。
いや、今この場で拝借する必要はない。
虎視眈々とチャンスを窺えばいい。
脱獄は常にクールに構え、決して焦ってはならない。
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